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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

信用と信頼、回復力の根源、奇跡?what

・人事の高津くんが給料袋を届けてくれる。「ゲンナマだったらなー」なーんて冗談冗談。「いらねーよそんなん、かすみてーな額だし。もってこなくていいよ。」という、もちろんこれもジョーク。その次にマジな質問っていうか提案。「高年齢雇用継続給付もう申請しなくていいよ。どうせ年金減額されるんだし。年金か給付金かの問題だったら人事の手間省く方がいいから。」と。しかし人事の彼は「いや!申請するほうが少し得ですから。給付の全額が減額されるわけでなくて、1万くらい給付のほうが多いですよ。」という。思わず「わかった信頼するよ。任せる。」と言い切ってしまった。これが僕の高津君への信頼事例。
・信頼と信用は違う。信用は貨幣制度、金融機構存立の基礎であるが、物的保証の無い信用制度は長期にわたっては存続し得ない。逆に言えば、信用関係が成り立つにはいざというときの、つまり債権債務関係が不履行の場合の一般的等価物が必要になる。それは歴史を振り返って見ると家畜であったり金銀であったりする。管理通貨制度下でも背後には国家の金保有高が問われているので、国際金融の本質的にはいまだに金本位制なのだ。信用は何らかのものによって保証されているが、信頼は心のありようなのだ。資本主義においては物が人を支配するので、いくら信頼しようとしても何らかの保証を求めがちである。ついつい疑ってしまうのだ。それを打ち消して他者への信頼を回復させる根源的力の源泉は何なのか。賀川豊彦との対話が続いている。
・高津君にリハビリ体験を報告した。「今年はさんざんだったよ。軽米でやったぎっくり腰の痛みが右ひざに来て、家の近くでチャリ運転中に車に撥ね飛ばされ、別の日に駅に向かって急ぐ途中つまづき転倒し右おでこから道路に激突した。とりあえずコンビニでバンドエード買って貼ったら治ったような気分になったのでそのまま出勤し、パソコン打ってたら机に血が!・・・それからオレのリハビリが始まるんだよ。毎日少しずつ右ひざが曲がるようにリハビリしていった。最初は正座ができなかったのに、約1年間のリハビリでようやく最近正座できるようになってきた。ある日正座しても全く痛くない、元に戻った!と身体の声を聴いた瞬間はマジに叫んだよ。ツオー!キター!って。」 
・いままで何の気なしにやれていたことができなくなって、また再びできるようになるまでの経過を振り返ると、身体障碍者や高齢者の痛み辛さを少し共有できたような気がする。60歳超えても筋肉は強くなるという事実も確認できた。この数日間は軽くジョギングを続けている。来年の沖縄マラソンも頭の片隅に浮かんでくるほど。奇跡?ではないね。魂と身体の自然の自己回復力が残っている証拠だと思う。神の力?とは安易に決めたくない。神の存在、天地創造を考えたのは人間なのだろうが、それがたくさんの宗教、宗派をうみ育て今に至るまでの長ーい歴史を考えると絶句してしまう。おれはたまたま父が信徒(神道の)だったので日之御教の御唱念が身体になじんではいるが、人に説教する気にはなれない。ここでも賀川先生との対話が続いている。3月6日のシンポジウムに向けて打ち合わせの日程が決まった。楽しみが一つ増える。やるぜ!
(あほくさ!)
・タイガーウッズの休業で業界の損失額6兆円だってよ。朝まで泣けよ夜の星・・・意味不命あほか!
・ばついち:戸籍に×がつくからだろうが、行政さんやり方変える方がいいね。分かれてだめになったりするとは限らないんだし。まるになる場合だってあるからな。やなやつだと思っても子どものこと自分のこと考えて何十年もじーっと耐えて、夫が定年したら待ってましたとばかり離婚相談ってのも増えているようだがそれで、失われた青春、取り戻せるのかい?分かれた結果を×にするか、○にするかはあなた(たち)しだい、だから分かれただけで×印付けるのはおかしいと思うよ。ドゥユーシンクソウ?
by issei_tachikawa | 2009-12-14 21:31 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)