どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

カテゴリ:気になる友達シリーズ( 29 )

不思議な1日でした

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麻雀クラブで、国士無双たっせい!ぼくは、小学生の頃からやっていましたが、国士は初めて、配牌時にいーしゃんてんだったのですから驚きです。
次のびっくりは、さんきゅうハウス「農園&花畑」に、ケティさんが植えてくれた「被ばくはまゆう」の花が咲こうとしています。「明日開くよ。」って師岡さんがいってました。明日は、カフェなので、見たい方はぜひ!
そんで極め付けの3つめは、しげおちゃんこと、久富から電話が入ったのです。なんと30年ぶりやで!彼と出会ったのは、熊野寮A棟3階のころ、おれは30歳で入学、彼は27歳だった。
塚集会(にきそし)の話を熱心に聞いていたかと思ったら、「じゃいこか」て立ち上がる。そのまんまですよ。着替えも荷物もなにもない。サンダルはいて、援農へ。2人は1時間後には「人民列車」に揺られていたのです。
現地での会話も彼らしい。田んぼにくちばしの長い白い鳥がいる。指さして「あれなんだかわかる?」て聞いたら、「トリやろ。」と笑顔で答えるんです。大笑い三四郎だよ。
寮ではいつもニーチェ(またはショーペンハウアー)だったなー。非歴史的考察の「動物とひと」のところ声出して読みながら泣いたっけなー。哲学書読みながらなけたのなんて、人生あんときだけだよ。
貧乏学生には立ち読みが良く似合う。京都四条の・・堂で閉店時刻になってもニーチェ読んでいる。女性店員がおそるおそる「おきゃくさまー、そろそろ・・・」と声かけると、長髪ひげ面にたまげたものです。
あのときは理学部3回生でしたが、ヅカの分裂騒ぎに巻き込まれて、退学し、あたまおかしくなって砂川にもきた。立川生協でバイト中は柏町団地の我が家にいそーろーだったな。そのままいてくれたほうがよかったのですが、群馬の高崎で先輩がやってる塾の講師やるからといってでたきりになってしまった。時々、ながーい手紙が来た。世界金融危機、天皇制の歴史と継続理由、などについて。
そのうち便りが途絶えてもう30年近くがたつ。実は死んだのかもというこころづかいで、じゅんこにはいえなかった。
そしたらこんばんのでんわだよ。「NPOの映画製作手伝ってる。立川生協で世話んなったひとにビール券送りたいので」ということ。「会いたい!今すぐこい!」といってしまった。
きっと再開できる、と信じています。
●写真は、被爆はまゆう。詳細に関しては、ウキぺディアで。

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by issei_tachikawa | 2017-06-15 00:00 | 気になる友達シリーズ | Comments(0)
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なにしろユニークな人、かっこいい、人望が厚いね、ワイナマユ(若い川、アンデス音楽バンド)のリーダーです。安定感がすごい。風の谷のナウシカで風海(実はとてもきれいなんだけれど)オームに攻められた風の谷の長老みたいな人なのです。映画見た人はわかるよね。なにがあっても動じないんだね。
奥さまとは、卒業後の世界旅行中に、メキシコで結ばれて、結婚した。1970年代の初めだろうね。そのころ撮った写真見た、もー松田優作(つみきくずしの)だよ。やたらかっこいい。
奥さんはニコタマ小の卒業、なんと俺の同窓生だった!こんなん初めてや。トマドーレス(アンデス音楽バンド、スペイン語で酔っ払いたちの意)のチャランゴ奏者。
夫婦なんだから一緒にやっても不思議ではないのに、「家ではいっかいもやったことない。」んだってさ。そっかー。これって第1の不思議。
そして第二の不思議、インドの歯医者で歯を抜かれて、ケーナの音がしょぼいので、須川センセーを紹介したのですが、「うちではできない。」とことわられた。「ここまでほったらかしでこれたのなら、今更僕の言うこと素直に聞くとは思えない。」というのが断りの理由でした。
そのまま彼に伝えたら、自分で須川さんまで足運んで、ひざずめだんぱんしたら、なんと須川さんはやる気になって入れ歯ができた。さあ、これでケーナの音が変わるぞーってぼくは内心期待していたのですが、裏切られました。それから数か月たって、彼は練習することを決めたそうです。
とりあえず、ロングトーンかな。リズムきざみながら、Gは4オクターブでるのでやりがいがある。3オクターブ目
のミからファまでがうるさくなくだせるようになったらまあまあだね。血圧高いので心配ですが、逆療法ってのもありかもしれない。
かれはプロのフリーカメラマンでしたが、焼き物、ものづくりのうでまえも一流です。ぼくはかれがつくってくれたカップでコーヒーをのみ、彼の茶碗で酒をのみ、かれの茶碗でごはんをいただいています。
幸路さん、いつもありがとう!ワイナマユの年越コンサート、荻窪with游は10回目かな、12月23日(土)です。ウエイテイングフォーゆー。

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by issei_tachikawa | 2017-04-02 13:29 | 気になる友達シリーズ | Comments(0)

歓迎!梅野久吉様

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熊本から来てくれた梅野さんは、パルシステムと連携するミカン農家、30年の付き合い、市場外流通、世直しの同志です。
ちょうど立川グランドホテルで生産者消費者協議会交流会があり、さんきゅうハウスに寄ってくださいました。ありがとう!
思い出話とこれからの話に花が咲いて春爛漫、プリマベーラ・チョリータ!
みかん20kg注文しようっと!
翌日の「イッセーの一人が足り」ラブ・レターもおもしろかったよ。

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by issei_tachikawa | 2017-03-04 17:43 | 気になる友達シリーズ | Comments(0)
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思いがあふれ出て筆進まず締め切り迫る。昨日エイやで書いたらまあなんとかかっこが付きそうです。題は「病は気からを考える」ですが、2つの点が書き足りません。1つは、プラシーボ効果とノーシーボ効果、2つは免疫力を下げる生活習慣からどうやって抜け出るかです。「つめがあまい!」って怒られないように何とか完成させます。
目高舎はメダカヤと読み、約40年前に(たぶん)武蔵村山団地の林喜代美&治代夫妻が立ち上げた環境・たすけあいなどの市民活動グループ。
林さんらは旧姓も林、誕生日も1946年10月8日で同じ、おまけにその日は「木の日」です。出身は2人とも千葉県かな?木が2つで林、三つで森だね、まあなんて環境的なんでしょうか。
でもね、性格は真逆だよ。ないしょですが(ぐふふ・・・)
2人と出会ったのは1986年、おれが40歳、緑の黒髪時代!立川生協で初の「返信はがき付営業ちらし」で資料請求されたのでお邪魔したら、ちょうどお昼をごちそうになり、意気投合してしまったのでした。竹馬の友、3人ともためどし、学生運動経験も共有し、今では「シンクグローバル、アクトローカル」も同感できました。その場で4000円の会費払って、会に入会し、さっそく畑の協働耕作開始。
その畑変わってました。200坪くらいの耕地、会員は30名くらいだと思いましたが、どこがだれの耕作地なのか決まっていない。収穫もいいかげんで、必要な野菜を勝手にもっていっても文句言われませんでした。いい加減なイッセーにぴったしじゃん。当時はまだ車もってたもんで、夜に子ども3人乗せて、たい肥造りに行ったら、エンスト起こして死ぬ思いしたことも。
光太(長男、今27歳、11月5日生まれ)が金子助産院で生まれてすぐの餅つきにつれていったら、首が座ってないのでがくっとなってしまい、みんなに心配かけたなー。
20年前、大嵐の日に学園公民館で3人の生前葬をした。50×3=150歳の生前葬、ワイナマユで「素焼きの甕」(大好きな埋葬曲)を演奏したなー。
みんなで日野原村キャンプ、ここで鉄あにいと出会う。しゃけを焼いてくれた。彼はその直後に会社やめて「割烹鉄ちゃん」を開いて今に至る。
夜の宴会で「コンドル」吹いたら、治代さんが「よっちゃんのコンドルなかなかとばないねー。」なんて同情気分でいってくれましたが、こたえたぜこの一言は(今では笑いとばせるけど)
その後団地の庭に「勝手にログハウス」建ててしまった。うそだろと思ってたらほんとでした。奥多摩の森林組合から間伐材を安く仕入れたんだろうな。そのログハウスのなかに、元武蔵村山市長宍田さんも応援要請に来てくれた。まだ当選するかどうかわからん26歳の若者に目になんだか変革のエネルギーを感じた。
それから数年して市議補選チャレンジ、時間差で2人ともチャレンジして2人とも惜しくも次点でした。ほんの数票差だったからなー。おしかった。敗因は選挙活動のやりかたが素人だったこと、補選だから組織票がものを言って負けたのだと思う。おれもまだ生協職員現役だったので大沢選挙(立川市議5期目)のようには全力で応援できなかった。ということは、これからでも可能性はまだあるじゃんということだな。
そして団地建て替えで2階建てから10階のマンション1階に引っ越すころに彼の方がうつ病になってしまった。一時はくちがきけなくなって心配した。でもおれは回復を信じて彼の家に通い続けた。かれは俺が行けば元気になる。思い込みではないとおもう。治代さんもそういってくれる。
毎月のイッセー通信配布時には必ず寄る。茶飲み話に花が咲く。かれらが出している『目高舎通信』などはそろそろ1000号に達する。イッセー通信はようやく41号目、まだまだです。
林くん誘って山梨の生産者の「七草セット」づくりの応援にいったことがある。正月の寒風吹きすさぶ田んぼから出たら、自販機があった。かいろがわりのつもりで買ったら、林君に「こうたくんのことをかんがえろよ!」って怒鳴られた。いいかえせなかった。彼とは天国でも友達だと思う。ケンカもできる、むつかしいはなしもできる、ジョーダンも通じる、笑って良い朋、その近所に暮らすありまた楽しからずだなー。
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by issei_tachikawa | 2016-05-08 10:30 | 気になる友達シリーズ | Comments(0)
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ワイナ・マユ(アンデス音楽バンド名、ケチュア語、若い川の意)で25年つきあってきたベニートこと山口憲明さんが、ついに退職することに。やったね!これで好きなことに集中できる。あらゆる意味でおめでとう!ぼくは彼のことをベニさんと呼ぶ。太田さんはベニちゃん、幸路さんはベニートまたは山口くんかな。三者三様でおもしろい。彼について語ろうとすれば、胸いっぱいで整理し切れませんが、3つに絞り込みました。
1つは、彼が誰にでも好かれる。好き嫌いないの?ってきいてみたいくらい不思議な事実です。理由は?彼は大企業のトップにいながら、アンデスなどの先住民的な性格をしっかり大切に育ててきているのかなー?人のいやなところが気にならない?朴念仁?いやいや、よくわかりませんがなにしろ集客力だんとつなのでありがたい。4月13日に退職祝いのコンサートを、六本木のリンコンデサム(エスニックレストラン)でやりますが、50席たぶん満杯です。
2つは、日本人にみえないんですよ。ほんまや。顔の表情、立ち居振る舞い、姿かたちすべてについてそういえます。何人に近いかなー?メヒコ、またはタイ、またはネパールかな。何ヶ国語しゃべれるのか?たぶん一番上手なのは英語、仕事で海外経験ながいし、ゲーム機器の営業市場拡大の率役者だからね。うまくなって当然だ。あと、スペイン語もなかなか(だろう、としかいいようがない、おれには詳細わかりませんので)タイ語は、女性から教わったみたいなので、相手がわかる人、ネイテイブだったりするとぷすっ!てなこともあったなー。
3つめ、心の朋(とも)です。これについては感謝の気持ち込めて書きます。あるときぼくがワイナのギタリスト誕生パーテイ前の呑み会で暴言はいて、主催者がやめるはめになってしまったとき。翌朝、電話してきてくれて、「彼はねー、もともとワイナマユには違和感感じていて、意識無意識はさておき、やめるきっかけを探していたんじゃないかと思うよ。だから」気にしなくていいよ」といってくれた。いやー、泣いたね。やめていった人の事実(深層心理)については確かめられませんが、うれしかった。
逆に彼がやめそうになったときには、ぼくは電話して、必死にひきとめる努力をしました。このときにも目頭が・・でした。サラリーマン生活50年、銀行に28年、今の会社に22年、2人の子どもを立派に育て、フォルクローレ、登山やトレッキング、ジョギングで仲間が増えて、これから人生後半スタート、べにさんほんまに長い間おつかれさまでした。まだまだこれからですし、わがままな弟ですが、よろしくお願いいたします。
●写真右側がベニさん、左は幸路さんです。ワイナマユにサルー!
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by issei_tachikawa | 2016-02-13 10:55 | 気になる友達シリーズ | Comments(0)

トシへ

『飯館村除染作業日誌』読んでるよ。毎日重労働なのに日々更新している。これだけでも敬服するよ。オレのほうも毎日重労働、今日なんか20代でもフツーの男性ではできなようなスコップで穴掘りだった。放射能線量は大きく違うだろうけれど、体がきついことは同じ。でもおれのほうは夕飯食うと直ぐに寝てしまって、7:00前まで爆睡だよ。日記なんて書く気にもなれない。だからあなたはすごいと思う。何が違うのだろうか?
 労働の動機だな。俺の方は単なる金稼ぎ、年金だけでは食えないからしかたがない。でもあなたのほうは目的意識的に飯館を選んでいっている。軍隊でいえば、いわば傭兵と志願兵の違いかな。
 でも今の時期に何で除染活動なのか?ぼくは今まで首をかしげていた。今でもチェルノブイリの記憶や事実が頭にこびりついていて、無意味な除染は・・云々といってしまいがちになる。
 あなたはなぜに飯館をえらんでいるのか?
今答える必要は無いよ。忙しいだろうしね。ぼくのほうで先に想像して答え(仮説)を出してみよう。もしかすると「現場感覚」なのかもしれないな。
 生じた疑問に答える場所は、放射能で汚染された現地でしかない。そこから避難している15万人近い人々、自主避難者も含めれば数十万人以上の人の帰郷、故郷奪還願望に答えたい一心かもしれない。あんたは、ほんとうに困ってる人とか女性や若い人にはとことん優しいからなー。
 考えてみると、生協やる前の立川自由労組の時以来、一緒に汗水流して働いたことってないよな。昔が懐かしい。
 日野の宅地造成現場で穴掘りしているときの休憩時間に、「おいよっちゃん、ここからアジテーションやってみろ。」とがけの下の町を指差していったよな。
 突然だったのでおれはびびってできなかった。あと「あんたは営業にむいている。」ともいっていた。おれは一番嫌いな部署なんだけどね。(うそつくのがいやなだけかもしれないけど)
 とりとめもないことを書いてしまいました。削除するかもしれませんが、あなたはぼくにとって今も神秘的な存在です。あなたにキャッチされているぼくの個人情報にくらべて、僕がキャッチしているあなたのそれはあまりにも少なすぎる。でもそれでよいのだとおもう。霊的な同志にとって現世の情報なんかはたいして価値があるものでもないのかもしれないから。
  身体に気をつけてな。そして事故にもきいつけや。再見
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by issei_tachikawa | 2014-12-26 19:21 | 気になる友達シリーズ | Comments(0)
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なぜかこの数日間いろんなところで「一寸先はひかりだよ。」と口走ってきました。昨日のブログの締め言葉もそれ。友達(とろん)が「名前の無い新聞」で使っていた言葉が、あるとき突然自分の言葉のように、というか言葉に著作権なんて権利をかぶせてしまったのは西欧人の知恵なのかも?口をついて飛び出す。

facebookの友達からもたくさん「いいね」をいただいていますので、このさいだから作者(とろん)について補足しておきましょう。というのは2010年2月号の『のんびる』(イッセーの交遊記その7」で彼の紹介をしてあるからです。それに過去の出来事の詳細と最近の変化を加えてみます。

国分寺の本やら洞で彼と逢った時、不思議な霊感が走ったのです。「これはとろんに違いない。」と。いてもたってもいられずにぼくは彼に話しかけました。「失礼ですがとろんさんですよね。」と。彼の著作『純粋単細胞的思考』読んだだけで、会ったことも見たことも声すら聞いたことすらない他人の正体がなぜわかったのか?いまでもイッセー世界の100大不思議のひとつです。

それからしばらくたって彼らのたまり場、国立の「ぶどうえん」に招かれました。というかあがりこみました。まっぴるまから兄さん姉さん(みんなヒッピー)たちが七輪で秋刀魚焼いて、焼酎呑んでました。これでも全く異和感もたないこちらも変なおじさんだったんだろうな。

その場に混じっていた何か聞かれるといつも「はい!」と答える「少女」に、とろんは「うわ!はいだってさ。」とびっくりしていました。それはバカにしrた表現ではなく、むしろ彼の純なとこを露出した言い方やナーと感じました。その「少女」は確か当時25歳、今は53歳、とろんのほうは、35歳フリーでした。。

とろんはその後、人生を革命的に転換して、結婚し(何度目やろ?)今ではお子さん3人の父になった。でもあいかわらず「サラリーマン経験」はぜろ。岡山の実家・こみかふぇ「太一屋」とタイの共同村(パイにあるらしい)を行き来するくらしを送る。アメリカンフルートも板についてきた。

ぼくのケーナの先生、多田廣巳(故人)の家に「とろん」が突然やってきて、いきなり2人のセッションが始まる。
なつかしかー。とろんは、「イベント1つやりきった直後は『もう2度とやらないぞ』と思うことがあるよ。でもしばらく充電期間おくとまたやりたくなるんだよね。」と笑っていた。ミーツーだな。彼の人生の中では人間が組織なんかつくっちゃって会社ごっこやってる姿は夢の世界なのかもね。

◎今日は、10時から「さんきゅうカフェ」スタッフの調理&コーヒー入れ方実習第2回です。第3回目は、10月16日(水)10:00からです。興味あるひとはぜひ参加してね。
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by issei_tachikawa | 2013-10-10 07:39 | 気になる友達シリーズ | Comments(0)
c0219972_17104582.jpg「El Camino al Inca
投稿者:Benito 投稿日:2013年10月 3日(木)10時55分38秒 返信・引用

Voy al Peru para caminar El Camino Inca de Cusuco hasta MachuPichu. Tal vez estare
muy cansado, pero eso es mi sueno desde yo empezo aprender La Quena. Voy a traer
mi quena y sanpona para que tocan la musica con los Peruanos. Volvere en el dia
15 de octubre. Gracias! Hasta la vista.

すっかりインカ・モ-ドに入っています。 10月26日新宿西口午後4時 演奏、代々木上原の人たちに声をかけています。」

昨日、ウエハラ常磐(ときわ)にて、壮行会やりました。

「クスコからマチュピチュへの「インカ道」の旅へ、ペルーに行ってきます。 多分結構疲れる旅だと思いますが、これはケーナを習い始めた時からの僕の夢でありました。ペルーの人達と一緒に、ケーナやサンポーニャを吹いてきます。 10月15日に戻ります。 また会いしましょう♪。」(翻訳は幸路正人さん、ワイナマユ守護神長老)

壮行会であまりにうまそうだったので、いわしとイカのフライ定食をたべたうえに、ベニさんからロースカツ3切れもいただいてしまって、まだ腹が減りません。14:38(笑い)
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by issei_tachikawa | 2013-10-03 14:38 | 気になる友達シリーズ | Comments(0)
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彼と会ったのは葯40年前、熊野寮のA棟3階に暮らす時だった。他の寮生はオレより一回り下だったのに、かれは25才越えていた。立ち読みの天才だった。

四条河原町の大書店で、閉店まで気がつかなかったときもある。風貌はといえば、肩より下に伸びる髪とゲバラと聖徳太子2で割ったような立派なひげ、履物はいつもビーサン、ズボンはコールテンの1つだけ。おそるおそる近づいてきた店員に、「お客様そろそろ閉店のお時間でございますので・・」と声かけられて振り向いたら、さらに店員はギョッと立ちすくんだそうだ。

何をよんでいたのかと聴けば、ニーチェ『反時代的考察』(非歴史的・・の方が適訳ではないかともうが)だという。周りはドイツ哲学といえば、ヘーゲル⇒マルクスばかりの頃に、カントに関心をもち、ショーペンハウアー、ニーチェを読み込んでいる友達はとてもユニークだった。彼の部屋で第2章「生に対する歴史の利害」を読んだら、涙が目から溢れてきて・・・

「君の傍らをはみながら行く動物達を見るがいい。かれらは昨日がなんであるか(なぜ過去形にしないのか?・・・イッセー)、今日がなんであるかを知らない。」に始まる文章は、いつ読んでも味がある。「読者を引きづりこむ魅力は、さんきゅうハウスのようだ。」なんっていわれるようになればいいなー。

声を出して読んでいく。これが寺子屋方式の読書法、黙って読むのとは違うインパクトがある。

動物と人間の会話、幸福とは何か、生きることと忘れること、などを論じていくと「魂の造形回復、自己回復能力」の話になる。これはよく茂夫ちゃんがいってたことだな。あの時に泣いた俺は20代に別れた女性のことをおもっていたのだが、ニーチェの問題意識は、民族(ゲルマン?)、人間、文化全般について語っていた。茂夫ちゃんもそうだったともう。

2人でヅカのエンノウにいくときも愉快だった。青春18切符で各駅停車、床に新聞敷いて寝る。彼は車中でもつり革につかまってニーチェを呼んでいた。その裏表紙には、なにやら解読不可能な三角関数の方程式がメモしてあった。彼は物理学部3回生でした。

2人でチラシ抱えてクラス討論にはいったこともある。・・・・で寮をでてから、柏町団地の我が家に宿泊していて、立川生協でバイトしていたこともある。最近手がみが来ないので心配しています。茂夫ちゃん、このブログ読んだら返事よこしてな。あと、どこかで彼を見かけたとか消息について情報入手した人あらば教えてください。(なんか捜査願いみたいになってきたなー)
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by issei_tachikawa | 2013-09-26 09:57 | 気になる友達シリーズ | Comments(0)
c0219972_1716023.jpg寺下さんは61歳、なのにとてつもなく元気印。生協は中途採用で、50代で退職している。その彼が久しぶりで帰ってくるというのでパルの職員が集まって酒を飲む。なんという面白さよ。

かれは常人では考えられないことを考えて、実行までしてしまう。この実行力というか頑固さが実に誠実さの表現にもなっていて、うらやましい。

2年前だったか、安重根(アンジュングン)の墓がある宮城県栗原市(旧若柳町)の大林寺から、寒風吹きすさぶ中たった一人で北陸海岸を北九州まで歩いて、ソウルまで歩いた。いわば鎮魂ウオーク、日本のマスコミや評論家の多くはアンさんをテロリストと呼ぶ。しかし寺さんや韓国、朝鮮の民衆から見れば義士である。

彼はまだソウルのシェアハウスで暮らしている。気に入ってしまって離れられないのだろう。よーくわかるぜ。「在日日本人」のイッセーと寺さんの気持ちはほとんど世界一国共時態なのだ。

たくさん話した中で印象に残っていることを少し紹介します。

1つめ、チヨンゲチョン(清渓川、ソウル市内を流れる)の清流復活について。
ぼくはそれなりに評価しているのですが、彼の評価は厳しい。市長時代のイミョンパクは自己の政治的野望を達成するためにどぶ川でコンクリートのふたをされていた川の水をきれいにしたのは良いが、今の水は下水を浄化して川に流しているもの。本当の自然生態系の復活はこれからというときに、イミョンパクは大統領選挙に出てあとはほったらかし、ということだ。でも俺は、神田川を何とかしたいという希望は捨てないでいよう。

2つめ、青島問題、反日感情、新大久保のヘイトスピーチについて
寺さんいわく「韓国の民衆は反日ではない人のほうが多い。」と。そうだろーなー、尖閣列島の国有化だって暴走老人の跳ね上がりがなければ今までどおりのファジーな場所であったのに、国家間民族間の利害衝突のドラマを演出して金儲けたくらんでいるやからは、絶対前面には出てこない。戦争おっぱじまっても絶対現場にはこない。軍需産業、原子力村、自民党民主党の利害関係には要注意だ。

3つめ明治維新の話。革命ではなかったということ。
俺もそう思う。謎が多すぎる。鳥羽伏見の戦で、幕府軍の先頭にいたフランス式ルミエール銃(弾丸手元つめ式)で武装していた3000余りの鉄砲隊はなぜ弾をいれていなかったのか???4万の軍隊が4、5千の軍隊に敗れたのはなぜか?徳川慶喜は何を考えていたのか?俺はたまたま徳川方に先祖をもつので、明治維新にさほどの夢や希望を抱いたことが無いので話が弾んでしまいました。

いやーそのほか忘れたこと含めていっぱいはなしたなー。気がついたらJR中央線乗り越して、西八王子!タクシー乗ったら金が無い。セブンイレブン12時過ぎているので役立たず。でもなんとか帰ってきましたぜ。

こんど韓国いったらぜひカンジュ(光州)の数千人の民衆の鎮魂おまいりしたいと思います。
◎写真は、賀川さんちの貫禄のジョン
★参加者の1人のコメント
「良い飲み会でした。
12月は忘年会ですね!
楽しみにしています。

朴槿惠(パク・クネ)大統領によろしくお伝えください!」

彼女、にわとり大統領(3歩歩けば全て忘れる)ともいわれているようです。トップは辛いな
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by issei_tachikawa | 2013-09-03 16:54 | 気になる友達シリーズ | Comments(0)