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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

目標と自由

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自由という禁断の実、人生の目標というこのやるせないテーマ、食べてしまったらもうどうしようもない。無ければ寂しいが持ったらもったで扱いに困る。
自由を意識したのは10代の終わりかな。政治について目覚めてくると、自分と世の中の壁を意識し始める。
自分だけが孤立して悩んでいるだけのような錯覚におちいる。相談する相手が身近に見つからなかったので、貪り食うように本を読んだ。
『自由の哲学』(学生に与う)川合栄次郎に救いを求めた。共産主義には走りたくなかった。なぜ?
なんとなく時代錯誤なかんじ、親戚兄弟の中では話が出来る人も何人かいた。地球物理研究所にいた義兄はその一人。バリケードのときは、彼はピケタイ(学校側)の一員で、全共闘からゲバ棒の洗礼を受けて、激昂していた。
あれから50年近くがたったんだな!その兄も今は他界している。
自由について最近意識する理由は、おそらく、不自由な現実とぼくの感性がぶつかってるんだと思う。
さんきゅうはうす、面白い活動なのだが、次第に仕事が増えてくる。収入は経る一方だから、このままだといつかは破産する。
何とかして起死回生の一撃をとたくらんでいるのだが、なかなか名案が浮かばない。自由という禁断の実=定年退職を食ってしまったので、これは当然の結果なのだろう。目標は、困った人を見捨てない、支えあいの地域づくり、具体的なやり方はさんきゅうハウスてきつながりの拡大。
10年はかかるだろーなー。できれは、あと1ヶ月で目鼻をつけたいもんだ。
目標持ちながら自由を楽しんで生きていく、こんなことってできるんじゃろうか?メイビーイエス、あなたしだいでなんとでもなるのですと自分にいいきかす。

by issei_tachikawa | 2014-05-17 13:27 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)