どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

カテゴリ:イッセー心理学、行動哲学、唯身論( 81 )

ほめると叱る

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最近は「叱ったり、しかれれたり」も体験しづらくなってきてるみたいですね。昔風の愛のムチ(鉄拳せーさい)なんてのも論外になっています。
俺らの小中センセーはよくなぐってたなー。おれも小学校4年から中学校3年まで、すべての担任からなぐられた。でもおれだけではない。そのキョーイクは日常だった。(昔が良いといってるのではありませんからね)
親にも言わなかったし、たぶん教育委員会(そんなんあったんかいな?)もうごいたことがないのでは。
おれはどんなときになぐられたのか?
1つ、授業を集団でさぼって、河原で野球をやっていた。昼頃戻ってきて、校庭まで給食持って来いと要求していた。クラスの男子の90%は参加していたとおもう。来なかった人の名前は今でも覚えている。(しつこ!)
2つ、同じく授業開始のベルを無視して「校舎に向けて」ソフトボールをやっていた。今考えてもむちゃくちゃや。殴られて当然の悪ガキだ。長野センセーは、教師になって初めての体験だったらしい。竹のムチで、おれのみけんを十文字になぐりつけた。
3つ、同じような状況下で、蒲池センセーから、平手打ちでなぐられた。3年の川崎育太センセーはサウスポーだったから左の平手打ちだった。
親も結構スパルタだった。祐司兄は、盆栽修行中に土間に正座させられたまま、おやじの仕事ぶりを始動されたという話を本人から聞いた。おやじは西勝造さんの弟子だったころは、兄姉を道場に連れていき、「6大法則」の実践を教育したらしい。兄姉の中で素直にいうことを継承している人はいないのではないかと思う。
こんな感じで昔の人は若者教育していたのですが、今は打たれ弱い人が増えている。困ったなー。俺にも解決策はだせないでいます。ただひとこと、「ほったらかしがベター」ということだけはいっておきたいです。生き抜く力は、とどのつまり、体内からこみ上げてくるものだと信じています。仲間がいてくれればうれしいですが、まったく一人で「遠藤へーぞー」(夜回り猫)やらなくてはならんこともあるしね。
◎写真のケーナですが、今は5代目のお世話になってます。ケーナを吹くんではない、ケーナが泣くんです。悲しみを乗り越えてみんな「リャキルナ」(悲しい人)やから。


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by issei_tachikawa | 2017-02-05 10:27 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)

ほめるとあまやかす

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似て非なるものなんですよ。といっても?の人、反論してくる人、世の中面白い。最初の質問ですが、アナタ褒められたこと、ほめたことってありますか?いつ、どこで、だれを、どのように、相手の反応はどうでしたか?
答えられない人が多いです。その理由を考えて、いまの答えですが
ほめられた体験がないのではないか?と思います。家庭、学校、職場、地域、の本全体が減点法社会なのではないかと思います。(昔、保坂くん=現世田谷区長がおなじようなことどっかで書いてたよな。)
学校の試験、100点満点、そこが目標、1つ間違えれば5点減るとか。パルシステムの職場でもむかしたくさんの苦情が出て、「ちゃんとやっててもまったく評価されてるのかどうかわからんのに、1つでも間違うと鬼の首取ったかのごとく叱られて・・」という係長が課長とバトルしていたことがありました。
そういうときどおする?
ほめられたことない、じっさいいまくさされているひとまえにして、そのひとをほめてもほとんど効果が期待できません。
そこで長期にわたる観察、寄り添い行動を続けます。持久戦だよ。終わりが見えない。でも必ず成果が見えてきます。
人間力ってやつは、いつもは眠ってるんだね。それが何かをきっかけにして力を発揮し始める。いまのミヤちゃんがそうだな、彼はのんだくれだった。彼と一緒に救急車なんか祈ったか?忘れるくらい乗った。で、死のがけっぷちまでいってえんまさまに言われた。「まだおまえがくるところではないよ。」って。三途の川は渡らずに済んで、今はカフェでシェフやってる。夢みたいだろ!1年前は、井の頭病院に監獄だったんだよ。
甘やかすってのは違うよ。今の母父みてると、両極端な気がします。子どもが泣くとおろおろして対応するばかり。その瞬間がチャンスなのに。転んだ子を抱き起してしまう。ちがうぜ!起き上がる力は、自分の体内に眠ってるんや。結局、現状打破のエネルギーは、それぞれの体内に眠っている原始のえねじーを信頼するのが一番なのかなーと思います。
「コブラのマーク」が聞こえてくるぜ。18日は、くんちゃんカフェのあと、KING-1ピースのライブです。申込はいっせーまで。
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by issei_tachikawa | 2017-02-04 21:47 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)

孤立と自立、個人と連帯


ハロウインの渋谷、だったよな?「ひとりぼっち」の若者が、群れを求めて集まり始めているというテレビ報道、2年目だという。
へそまがりのおれには、なんか違和感が生じる。
ひとりっきりになれない日本人、集団の中でしか自己確認できない人々、そこで商売するマスコミだから、当然受け狙いに走る。
ここ一番の日に一緒に祝うともだちがいないって、不幸なんですよと報じる。それをきくと自分はどうかなーと問いかけるやつが増える。いや、存在している。こういう風景、もう50年間以上見続けながら、ふだんはなにげなくみてみないふりしてくらしている。
でも、逆のうれしいニュースも聞く。
今日のカフェで、トシさんから聞いた話。38歳の時、サラリーマンやめて、世界88か国放浪の旅に出た。南米のアコンカグア(6000m以上)に一人でのぼった。
7号目あたりで吹雪の夜を過ごした。強烈なアンデスの突風、テントを両手で支えながら徹夜したという。死ぬかもという恐怖、もう一人の自分と対話するしかない世界。
それを乗り越えて快晴の翌朝、頂上にたったときの歓喜!太陽がありがたい。
おれも似たような体験がある。キョウジュンでぱくられ23日間の拘置所ぐらし、壁に貼ってある規則を暗記するくらいに読み漁る。ひとりっきりっていう貴重な体験。
あと、京都のアパートで、誰とも話せない生活数か月、狭い部屋の左右の壁が閉まってくるような錯覚、ラジカセのテープを録音にして自分の声を入れる。それを聞きながら自分の声と対話する。まさにひとりぼっちなのだ。
がしかし、ものがたりはここからなのです。こういう体験があるから、ひとりで他とまじわれなくなっている人の、心中を察することができやすいのかもしれない、とおもう。人が怖い、人の目がつらい、でもひとがこいしい、どうしたらええねん、この悩みに答えようとする毎日が過ぎていきます。今日もいろいろありましたが、生きていてよかったです。

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by issei_tachikawa | 2017-02-02 20:19 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(2)

信頼と信用

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前にも書きましたが、2つは似て非なるものだと思います。『信頼してるよ』という場合に、相手に担保や「文書」を要求するでしょうか?メイビー・ノー。
信頼は裏切られるかもしれない、裏切られてもかまへんかまへん、そのような了解がこちらがわ(信頼を寄せる側)にあるばあいに成り立つ間柄、それが信頼だと思います。相手がどう思っているかは二次的なことなのではないか。
極論:昔、連合会(首都圏コープ)職員で、面白い人がいた。「早稲田大学理工学部卒、コニカから移ってきた。学生時代にハンドボール全日本の監督としてモスクワ五輪に出た。娘が障碍者だが、家族でがんばっている。東大からもオファーがあって、講師をしている。」とのこと。
ぼくは彼を信頼していました。しかし、履歴のほとんどすべてが嘘であることがばれました。「娘の薬を入手するためにしばらくヨーロッパにいく。」と言って、休暇をとっていたところ、おかしいと感じた上司が早稲田、東大に電話して確認したら、彼の履歴のすべてが嘘だったことがあきらかになり、休暇申請の理由もうそだとわかり、解雇処分になった。
それから数か月して、高田馬場のホームで彼と出会った!驚いたことに、彼は、まったく悪びれていない。「これから・・・の研究所にいくんです。」と笑顔で語る。これには心底驚きました。「よしむらさーん、まったくひとがいいんだからー。」とからかわれたりもしましたが、ぼくは反省していません。
もうひとつ、最近のつきあいで、「大型トレーラーの会社を立ち上げた。」という人がいます。さんきゅうカフェのお客さんの一人ですが、先月末の寺子屋で、「1000円貸してくれませんか。」といわれたので、いつもの通り「ぼくは金銭の貸し借りはしないよ。水は高きより、金は多きより、流れ流れて回ってゆく。今はすこしあるんで、あげますよ。かえさんでもいい。」といって1000円上げました。
そしたらある人にきいたら、「あいつは会社なんかやってませんよ。みんな嘘で、たぶん・・・」という話でした。
以来彼の事が気になっていて、今日噴水公園で出会って手を振りながら、こう考えたのです。
「だまされてもいいが、だましてはあかん。」と。
ぼくの他者への信頼には限りがありません。べつに宗教的な意味ではなくて、信用の制度化を克服するためには、限りなく贈与、喜捨の仕組みを広げてつながりを密にしていくべきだと考えるからです。「あったかいお金」を回せる仕組みづくり、まいにちこつこつと積み重ねていきます。
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by issei_tachikawa | 2016-11-06 18:01 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)
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今朝ふとおもたのですが、目の前で誰か死んでいるのに、その人の体に鞭打つことは、まあ考えにくいなー、と。
で、最近シェアした癌とタタカッテいる女性のコメントをシェアしたことを思い出しながらこう考えました。
むしろ遺族の事かんがえるべきだっていうことではないか。それと「死者」の意味合いは、現状でやばい状態にある人のこともふくんでいるのではないかと。
そうかがえると、いままで、無神経な健康理論をストレートにふりかざしてきたのではないか、という不安が生じています。
いっせーの暴言で、傷ついたままのひとも多いかもしれない。本当に申し訳ない。赦して下さい。気づきを導いてくださった何かにありがとうです。

生と死、隣り合わせの日常、いついっても思い残すことがないように、他者の笑顔・万物命の循環・贈与し続けて喜んで捨て続けること、今日も楽しい一日にしていきます。

さんきゅうカフェ、きのうの「おすみさんの和定食」、力はいってたなー。でもなんか悪いなーという感じもしてます。無意識の競合誘い掛け、けっしてそんなきもちでブログやってたわけではないんですが、カフェのシェフさんは合計で6名もおねがいしてますから、各自の持ち味でやっていただければ十分ありがたいです。お客様にも伝わるはずです。「おまかせセットて何?」の意味が問われていますね。今日はきよし&だいすけカフェ、どんぶりもんで勝負らしい。食べに来てくださいね。
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by issei_tachikawa | 2016-09-30 09:59 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)

自立と一人前

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人は何をもって自立しているとみなされるのか?
1つは、こころのありかたかな。これってむずかしいな。外出、旅行、意思決定などでかならず他者の存在がほしいひと、依存的というのかなー?協働性についてはどうかなー。
2つ、経済は比較的わかりやすいかも。ビジネス世界で、補助金・寄付金・ボランテイに頼っているNPOなどは非自立とみなされやすい。個人の家計でも、おやのすねかじり続けている間は非自立に分類されるだろう。
3つ、政治ではどうか。7月に行われる参議院議員選挙、自立した選挙民は自分の判断で議員をえらぶ。非自立の人々は、マスコミにおどらされて、右往左往しがちである。安倍内閣の支持率なるものに日本の有権者の自立度が現れる。
比べて、一人前という尺度をあてがうと何が見えてくるか?
1つ、自立していても一人前ではない場合がある。たとえば経済、いちおう親から独立して働いているとする。でも預貯金はできない。足りなくなると親に頼んで借りたり、もらったりでは、一人前とはみなされないだろう。一人前になるって何なんだろー?
人はみな人の存在を前提にして生きている。いいかえれば1人ではいきていけないのが人の宿命、「人間とは社会的存在のアンサンブルである。」とマルクスはいっていた。
脳科学では「ニューロン」が発見されている。他方で、「共依存」なんてことばもある。アルコール依存症の友人にニコチン依存症の友達が寄り添う状態がそうだといわれることもある。
でも、人はあるいみ誰かに、何かに依存して生きているのではないかという気もする。
わからなくなってきた。一人前って何なんだろー。こどもらを一人前に育てるにあたって、大人の方も足元を見つめなおした方が良いと思う。
儒教道徳、侍精神、日本思想のなかに、なんらかのヒントはないのだろうか???
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by issei_tachikawa | 2016-04-14 22:52 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)
ぼくは「仕事の歌」を時々思い出して、歌いながらチャリをこいでいく。さんきゅうハウスで突然の告白というより過去をたんたんと語る人に会うとうれしくなる。その人に質問したわけでもない、頼んだわけでもない、自分で自分の家族関係、生い立ちを語り始める。「今までいいづらかったんだなー、そうだろーな思い出したくねーってことも多いからなー。」と思いながら、ようやく生まれてきた信頼関係を実感できてうれしくなる。小さなことの積み重ねだな。
あと、道でよく会う「元利用者」(今は年金生活者)から「こんどのもうぜ。」と誘われるのもうれしい。5月から6月15日まではたけのこ生活なので苦しいのですが、まあ何とかして3000円程度の金はつくれるだろう。OKした。「でーじょーぶだよ俺が出す。」といってくれるのはこれまたうれしいが、まさかねー。なんとかしよう。
そうだ、「仕事の歌」を仕事が無い人たちの前で歌うのはきついなー。やめとこうと今では思える。昔、鬼公園の夏祭りに「とろん」も来てくれた日、うかれて歌ってしまったが後で反省しました。後の祭りなんてしゃれんならねー。
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by issei_tachikawa | 2015-05-06 11:08 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)

自立ってなんやねん?

自立っていうけれどその概念をしっかり措定してみたい。でないと進捗をはかりづらいからね。ぼくの場合に限定して関心ごとのポイントをいいます。
1つ、あらゆる組織からの自立?(家族?、地域共同体、会社、行政、国家)
2つ、女性が担ってきた家事からの自立。特に食
3つ、医療機関、医者、西側的医学からの自立。具体的な話では、定期健診から日々刻々自己健診への切り替え
4つ、死の恐怖からの自立...
5つ、くらし必需品を分業に任せてしまう自分からの解放(みそ、米、野菜、何でも自分でつくればうめーもんだぜ)
逆も考えてる。連携し協働したい相手さんの顔を思い浮かべる。ただしこちらのテーマは「さんきゅうハウス」、パルシステムとして追求しています。
ピケティの『le Capital』(翻訳題名は「21世紀の資本」、原題と少しニュアンス違うがまあいいか、販売促進目的のタイトル設定だからな)、去年12月8日みずず書房から出て5500円もつけとる。まあ、なんちゅうかこれでも1万部くらいは売れる見込みなのかな?
おれは買いたくても買えないよ。だから幸図書館にリクエスト。しかしだ、現在中央図書館が購入手続き中で、予約が10名入ってますだと。1人2週間の貸し出し期間だとすれば、140日、やーめたっと。
おれがかいてやろう、現代の『資本論』を。
実は、6つめの課題は、頭の良い(と思ってる自己過信の強い人も含めて)やつらからの自立というのがおれたちのテー麻なのさ。「戦争しか知らない子供たち」(頭脳警察)

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by issei_tachikawa | 2015-01-07 14:32 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)

目標と自由

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自由という禁断の実、人生の目標というこのやるせないテーマ、食べてしまったらもうどうしようもない。無ければ寂しいが持ったらもったで扱いに困る。
自由を意識したのは10代の終わりかな。政治について目覚めてくると、自分と世の中の壁を意識し始める。
自分だけが孤立して悩んでいるだけのような錯覚におちいる。相談する相手が身近に見つからなかったので、貪り食うように本を読んだ。
『自由の哲学』(学生に与う)川合栄次郎に救いを求めた。共産主義には走りたくなかった。なぜ?
なんとなく時代錯誤なかんじ、親戚兄弟の中では話が出来る人も何人かいた。地球物理研究所にいた義兄はその一人。バリケードのときは、彼はピケタイ(学校側)の一員で、全共闘からゲバ棒の洗礼を受けて、激昂していた。
あれから50年近くがたったんだな!その兄も今は他界している。
自由について最近意識する理由は、おそらく、不自由な現実とぼくの感性がぶつかってるんだと思う。
さんきゅうはうす、面白い活動なのだが、次第に仕事が増えてくる。収入は経る一方だから、このままだといつかは破産する。
何とかして起死回生の一撃をとたくらんでいるのだが、なかなか名案が浮かばない。自由という禁断の実=定年退職を食ってしまったので、これは当然の結果なのだろう。目標は、困った人を見捨てない、支えあいの地域づくり、具体的なやり方はさんきゅうハウスてきつながりの拡大。
10年はかかるだろーなー。できれは、あと1ヶ月で目鼻をつけたいもんだ。
目標持ちながら自由を楽しんで生きていく、こんなことってできるんじゃろうか?メイビーイエス、あなたしだいでなんとでもなるのですと自分にいいきかす。

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by issei_tachikawa | 2014-05-17 13:27 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)

夢見る人と見ない人

c0219972_17193076.jpg夢を全く見ないという人がいる。不思議だ!おれは毎日のように見ているというか、夢と現実の区別がときどき危うく感じられるくらいに夢見んは日常と化している。
今朝の夢⇒どこだか見知らぬとこで歩き出したら家に帰る方向が分からなくなった。ちょうどおっさんがたっていたので「たちかわはどっちの方向でしょうか?」と聞いたのだが、「今つりで忙しいので」と断られる。
いけずー!(いけのはたのずいき)とむかついたら目の前に金魚すくいが現れる。いけずのおじさんが金魚をすくっているのだが、どうみてもその金魚、あと何時間かでお陀仏の感じ、それをあえてすくおうとしているおっさんの気が知れない。
「なんでその金魚なんですか?」という強い疑問符を突きつけたら、そのおじさんは消えてしまって枕元には「白州の水」が入った水筒が!目がさめたのだ。
夢はREM睡眠(ラッピッド・アイ・ムーブメント)下で見るので、ノンレム睡眠が中心の人はでは見ても記憶に残らないのかもしれないな。そういえば、夢見ない友達に聞けば、「4時間寝れば十分、毎日朝4:00おきで、人生を楽しんでる。」ということ。なるほどなー。
(転調)Kさんお見舞いに行ったが会えなかった。面会時間は、月曜から金曜日は15:00~20:00、土、日、祭日は13:00~
20:00なんだと。おれはさんきゅう食堂終って14:30頃病院についたのですが、ルールはまもらんとあかんので次にしました。家に帰ってから、フードバンク山梨の米山さんに電話、9月の研修の件、心よく引き受けていただきました。さんきゅうハウスの利用者・スタッフ・入居者・連携先のスタッフで、9月の下旬に企画します。バス旅行になるかな?1泊2日、コレって初めてだよな。夢叶う?
次に、パルブレッド橋本さんに電話。パンの引き取りは、金曜日が良い(ベター)みたいね。今年は連携事業なので、連携先を含めて一定量を定期的に確保する必要がありますので
写真のスニーカーは、おととい買った物、5.11の「反基地駅伝」(8.5km)で使います。毎日10kmくらいは歩くかてれてれ走るかしています。順位とかスピード(タイム)なんて問題ではない、この年でこんなことをやりたくなる気と肉体に恵まれていることに心の奥底からありがとうです。
夢見るのも自由、見ないのも自由、自由を束縛してくるあらゆる権力的な政治に叛旗を翻しながら歩みつづけます。
いつ死んでも本望のイッセーです。

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by issei_tachikawa | 2014-04-22 17:19 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)