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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

ご報告:さんきゅうハウス居住者、佐藤さんが亡くなりました

55歳の人生、早すぎて残念無念ですが、路上でなく暖かい部屋でみんなの支援をうけながら昇天されたのがせめてもの救いです。

佐藤さんは青森県八戸のご出身で、大沢さんを通じて連絡がとれたお兄さんのお嫁さんによれば、中学でてから行方不明だったらしい。その間何があったのか、辛いこと楽しいこと人生喜怒哀楽いろいろあったでしょうけれど、去年大沢さんと3人で近所の蕎麦屋で一緒に飯食ったときの会話を思い出します。

青森駅前にあった(今はわかりませんが)津軽三味線ライブハウス兼飲み屋のことをよくおぼえていました。音楽って魂にのこるんだよな。

そういえば昔ケーナを吹き始めのころ、玉川上水駅近くの公園で路上生活らしき男性から「荒城の月」をリクエストされたことがあります。日本人が西洋音階初めて作った曲、ぼくも好きな曲なので心こめて吹いてあげたら、「中学の授業で習ったよ。」といって喜んでいる笑顔の目がうるんでいました。

佐藤さんにケーナ吹いてあげたかった。

でも、福生の病院に入院されているときに「石川さゆりが聴きたい。」といわれるので、近所のリサイクル屋でCDラジカセと「津軽海峡冬景色」の入ったCDをプレゼントしました。きっと喜んでくれたでしょう。

佐藤さんからは生きるということのすさまじさについて、そのエネルギー・それを支えるりゆうについて、本当に信じられない力を人間はもっているんだなーということを教わりました。糖尿病で両足に壊疽を起こして、車椅子生活だったにもかかわらず、病院から逃げて路上生活に戻ったり、つじつまのあわないこともしゃべったりして、僕はかれのことを思い出しながら、この出会いの不思議さを味わっています。

つきなみのおくる言葉は出てきませんが、たくさんの思い出が一挙に脳裏を駆け巡ります。真冬の山谷越冬で電車の枕木を燃やして(よく燃えるはずが無いのに!)煙い煙い空気を突き破るように、誰かが「みんな幸せになろうぜ!」って叫んだ。誰も返事をしなかったが、それぞれのむねのうちでいろんな声が飛んだのでしょう。人生は長く短い。みんなリャキルナ(悲しい人)なのかもしれない。仲良く生きていこう。とにもかくにもおれたちは今日も命をさずかってしまった。ありがたいことです。これを生かしましょう。大切なことは「人のえがお」、万人は一人のために、督さんも、一枝さんもがんばれ!

◎須釜さんの読経(法華経らしい)に期待しつつ、『歎異抄』を読み返したりしています。「親鸞は父母の孝養のためとて念仏申したることいまだそうらわず。その故は一切の有情はみなもてせせしょうしょうの父母兄弟なり。いずれもいずれも順次生に仏になりて父母もたすけそうらわめ。ただ自力を捨てていそぎ悟りをひらきなば、六道・4生の間いかなる業苦にしずめりとも、まず有縁をどすべきなりと云々」
by issei_tachikawa | 2013-04-19 08:53 | さんきゅうハウス活動 | Comments(0)