道草分が生きる(らいぶ)を豊かに
2013年 06月 17日
いつまでも梅の話題がつきないらしい。大丈夫か学校、遅れないかい。と少し気になり始める頃に、今度は近所の70歳代前半のご夫婦が朝の散歩から帰ってくる。同じように、奥様が梅に気がついて指差すのだが、だんな様はそれどころではないらしい、すたすたと通りすぎて家路をいそぐ。腹が減って梅どころじゃないのかも。
我が家の2階からその風景を眺めていたら、中学生の頃に、朝6:00くらいに前沢くんちに悪がきが4~5人集まってベーゴマの勝負に明け暮れていたことを思い出した。1時間ほど勝負に興じてから、遊びながら瀬田中学へ。川岸に並んで川に向かっていっせいに立ちションするのも遊びのひとつでした。知らないおばあちゃんが、川岸でしゃがんdeようたしている姿が自然teki風景でした。誰も何も言いません。気にならないのです。
道草が多いほど、あとで豊かに生きられるような気がします。いいかえると、目標に向かってあまりにも計画的にいそいですすんでいくと、人間、人生の深みや面白みが実感できなくなってしまうのではないかという危機感をもちます。考えてみますと、日本全体が「yakeatokarano復興」や「おいつきおいこせ」「アジア・世界で一番」を目指して急速な経済高度成長をやってしまったために、多くの失われたものがあるということだと思います。子どもはまっしろです。まだまにあう。貧困・格差をなくしていきたい。過度の清潔・健康ブームもなんとかしたいもんです。