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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

テレビ、新聞、マスコミ、世間との付き合い方

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昔、中澤満正さんが立川生協の専務理事をされていた頃おっしゃっていたこと、ときどき思い出す。「よしむらくん、テレビなんてあんまりみないほうがいいよ。新聞はたまに、3ヶ月に1回くらい読む位で十分だよ。」と。

その通りだなーと今になって思う。毎日見ていると人間一番大切な感受性ってやつが腐ってくる。もっと的確に言うと、神経の先端が=触覚機能が鈍ってくる。いいかえれば、聞き逃したり(右耳から左耳へのパススルー)して心がときめかなくなる。

でいつのまにか、素直なイエスマンになっていく。

これだけならまだましですが、日本は島国で、経済的・文化的に世界の流れから相対的に孤立している国なので、現存する秩序を守り維持していけば利害関係を守れると考える人々がどうしても政治的なリーダーになっていきがちである。自民党50年間「ドクサイ」民主主義がつづいたのも、それを気持ち良しとして支える人々が多数を占めていたということだろう。

となると気がついたらとんでもないことになっていることがある。オリンピック1964年といえば日紡貝塚、河西主将、大松博文監督(「なせばなる・・」は明治天皇の御詠歌だといっていたが×)、守備の名手、半田百合子さんなど思いで多いイベントだった。競技場で5000mのゴールみているときの日本選手を本気で応援している自分に驚いた。「おれって、日本好きじゃないとおもってたのに、やっぱり日本人なんだ。」と再認識した。

アメリカ女性生まれて初めて話しかけたのもあの時だった。「メイアイハブアぴくちゃーウイズユー」だってさ。おーはずかし!こんなブロークンイングリッシュにも彼女は笑顔で答えてくれた。「ピクチャー?イッツミーンズフォトスナップ?」なんていわなかったよ。

いずれにしてもこれは現場の話。オリンピック云々も現場知らなきゃー結論は出しづらいでしょう。必死に努力している選手にはぼくはいつでもエールを送りたい。でもその時にかならず1つだけ付け加えたい。「世界とか社会が前提なんですよ。」と。さらに「いろんな社会現象に対して、1人の生き物として自分で考えて自分で判断する感受性を磨いておこうね。」といいたい。

1964年を語り継ぐときにも、オリンピック以外の現象、ベトナム戦争、循環性恐慌(サンウエーブ、山陽特殊製鋼、山一證券破産)などのことも忘れてはならないと思う。

オリンピックにかぎらずスポーツという存在が、完全に個人単位で見つめられて評価されるのなら安心して楽しめるのですが、いかんせん今の状況下では、常に国家や「ミンゾク」的な一体感を形成強化することにつながっているので、ぼくは用心警戒してしまうのです。イラク戦争にたった1人で反対した北米の上院議員のような気分かな。

いずれにしても常に自立して氾濫する情報を収集しマネジメントし続けるためには、テレビも新聞も自分で選択して見たり読んだりするほうが安心だと思います。(世界連邦勝手に立川砂川支部長 イッセー)
◎写真は、佐藤幸子さんの本、福島の子ども達の幸せを願う会で購入し読みましたが、福島の事実・真実が自然農やっていた女性から語られたものとして貴重だと思います。発行は、株式会社「創森社」、ソウシンの響きがすてき、でしょ。
by issei_tachikawa | 2013-09-09 09:25 | 国内政治、市議選、国政選挙 | Comments(0)