どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

カテゴリ:共育、子育ち、おやじの背中( 8 )

c0219972_13253799.jpg盆栽づくり(家業)のお手伝い、強(教)育、玉電の石垣にこけ採り、兄と

肥料団子づくり、貝殻・こっぷん・腐葉土まぜて、悪臭我慢

年末に、年賀用の福寿草セット(笹、やぶこうじ、雪割り草、しだ、福寿草など)、正座して仕事する父の姿、生涯現役(84歳)、道具を磨く表情と手つきから盆栽職人の魂を感じ取る

近所の米屋さん(河野商店)で持ちつきのバイト、蒸篭から立ち上る湯気、小屋いっぱいの笑い声、ギーボウ、ドン、のんたん、なべちゃん、兄貴(川辺の)、米屋の叔父さんおばさん

買い物(おつかい)はほとんどなかたかな?御用聞きが多かったので。創世記のコープ神戸(灘神戸生協)みたいだな。

(近所のうちで)
電気冷蔵庫の立派な様、バナナとゴールデンデリシャスに驚いた。我が家は氷冷蔵庫。トヨタ自工社長、神谷庄吉さんたくで、あきおちゃんと、でかい錦鯉にも羨望の気持ちが?

西村さんちで卓球練習 小学校4年から

(泥棒も遊びのうち?)
精華堂文庫の敷地(6万坪以上?)の柿木から、柿をもいで、ズボンでつくった袋に入れてもってくる。今なら警察ざたでおなわになる

(なんと交番のおまわりさんも友達)
金田さんは親切だった

(木登りが楽しみだったなー)
岡本神社の下のつばきは今も健在?岡本民家園の上にある

(自然を眺めているだけでも十分わくわく楽しかった)
裏山に寝に帰る鷺の大群、羽音、轟音、杉の木に数百羽がとまると花が咲いたよう
庭に突然侵入してくる何十匹もの野犬か野良犬か身元不明犬の群れ
◎画像は復活した自然の象徴(ソウルの川、チョンゲチョン=清渓川)、神田川、善福寺川もぜひ、まだまにあいます。
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by issei_tachikawa | 2013-07-26 13:21 | 共育、子育ち、おやじの背中 | Comments(0)
c0219972_8154880.jpgアソビ場は東京都の世田谷区岡本でした。保坂くんが区長になって脱原発の運動が盛んな世田谷区で僕が生まれ育ったという事実も何かの縁、だろ!

自然が豊かだったので1人でも時間を忘れて遊びました。たとえば魚とり、網で取る、せき止めてとる甲斐掘り方式と2つあった。網は、三角網と丸網、三角だと収獲量が多い。川下の方からあがってくるのがこつ。水がよごれるからね。こういうことはやりながら学習したということと、誰かに教わったということだと思う。先輩とか兄貴とか同級生とかだろうね。(取れた魚は、フナ、たなご、ぜにたなご、はや、雷魚、うなぎ、鯰、鰌など)

獲った魚どうしたのか?一部は七輪で焼いて食べたが、大部分は自宅の池に放したのだと思う。だから命は絶やさない。洪水でイケが溢れると魚は川に戻れる。しかしかわせみや鷺などの野鳥に食われてしまうこともある。これも命の循環だな。環境都市江戸を思い起こさせる。

夏の早朝は、岡本神社の裏山の斜面まで約5分あるいて昆虫採集に行く。比較的若い、育ち盛りの栗の木の地面から1mあたりにたくさんいたような気がする。カブトムシ、鍬形(クワガタムシ)、紙きり虫、都蜆(みやこしじみ)、かなぶんもたくさんいたが雑魚のように無視された。これが夏休みの宿題活動をかねていたところが実に合理的だと思う。そしていちいち大人が指図しないから、自分で調査して考えて判断する、森林の中で生息地を発見するのを自分だけでやりながら、「全体を見て先を読む」原初的な力、動物的な本能磨けたのではないかと思う。

あと、毎年違うアソビがはやった。伝書鳩の飼育訓練レース出場、船(戦艦、大和・武蔵)や飛行機(たぶんゼロ戦や紫電)のプラモデルづくり、切手収集などなど。伝書鳩の餌や水やりはじぶんでやるし、はと小屋だって自分で修理する。レースにでたことがなかったが、日本地図を見ながら青森-東京間600km(?)レースをイメージしたりするのは子どもごころをときめかしたのだと思う。ブルーハーツが飛び出してきそうだ。

はとの餌は溝の口(JR南武線と田園都市線)までチャリで買いに行く。これは良い運動にもなったし、まち歩きの原点にもなった。

兄貴達が遊んでいるのを見るのもアソビ=勉強になっていた。野球、水泳(家の前の川=ジダユウ堀は水深深くて綺麗だったので泳げた)、なんとマージャンは小学生で覚えてしまった。兄貴(かねちゃん)のおかげだな。

友達(ドン、ヤンジ、吉井)の家に泊まって将来を語り合うのも楽しみだったがこれは中学生の頃だったと思う。しかし家と家の間を隔てる敷居はあってないようなものだった。少なくとも子供にとってはね。地域共同体がそこに実在していること、大人にとってそれは共同体維持に関するさまざまの約束事や分担労働をかせるもので、辛い義務的要素もあったのだろうが、子どもの共同性を養うにはありがたいことだったと思う。

遊びと書いてみたが、実は学習だったこと、計算や暗記などの勉強は全くしていないこと、豊かな自然と交流できて幸せだったことを思い出しながら、「10歳までは夢のなか」(R・シュタイナー)を思い出しています。イッセーの自己採点、日本の小学校では落第生でもシュタイナー学校だったら優等生、だろー?!(国立の自主学校「遊」と連帯しながらともに歩み続けます。寺下君の行動にもいつも連帯しています。)「明日に向かって撃て!」そうすれば、なくなりそうな明日を何とか住み続けられる地球として残せるのだと信じています。
◎画像は、最近出した「ベトナム反戦闘争in砂川」(新泉社)の写真集です。ぼくもちょこっと文書書かせてもらいました。懐かしくもあり現在的意義ある写真が96葉(早大カメルポ研提供)、見たい方は連絡ください、待ってます。金がない方にはただで見せます。販売価格は2000円。
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by issei_tachikawa | 2013-07-26 06:11 | 共育、子育ち、おやじの背中 | Comments(0)
c0219972_21304934.jpg思い出深いのは「Sケン」または「エス型」、校庭に棒枯れ枝などでS字を書く。グループを2つに分ける。敵と味方、叉は赤組と白組。Sの中に入れば陣地なので、両足付いても良いが、一歩外に出たら島以外ではケンケン(片足跳び)で動かなくてはならない。手を自由に使って相手を倒したら勝ち。一定時間に何人の相手を倒すか、逆に言えば何人が倒されないで生き残るかが勝敗を分ける。たくさん残った組が勝ち。

次は「ベーゴマ」、朝早く通学途中の友達の家の庭でやる。たるの上に皮のシートを張って、リングにする。駒は紐でまわす。紐の先端に2つの結び目を作るのが特徴。1対1の勝負、平たいのと背の高いおしりがとんがったのとがあって、後者はガチャに使う。平たいのを上からぶつけて、リング外にはじき出すのだ。リングアウトしたり、リング内でさかさまにひっくりかえったら負け。買ったほうのベーゴマが増えていく。

あと、「かくれんぼ」、「かんけり」、「零歩一歩」なんかもやったな。

途中で禁止になったのが馬跳び。馬になるグループは4~5人組、その馬に後ろから飛び乗ってつぶすほうも同数。じゃんけんで勝ったほうが飛び乗るほうになる。これがもりあがりすぎて、どこかで誰かが骨折ったりしたんだと思う。あるときから禁止されてしまった。

ちゃんばらもよくやったなー。刀は木を切って自分で作る。ということは小刀を各自がもっていたということ。これを今の小学校で生徒に自由化(というか義務化)して成功した校長がいた。元柏小学校校長、とおるちゃんこと宇都宮透氏、例の豚の校長、真壁繁樹さんの同志だった。

今考えればやばいこともやっていたな。誰かをお宮の急斜面から突き落とすのだ。やられる子は決まっていたと思う。少なくともおれはやられたことがない。なぜか?ひどい話だが当時は「いじめ」という言葉すらなかったし、やられても親や教師や警察が出てくることはなかった。やられ役の子供はどうなったのだろうか?ぼくはいじめっ子よりも数倍強い大人になったのではないかと思いたい。(証明できませんがそう信じたい。希望の原理、ヘーゲル『精神現象学』主と奴)

集団で取っ組み合いの喧嘩も遊びのうちだった。必ずグループにはガキ大将(ダイショウ)がいて、グループの動きを取り仕切っていた。ニコタマ小4年3組Fくん、他方でそのリーダーシップをよしとしない少数派(4人組)もいて、イッセーはこちら側だった。実践対決になると4人組が勝ってしまった。学年同士の乱闘も、正々堂々校舎の廊下でやっていた。5年のときに6年生からはねごしで床に叩き付けられたりした。

今の子供たちにこういう遊びは許されないのでしょう。それをどう見るかは大きな問題ですね。いい悪いではなくて、当時の男の子の遊びを通じて、やられてもやり返す強い心身が鍛えられたという側面もあると思います。あと殴り合いの喧嘩も、痛みを共有できる、手心くわえるこつをつかむという利点もあったような気がします。「男女7歳にして席をおなじゅうせず」ではありましたが。

女性グループに入ってゴムとびしただけで、男グループから村八分になったやつもいたなー(笑い)
◎画像は、イッセーにケーナと出会わせてくれた多田さんの音具たち。永久に大切にしたい子供性とはなにか?
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by issei_tachikawa | 2013-07-25 20:09 | 共育、子育ち、おやじの背中 | Comments(0)
c0219972_21203373.jpg杉並区をに流れる善福寺川は中野区の中野富士見台駅付近で神田川に合流し隅田川に注いでいる。神田川と言えば真鯉、この魚はチョーしぶとくて雑魚がすめないような川でも生き延びている。ただしいつまでもつのかわからない。神田川を見ていると、京都の鴨川、ソウルのチョンゲチョン、玉川上水などは別世界のように美しい。

井荻小学校の校庭を流れているらしい。当時5年の生徒達は住谷先生の環境授業をつうじて、「鴨川は地域住民の活動もあって綺麗になったらしいけれど、善福寺川がどうなんだろう?」と言う疑問をもった。そこで先生が(メイビー)、地元の環境NPOに依頼して、話を聞いた。川が汚れていて、ひとと川が切り離されてしまっている現状に対して、さらに生徒達の疑問が強くなっていった。

それで彼らは自分達でできることをやろうとはじめた。今の川がどうなっているのか調べて、ごみなどを拾ってやれることをやる。川に入って生きもの調査などを続ける、仲間を増やす、楽しんでやるの積み重ね。 好き・嫌いだけではなく、不思議・秘密というテーマへの子供の感受性が育ってゆく。

今では6年生から5年生へのバトンタッチ、全校生徒への関心の広がりが実現し、全学年でプロジェクトが組まれている。2010年杉並区から青少年表彰されたのも励みになったという。続いて2011年区主催のシンポジウムでの発表も生徒達のやる気を鼓舞することになった。井荻小学校の住谷先生たち、NPO法人杉並環境ネットワークの境原さん、九州大学の島谷教授、地域のもなさんなど沢山のおとなもこの活動を応援している。

比較)京都の鴨川、熊野寮祭、鴨川レース、商店街から資金カンパ
ソウルのチョンゲチョン
玉川上水、小平市内と立川市内(風景の違いは住民運動と行政の姿勢の違い)これらの点は、改めて時間があるときに補足いたします。

◎今日の記事は、『水の文化』(ミツカン水の文化センター、2013年2月号)編集長 賀川一枝さんから提供していただきました。賀川さんからは毎日のようにメール通信も拝受しています。情報提供・啓発についてこころから感謝の意を表します。ありがとう!
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by issei_tachikawa | 2013-03-19 15:18 | 共育、子育ち、おやじの背中 | Comments(0)
c0219972_11124355.jpg・元西砂小学校校長、1946年7月生まれオレとタメ年、52才の時学校で豚を飼おうと提案した。
・西砂町の養豚化軒中2軒の子が在学していた。「子どもがからかわれたり差別されないか心配だ。」という酪農家からの疑問が突きつけられた。
・全ての疑問を父兄、教職員から出してもらって全てに回答した。わからないものについては、仮説を提示して納得してもらった。
・いろんなことを発見した。「豚は綺麗好きなので、決まったところしか排泄しない。ブラッシングが大好き。」「当時の小学生は今18歳前後、大学生もいる。豚を馬鹿にするような人には育っていないと確信している。」ベジタリアンになった子はいるだろうか?これはオレの質問。
・「校長がかわったときに6年生の生徒が『豚を飼ってください。』と頼みに行ったんですよ。」とうれしそうにしゃべる。2人顔見合わせて高笑いした。小学校教育当面の目的成就か?
・いずれにしても小学校当時、彼のような先生には出会えなかった僕が40年以上の寄り道・裏街道・脱線転覆紆余曲折を経てベジタリアンになり、すんなりとライフプラン通りの進路を歩んだ人が社会常識の範囲内での食を守っていたり、人生いろいろなのは面白い。ベジタリズムについて話す前日にとても参考になるコトを聞けてよかった。
・熊での打ち上げ(マルシェの)から一緒に帰ってきて、明日のレジメを上げた。サラの10年誌『さらばあさんの覚めない夢』も差し上げるつもりで出したら購入していただいた。かえって恐縮です。
・自宅在庫が減ったので、来週月曜日に補充しよう。
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by issei_tachikawa | 2010-11-27 23:54 | 共育、子育ち、おやじの背中 | Comments(0)
c0219972_919717.jpg・JR中央線の南口降りて大学通りを歩くと障害者スポーツセンターが見えてくる。そこを右折してさらに100m位歩くと右側に「遊」がある。目の前が国立○○会館という絶好の立地条件、生徒は30人くらい。小物ショップも経営している。
・学校法人の認可はとっていない、だろ?でもここを選ぶ親子がいる。和知さんが東大やめて何人かの元教師など友人と一緒に立ち上げてから今年で〇年になる。シュタイナー教育の理念をベースにして、生徒の個性、自然の一部としての人間共育、愛と協働を訓練する場を育てている。
・順子は茶道の先生をしていて、おれは時々イベントに参加する程度だが、今思えば20年くらい前に開校の打ち合わせ会議にも参加していたような気がする。
・運動会、文化祭、他の発表会などみんな楽しみなイベント。少人数だけにつながりがとても濃い。1こま1こまの印象も強烈。
・特に印象深いのは、アカネちゃんの自主成人式。調布の南口にある大ホールでやった。すべて本人がプロヂュースし、プレーヤー、コーディネーターにも加わって、100名くらいのイベントになった。専門学校の友達も巻き込んでのファッションショー、渋谷の路上からそのまま移動してきたようなラップのライブ、数時間踊りまくった。おれもステージに上がりたくなったが、恥ずかしがってしまった。やっぱり40歳以上のパワーの違いを感じてしり込みする。でもフロアで踊ってるだけでも十分楽しかったよ。
●パルの企画の方では、新潟の笹神村での田んぼ泥んこ運動会が強烈だった。子供3人全員連れて参加、はやのつかみ取り、盆踊りも盛り上がった。ワイナマユ(フォルクローレバンド)でオレも演奏させてもらった。ののか(今、立女の2年生)はチイ様になついてしまって、帰りたくなさそうだった。興奮しすぎたのか持ち物全部を現地に忘れてきたので、あとから宅急便をお願いすることに。
・いずれにしても、大地に触れて自然たちと融合、渾然一体となる体験をできるだけ早めにさせることが大切。親(特に母)と子供だけの小宇宙でのコミニケーションでは限界がある。これは、昨日、立川女子高校の父兄懇親会に出席して感じたことでもある。担任の先生も出席されていた2年4組のお母さん4名も大変教育熱心で「なんとかしなくては」という熱意をひしひしと感じましたが、いかんせん1対1的な教育は指導になってしまって、子供を反発させる逆効果も心配です。人間だけではだめだと思う。田んぼ、畑が身近にあって、ネコ犬牛豚鶏なんかがいっしょに暮らしていて、ゆっくりと時間が流れていくような環境を少しでも提供したい。子供たちのためだけではない、大人も子供も、男も女も、障ガイのある人も、外国人も、老若男女チャンプルーな共育=生活環境をつくろう。
・自主学校「遊」は少しずつ確実に理想に向かって歩んでいく。

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by issei_tachikawa | 2010-09-05 16:06 | 共育、子育ち、おやじの背中 | Comments(0)

懲戒退学か自主退学か

c0219972_9215646.jpg・これは3年前、某都立高校で実際にあったことです。
・Sは中途で編入したので同級生より1歳上、身体も184センチとでかい。一緒に歩いているとその迫力にオレでもしり込みしそうなくらい。うそがつけないやつ。小さい頃からケガ・事故が絶えない。学校、教師の言うことを聞かない。教科書を持っていかない。授業に出ない。でも友達は多い。
・特にHちゃんとは小学校から今まで付き合っていて仲が良い。Kは家庭内暴力に対する抵抗が支えのひとつになって、ボクシングに挑戦している。今のところ〇戦全勝の勢い。そのほかの友達も多くは都立高校退学組、不思議な共通項。
・Sだけが自主退学である。本人は「オレはやめるって言ってない。」という。実にさらっとしている。事態をやむ終えないものとして受け入れながら、でも事実は事実としてしっかり押さえて曲げない。おれの判断ミスだったという実感が強くなってくる。今更反省でもないが、本当に心から申し訳ないと思っています。ジローさんにSをやめさせたことを伝えたら、「それはないよ!」といわれたことを思い出す。彼の感受性、状況認識、正義感、学校当局(担任、学年指導主任、校長)との関係・状況認識はまちがっていなかった。
・事実経過詳細は以下の通り。
3年前の夏、廊下で3人(S、K、1年上の先輩、全員男性)の生徒がもつれていた。聞けばSがKに暴力をふるったとかで、自宅謹慎になった。約1ヶ月の間、日記をつけさせる。夜に担任Iから電話がはいる。本人はほとんどいないことが多い。事実をいうと減点なので適当な作り話ですり抜ける。本人は毎晩のように、どこかで青春していた。日記はできの悪い小説、というより作り話の方が多くなる。でも何とかごまかして、復学になった。このときの焼肉パーテイ盛り上がりはサイコーだったな。
・ところが、直ぐに次のトラブルが発生し、Sはクラスのイスを持ち出して、男性トイレ(大)をなぐりつけてM字型にへこませた。職場に担任のIから呼び出し電話、その日の夜、あわててかけつけて現場検証、再び自宅謹慎寸前の厳重注意となり、それから何度か学校に呼ばれて先生方と話し合った。Sの主張は明確だった。
「オレは自宅謹慎については何も悪いことはしていない。喧嘩になるのを止めに入っただけだ。3人で話させてほしい。そうすればわかる。」
「(トイレの兼)掃除を最後までやろうとしたのに、途中で無理やりやめさせられたので腹が立った。」
「おれはやめるといっていない。」以上
・学校側は、途中でY副校長のを表に出してきた。この人は人物だった。最終的に全てがパーになった日に3人で話し合った。彼女もできてラブラブだったSがどうしても止めざるをえなくなるまさにその日、オレとYさんは気を使ってSを残して廊下で立ち話をして戻ったとき、おれは生まれて初めてSが涙ぐんでいるのを見た!
・それから学校当局との話が続く。何度も通った。時には2人で、時には1人で。おれはこのままではいけないと判断して、聞いた。「ようするにこちらから止めますといって欲しいのですね。」と。そのときの3人(担任、指導主任、副校長)の笑顔は忘れない。あのほっとした表情、これからのSの人生なんて二の次、というより眼中に無いように見えた。そうは思いたくないが、これがやつらの本音だったのか。だとすれば無念だ。
・話がこじれるきっかけの発生した日の夜に学校で話し合っている時、Sは突然足で机を蹴り上げていった。「おめーらは自分のことしか考えてねえだろ。俺らのことなんかこれっぽっちもかんがえてねえ。自分さえよければいいんだろが!」と。誰も何もいわなかった。流れる沈黙の空気、オレだけが気をつかって「まあここは私に任せていただいて・・・」といって収めた。
・最終的に、懲戒退学される前に「自主退学」させた理由は、Sの授業出席率が超悪かったこと、本人は卒業する気はあるというものの必死に取り戻そうという態度がみえなかったこと、このままではさらなる暴力の発生もありうることなどであった。
・考えに考え悩んだ結果の判断のつもりだったが、親として半端な介入だったと反省している。自主退学と懲戒退学に関する自分自身の調べも不足していたし、弁護士やジローさんに相談するという手もあったのだ。Sに済まないと思う。
・Sが自分で事業を起こすことを期待している。一時は巨人の星のような未来を考えたこともアルひたむきな性格、裏目に出ての器物破損、燃え上がる青春のエネルギー、違う方向で燃焼させてくれることを期待しています。
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by issei_tachikawa | 2010-09-05 01:33 | 共育、子育ち、おやじの背中 | Comments(0)
c0219972_12433861.jpg光太(21歳、玉川大学農学部応用生物学科4年、就職活動中)がipadを欲しいというので立川駅北口のビッグカメラへ。
いつもはほとんど話さないが車に乗るとお互い顔が見えないので照れ臭感情減少でよく話す。
小学校の思い出ばなし。柏町団地の広場から家に帰る途中、オレは近道した。青木さんの畑道をチャリで飛ばす。進吾が後にくっついてくる。
こういうときに兄貴は絶対付いてこないのだ。1人正道を走り、吉沢商店を右折して後から家に到着する。怒られるとやばいと感じるとリスクを避けてしまうのだ。オレと進吾は似たようなやんちゃくれなのでそんときはそん時という楽天主義。
進吾は中学校、高校と破天荒人生で今もどこかの海に行って好き勝手しているのに、兄貴は20以上の会社に断られての就活と先の読めない(?おそらく)担当教授の実験授業などで毎日胃の痛くなる思いに耐えている。この2人の対照的生き方を見ていると、複雑な思いにかられる。
兄貴の方に親だけでなく周りの注目が強く集まるが、比較的クールに育てられた方が先に自立する。2番目はしっかり生きているのに長男がいつまでも親離れできないで苦しみ先に逝ってしまう例もある。とすればやばいと心配することもあった。がしかし、今は違う。
兄貴はじつにやさしい。弟や妹、友達や実家のことも良く考えている。自分のことよりも周りの幸せを優先させて考えている。これって大事なことだろ。
光太が小さい頃、毎日お風呂に入れてから寝付くまで、抱っこして歩きながら口笛で「グリーフィールズ」を聞かせる、毎日毎晩。あの記憶は人にやさしい、生き物にやさしい光太になってよみがえるに違いない。やさしくなれ。人の気持ちがわかる人になれ、人の痛みに共感できる人になれ、金、地位、名誉などにはとらわれるな。就職活動全力でやってだめなら自分で起業しろ!
こころの友達を増やそう。おれより先に死ぬなよ! イッセー100歳、光太57歳、イッセー120歳、光太77歳、これくらいならいけるじゃろ。

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by issei_tachikawa | 2010-08-15 15:13 | 共育、子育ち、おやじの背中 | Comments(0)