おやじ(山本芳郎さん)に改めて、ありがとう
2013年 11月 11日
終了後立川駅北口の「・・・」にて故人を偲びながら会食しました。
印象に残る話を少し。芳郎さんは女1人男5人の6人兄弟、末っ子で長野県諏訪の生まれ。4男の哲朗さんは92歳ですが、足腰しっかり記憶も鮮明、いつも参加者の心に染み入る話をしてくださいます。
昨日は、「感謝」について。芳郎さんは妻子にとってはある意味家族の長として絶対的な愛情と権限を発揮していましたが、いかんせんシャイなひとで、瑠璃子さん(義母)に「ありがとう」のひとことも言ったことがなかったが、もう余命いくばくもないと感じるようになった頃、哲郎さんに頼んだそうです。
「兄さん、おれが死んだら瑠璃子にありがとういってやってくれませんか。」と。ぼくは哲郎兄さんの話を聞きながら目頭があつくなりました。
さらに哲郎兄さんは、2人の娘と合いかた(つまり祐子姉さんと順子、草野孝毅さんと僕)にも「ありがとうをいってくれるように頼まれました。」とおっしゃいました。身に余る光栄です。
芳郎さんからは物に換えられない人生の価値を教えて頂きました。石橋をたたいて渡る後姿に、玉川の父(鋭治)にも共通し、さらに山本の遺伝子に固有の切なさと力を感じ取れました。もっとリラックスしたらよいのにと感じる場面でも、彼は自分なりにパーフェクトな生き方を追求していました。
結婚には理路整然と反対されました。住宅ローンを組み間違えた時には徹底して怒られました。でもあとで出来る限りの応援をいただきました。白樺湖に荷物を運ぶ晩には、1人で大型冷蔵庫を背負ったのには驚きました。すでに70歳は超えていたはずです。車山の上でスキー中に右足首を骨折したら、左足だけで1人で帰ってきたという武勇伝も懐かしい。
芳郎さん、あなたに誓ったことを僕は、子供らは必ず実行します。ストロング・ウイルをありがとう。瑠璃子さん、順子も元気です。ゆっくり休んでください。合掌