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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

道草分が生きる(らいぶ)を豊かに

道草分が生きる(らいぶ)を豊かに_c0219972_8193388.jpg近所の河合さんちの娘さん(小学4年生)はほんとうにかわいい(親父ギャグではない)。我が家の前のお宅の庭の梅ノ木から道路に落ちてくる梅の実を見て、友達となにやら話している。「梅が車につぶされちゃってるよー!」と送りにきた両親に大声で知らせている姿がまたいっそうかわいい。

いつまでも梅の話題がつきないらしい。大丈夫か学校、遅れないかい。と少し気になり始める頃に、今度は近所の70歳代前半のご夫婦が朝の散歩から帰ってくる。同じように、奥様が梅に気がついて指差すのだが、だんな様はそれどころではないらしい、すたすたと通りすぎて家路をいそぐ。腹が減って梅どころじゃないのかも。

我が家の2階からその風景を眺めていたら、中学生の頃に、朝6:00くらいに前沢くんちに悪がきが4~5人集まってベーゴマの勝負に明け暮れていたことを思い出した。1時間ほど勝負に興じてから、遊びながら瀬田中学へ。川岸に並んで川に向かっていっせいに立ちションするのも遊びのひとつでした。知らないおばあちゃんが、川岸でしゃがんdeようたしている姿が自然teki風景でした。誰も何も言いません。気にならないのです。

道草が多いほど、あとで豊かに生きられるような気がします。いいかえると、目標に向かってあまりにも計画的にいそいですすんでいくと、人間、人生の深みや面白みが実感できなくなってしまうのではないかという危機感をもちます。考えてみますと、日本全体が「yakeatokarano復興」や「おいつきおいこせ」「アジア・世界で一番」を目指して急速な経済高度成長をやってしまったために、多くの失われたものがあるということだと思います。子どもはまっしろです。まだまにあう。貧困・格差をなくしていきたい。過度の清潔・健康ブームもなんとかしたいもんです。
by issei_tachikawa | 2013-06-17 08:12 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)