どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

不思議な1日でした

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麻雀クラブで、国士無双たっせい!ぼくは、小学生の頃からやっていましたが、国士は初めて、配牌時にいーしゃんてんだったのですから驚きです。
次のびっくりは、さんきゅうハウス「農園&花畑」に、ケティさんが植えてくれた「被ばくはまゆう」の花が咲こうとしています。「明日開くよ。」って師岡さんがいってました。明日は、カフェなので、見たい方はぜひ!
そんで極め付けの3つめは、しげおちゃんこと、久富から電話が入ったのです。なんと30年ぶりやで!彼と出会ったのは、熊野寮A棟3階のころ、おれは30歳で入学、彼は27歳だった。
塚集会(にきそし)の話を熱心に聞いていたかと思ったら、「じゃいこか」て立ち上がる。そのまんまですよ。着替えも荷物もなにもない。サンダルはいて、援農へ。2人は1時間後には「人民列車」に揺られていたのです。
現地での会話も彼らしい。田んぼにくちばしの長い白い鳥がいる。指さして「あれなんだかわかる?」て聞いたら、「トリやろ。」と笑顔で答えるんです。大笑い三四郎だよ。
寮ではいつもニーチェ(またはショーペンハウアー)だったなー。非歴史的考察の「動物とひと」のところ声出して読みながら泣いたっけなー。哲学書読みながらなけたのなんて、人生あんときだけだよ。
貧乏学生には立ち読みが良く似合う。京都四条の・・堂で閉店時刻になってもニーチェ読んでいる。女性店員がおそるおそる「おきゃくさまー、そろそろ・・・」と声かけると、長髪ひげ面にたまげたものです。
あのときは理学部3回生でしたが、ヅカの分裂騒ぎに巻き込まれて、退学し、あたまおかしくなって砂川にもきた。立川生協でバイト中は柏町団地の我が家にいそーろーだったな。そのままいてくれたほうがよかったのですが、群馬の高崎で先輩がやってる塾の講師やるからといってでたきりになってしまった。時々、ながーい手紙が来た。世界金融危機、天皇制の歴史と継続理由、などについて。
そのうち便りが途絶えてもう30年近くがたつ。実は死んだのかもというこころづかいで、じゅんこにはいえなかった。
そしたらこんばんのでんわだよ。「NPOの映画製作手伝ってる。立川生協で世話んなったひとにビール券送りたいので」ということ。「会いたい!今すぐこい!」といってしまった。
きっと再開できる、と信じています。
●写真は、被爆はまゆう。詳細に関しては、ウキぺディアで。

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by issei_tachikawa | 2017-06-15 00:00 | 気になる友達シリーズ | Comments(0)