しげおちゃんこと久富茂夫はいづこ(気にトモシリーズ第17回)
2013年 09月 26日
四条河原町の大書店で、閉店まで気がつかなかったときもある。風貌はといえば、肩より下に伸びる髪とゲバラと聖徳太子2で割ったような立派なひげ、履物はいつもビーサン、ズボンはコールテンの1つだけ。おそるおそる近づいてきた店員に、「お客様そろそろ閉店のお時間でございますので・・」と声かけられて振り向いたら、さらに店員はギョッと立ちすくんだそうだ。
何をよんでいたのかと聴けば、ニーチェ『反時代的考察』(非歴史的・・の方が適訳ではないかともうが)だという。周りはドイツ哲学といえば、ヘーゲル⇒マルクスばかりの頃に、カントに関心をもち、ショーペンハウアー、ニーチェを読み込んでいる友達はとてもユニークだった。彼の部屋で第2章「生に対する歴史の利害」を読んだら、涙が目から溢れてきて・・・
「君の傍らをはみながら行く動物達を見るがいい。かれらは昨日がなんであるか(なぜ過去形にしないのか?・・・イッセー)、今日がなんであるかを知らない。」に始まる文章は、いつ読んでも味がある。「読者を引きづりこむ魅力は、さんきゅうハウスのようだ。」なんっていわれるようになればいいなー。
声を出して読んでいく。これが寺子屋方式の読書法、黙って読むのとは違うインパクトがある。
動物と人間の会話、幸福とは何か、生きることと忘れること、などを論じていくと「魂の造形回復、自己回復能力」の話になる。これはよく茂夫ちゃんがいってたことだな。あの時に泣いた俺は20代に別れた女性のことをおもっていたのだが、ニーチェの問題意識は、民族(ゲルマン?)、人間、文化全般について語っていた。茂夫ちゃんもそうだったともう。
2人でヅカのエンノウにいくときも愉快だった。青春18切符で各駅停車、床に新聞敷いて寝る。彼は車中でもつり革につかまってニーチェを呼んでいた。その裏表紙には、なにやら解読不可能な三角関数の方程式がメモしてあった。彼は物理学部3回生でした。
2人でチラシ抱えてクラス討論にはいったこともある。・・・・で寮をでてから、柏町団地の我が家に宿泊していて、立川生協でバイトしていたこともある。最近手がみが来ないので心配しています。茂夫ちゃん、このブログ読んだら返事よこしてな。あと、どこかで彼を見かけたとか消息について情報入手した人あらば教えてください。(なんか捜査願いみたいになってきたなー)