戦後日本の左翼思想と吉本隆明さんの思想
2012年 01月 05日
「週刊誌読んでないのにそれだけで吉本さんを評価するのはどうかな。原発に関して今大切なことはもちろん再稼動を止めることだと思うけど、脱原発以外は認めない=向こう側、ないしは敵扱いするとちょっと違うなと思う。今問われているのはエネルギーだけでなく日本の政治経済文化の未来について、国民1人一人が意見を出すこと、草の根民主主義を地域(向こう三軒両隣がベース)で実現することだと思う。」と。
ついでだから吉本隆明さんの行動・思想について僕が思い出すことを書いておこう。
彼は60年代の新左翼に多大な(?たぶん)影響を及ぼした思想家だと思う。本来は文学者、詩人、言語学者的な資質かと思うが、実践的な責任をきちんと取る人生を歩んだ。
1940年代彼が最初に経験した闘争は、天皇制と戦争賛美からころっと変身して過去を忘れるタイプの組織や人間、逆に「獄中18年」を振りかざして違う意見に対してかたくなに自組織の正当性を守るだけだった共産党の人々だった。
そして1950年代末から1960年代には、日米安保条約とベトナム戦争に反対と言いながら、戦後の平和的な国内秩序のなかでの既得権益を守るだけで、戦争を止めさせる力を発揮しえなかった社会党や共産党の執行部派を批判しながら、新左翼の方に心情的な連帯を求めた。というよりブント(共産主義者同盟)の叛旗派などが吉本さんへ何がしかの希望を託して連帯を求めたのではないかと思う。
1968年3月のブント第七回大会開催中獄中にいた僕は、出所したら党が分解していたと言う悲劇の中でなんとかして立ち直れる思想的な拠点を探していた。(このような学習スタイルは今思えばいかにも男的、頭でっかち生活感希薄なのだが当時は同類多かった?)
そこで読んだ吉本さんの本で印象に残るのは3つ。『共同幻想論』(A)、『自立の思想的拠点』(B)、『転向論』(または『マチュウ書試論』(C))
レーニンの国家論では国家=暴力装置であり、階級闘争で労働者階級が勝利し労農兵士ソビエト樹立後は戦時供養さん主義を経て消滅していくとされていた。コレに対して吉本さんは、自己幻想、対幻想(家族)、共同幻想(地方自治体から国家)の成立を解き明かし、国家に対する主体的なタタカイが成立しうると言い切った。いわゆる「科学的社会主義」の没主体的な歴史と現状そして未来論への反論としては大変魅力的に感じたことを記憶している。
また学生は世直しの活動に入る知識人の一部になるのだが、政治にたいする生活の重さを真っ向から提起した人はなかなかいなかった。多くの知識人は男社会の縦型関係のなかで、自己否定の論理を空回りさせてつぶれていく。吉本さんには包丁片手に野菜を切り、たくましく生活しながら世の中も語るという安定感を感じた。紀伊国屋ではじめてみた浅黒い顔の彼は、どっからみても日焼けした建築現場の労働者だった。
学生運動に走りながらも、相手を論破することが自説の正しさを証明することと思い込んでいる髪の長い活動家が発する「気」に違和感を感じていた僕には、吉本さんの表情が救いだったことも思い出した。
そのうえで彼がなぜ原発容認になったのか?不思議である。いきなり批判しないで反面教師としておこう。娘さん(吉本ばななさん)はどっちなんだろうか?若森さんいわく「ヨシモトは東工大、化学だ、比べて山本義隆は物理学者、人智で対象を統御する可能性に関する認識の相違ではないのか。」と。うーんそういう見かたもあるのかー。友のエンポウより来るあり、また楽しからずや