どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

希望の原理について(続き)

昔、幸公民館で「役者トレーニング講座」を受けた。センセーは演劇集団「くすのき」の3人。「希望」という与えられたテーマで、誰かがポーズしたら、「それだと紳士服アオキのマネキン人形だよね。」と笑われた。
どうするか?「逆説」というヒントをいただいたので2人一組になり、1人が頭を抱えて前にしゃがみこみ、他の1人は前と同じポーズで合格となった。

絶望から掘り下げていけば希望が見えてくるかもしれない。

(フィクションです)65歳、男性、路上生活5年以上。元はタクシードライバーだった。50代でアルコール依存症に。いま金がない。定職もなくて無一文。家族、逃げられたので1人ボッチ。親死に別れ親戚、弟にもそっぽ向かれる。健康状態、保険証ないので診断受けたことないが、調子よくない。ある日突然路上で息苦しくなって救急車。気がついたら病院のベッドだった。原因は心筋梗塞、何とか退院したが高血圧、血糖値上昇(糖尿病)、でも腹は減る。週4回、さんきゅうハウスで飯にありつけるほかはまともなものは何も食わない。スタッフは、生活保護申請するように勧めるが気が乗らない。生きていてもしょうがないのだ。

自分がこうなったらどうだろうか?よくわからない。

他方で「感謝」できる生活をイメージしてみる。
これも親兄弟、生まれ故郷の自然たち、学校のセンセー、活動仲間、生協の生産者、流通業者、組合員、趣味や地域活動NPOなどの仲間達などがいれば、加齢にともなって「ありがとう」とつぶやける機会が増えてくれば幸いですが、逆パターンもある。

いちど小説にしてみたいナーという気もする。『次郎物語』(新潮文庫上中読んで、今下の3分の1位までいってます。)

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Commented by 宮本里詩子 at 2014-04-10 10:12 x
フェクションでの対応ですが、生きる気力が無い人に生活保護の申請を快諾させるには、どうすればいいかの問題ですね。
当事者は、車の免許があるので移動販売や送迎が出来る人ですし、借金や資産もない人です。
仮に病死されても、死後は誰にも迷惑を掛けずにいられます。
死後も迷惑を掛ける人がいれば、遺された人の分も考えなければなりません。
天涯孤独ですが、生きていなければ出来ない事は沢山、あります。
遣り残された事を取り上げて、生きる気力を見出してあげれば状況は改善されるように思えます。
自分がその人の立場であればの話で、考えてみました。

by issei_tachikawa | 2014-04-09 12:05 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(1)