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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

天邪鬼、へそ曲がり、めだちたがり、多様性の容認

天邪鬼、へそ曲がり、めだちたがり、多様性の容認_c0219972_8555793.jpgこういう記事があった。

「セCSファイナルS・第2戦、巨人3‐0広島」(17日、東京ド)
 巨人・原監督が、菅野に苦言を呈した。完封したが、試合中にはマウンドで笑みを浮かべる場面もあり「にやついて投げているところは、勝負師としての姿勢が必要かな」。第3戦に向け「フラットな形で挑むことを変えることなく戦います」と平常心を強調した。」

みなさんどう思いますか?

監督の野球道徳では試合中に笑み浮かべてはいけないのでしょうか?

昔、法政二校の野球部に村越稔という身長182cm、体重70kg超の巨体で、ファースト4番うってたやつがいた。おれもファーストだったが、是久(弟)が控えで俺は3番手。その村越はなにかといえばことあるたびに、真っ白い歯を見せて笑っていた。

エラーした直後、暴投したとき、クリーンヒットしてファーストベースを踏んだときなど、照れ隠しや歓喜やそのたもろもろの節目でいつも笑顔が見えたように覚えている。僕らの世代チーム自体は甲子園の土踏んだことは無いが、神奈川県大会で決勝までいったことがあるし、4年先輩には、元ジャイアンツの柴田、東映フライヤーズ(今の日本ハム?)是久、日本人大リーガー第1号マーシーこと村上雅則などがいたのでそれなりのマネジメントレベルだったはず。

でも笑顔見せたから緊張感が無いとかいう批判はどっからも生まれなかった。村越はいつもわがやに泊まりに来ていた。豪放磊落にしてやさしい繊細な神経の持ち主、純粋なとこが茂夫ちゃんに似てたナー。

ただし高校生の体験が普遍的事例になるわけではない。原監督にはプロの監督としての配慮を感じる。例えば菅野と原は親戚関係、誰もがマウンドで笑顔作れるわけではないからねたむ人もでかねない。だから万事上手くまとめるために監督は菅野をしかった、こうすれば誰も不満は無いだろうという配慮。

このようにいろんな見方があるだろうが、「勝負師としての姿勢」と「平常心」の表現は個性的であるほど良いとぼくは思う。もちろんみんなニヤニヤしろと言うわけではなくて、むしろいろんなやつがいて面白い社会になるということ。もしかすると、天邪鬼、へそ曲がり、めだちたがりなんて言葉は日本列島内とか日本人同士の間でしか通用しない言葉なのかも、と思ったりして。要は土壇場での余裕をもてるかどうかかもしれないな?
あと、いいたいのはみんな目立ってみんないいってこと。
by issei_tachikawa | 2013-10-18 08:53 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)