どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

カテゴリ:家族、地域家族( 68 )

光太

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光太(よしむらエルコンドルパッサこうた) 2017年5月現在27歳

  • 1988(昭和63)年11月5日 午前5時台に拝島の助産院 金子さんで誕生。父42歳、母28歳

    陣痛開始から13時間後。その理由をはっきり説明することは難しいが、なんらかの障がいをもって生まれてきても一緒に生き抜こうという決意をもっていた。生まれて直ぐに近所の助産院で「舌しょう帯短縮症」と診断され、「もしかすると言語に障碍が・・」という説明を受けて手術をすすめられたが従わなかった。今まで何の問題もなく成長している。あの診断は何だったのか?

  • 名前はオレが付けた。光は、稲穂の輝き、子どもの頃の世田谷区岡本の実家に帰るとき、刈入れ前の稲にはイナゴがたくさんいた。日本の農業復活に貢献して欲しいという俺の願いを込めて付けた。光太の生まれたときの感動は別途記録した。(イッセーブログ20100730)抱っこして子守唄(グリーンスリーブズの口笛)をしてあげた。お風呂だって毎日いっしょだった。

    ・ ○才時、初めて外を歩かせた。芋窪街道に向かってヨチヨチ歩む後ろから、順子と一緒に応援して歩いた。
    小学生の頃、てっちゃん(玉川上水の呑み屋)からチャリで帰る途中、進吾とオレは平気で畑道を近道するのだが、彼は決して同調せずに、吉沢商店方向から回り道で帰るのだった。

  • (転調)イッセーの父は二子玉川小学校PTA会長、運動会の壇上で「二子玉川小学校バンザーイ」する際に、帽子をつかんでやる。頭つんつるてんだからあちこちでクスクス笑うやつがいる。感情の襞までは良く覚えていないが、そうとう恥ずかしかった、だろ?と思う。俺も柏小のPTA会長を3年、副を1年、都合4年間やって、入学式、卒業式、映画会などの挨拶には気の効いた話を考えて、パフォーマンスも目立っていた。例えば、野茂英雄が大リーグを選んだ理由と中学校生活、木とお話ができる、オオキクナーレなど。自分では良かれと思ってやったことが、光太にとってはこの上なく恥ずかしいことになり、友達からからかわれるなどのプレシャーを与えていたのだということに気づいたのは相当後のこと。ごめんねコウタ。

  • 中学生のころ書いた文書 ペシミズム、鋭い社会批判の視点あり。高史明(コサミヨン)の長男はたくさんの詩を残して自殺してしまった。少し心配で不安。 昭和第一学園高校でバスケに熱中し始めて、玉川大学農学部(バイオ専攻)でも継続、武蔵小杉までおかあと観戦にいった。かっこよかった。

  • 大学2年から、皿洗い、洗濯物干しや取り込みも率先してやってくれるようになった。

  • サービス事業部から建築士相手の講演で何を話せばよいのか迷っていたら、夜、外で相談に乗ってくれた。「思い通りに喋ればいい。」という適切なアドバイスだった。

  • 人のことを優先的に考えるのはさすが長男。例、真理恵ちゃん連れて風船のお礼に(○才のころファミレスで)国分寺にも時々1人で顔を出す。ありがとね。

    ・こういう性格なので、トモダチが良く遊びにきた。近くのスギ、イナミ、武蔵野市に引っ越した田中くん、

      駅のホームで「オトウ!」と呼びかけられて、ビックリして振り向くとイナミだったりする。俺としては地域で(此の地で)生きていて良かったという実感をもてるので嬉しいひと時だが光太はどうであろうか?

  • 就職活動では苦労したが見事に就職し今に至る。飯炊き、味噌汁、漬物からだ。男が食で自立できれば女も幸せになれるぜ。たまには帰って来いよ。てっちゃん20周年は、6月25日だぜ。ロバの音楽座だよ。


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by issei_tachikawa | 2017-05-16 20:45 | 家族、地域家族 | Comments(0)

子どもの日に寄せて

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気がついたら大人だっていわれるようになってた。不本意だ、つれーぜ。
「いっせーさんおとなー。」てよっちゃんからいわれたのが2001ねんくらいかなー。あの頃の総務は楽しかったよ。
いとうちゃん(万年課長)、イッセー(蔓延係長)、よっちゃん(万年主任)そして、今は平だがやがてはよならよのでんこさん、しがゆう、かまたん、たぶんパル連の歴史祥久といえども総務の力量この時期を超えることは、あってほしいがなかなかむづかしい鴨。
子ども性って大切にしたいよな。要は直接性、直球勝負ってことにつながる。空気?よめるはずないやろ、空気のありがたさなんてのひは、酸欠になってみないと実感できんのや。
突然ですが、「生きてるっていってみろ!」叫んでくれ。
友川カズキ(のぞきてんじ)とデアッテ、あっというまに1か月だ、布団にもぐりながら、ふとんをけりながら「夢のラップ」をいくつでもうたってやる。
「このままでいいの、いつまでこんなことやってるの?」つっこまれるのがいやで、アパートに帰れない。幸せそうな子供たちに乾杯、不幸せな子どもたちにも祝福を!
腰には、汚れた手拭いがぶらぶらしております。
来週、新しいバンドが立ち上がります。名前は・・・ぱちゃままにしようかな。
10歳までは夢の中、M.シュタイナー、S.ゲゼル、M.ゲルソン、こんなにすげーひとたちを生み出したドイツで、反ユダヤのヒトラーが政権を奪取した。
こういうことがあったんだという事実のまえに、おれたちの「子ども性」は、いかなる反撃を組織できるのか?次の「共謀罪」粉砕スタンデイングは、5月9日(火)1時から2時半まで、JR中央線立川駅北口「空中都市」(デッキ)でやります。
子どもの日まんせー!

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by issei_tachikawa | 2017-05-07 17:03 | 家族、地域家族 | Comments(0)
「おれみたいなはみだしがよー、30年間も『サラリーマン』やれたのは、どうしてかわかるか?」
「わかんねーよ、そんなにざっくりきかれても。」
「ざっくりじゃねーよ、具体的だろ。なんでなのか?」
「わかんねえーって、あんたのことなんだから。」
なんどかやりとりしていたら、このやりとりやめたほうが良いと気づいた。
「そっかー、今答えられないほうが正直な答えやね。逆に、今あんたがおれの求める答えだしてしまったら、おべんちゃらというかリップサービスだからな。今はこのままのほうがええ。」
「・・・・・(進吾はオレの話無言で聞きながらのあと)・・・今がおとうの青春なんだな。」
これはうれしいひとことだぜ。
早速おかあと芳郎さん(義父、88歳で他界)に報告した。おかあは、孝輔のカネで九州旅行に出発、今日はカフェの日、えいさんとケテイさんの日、お任せセット何が出るかたのしみだニャー。進吾にカフェチラシ渡して、「こいよ!」と指示して置きましたが、「気が向いたら」とも付け加えました。ゴーイングゆあウエイ withチェ・ゲバラ エン ハポン
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by issei_tachikawa | 2015-10-01 07:36 | 家族、地域家族 | Comments(0)

nonoとの会話20150316

食堂でのの(娘)が聞く。
「コーヒーどこ?」って。
「インスタントかい?」
「いやなんでもいい。」というので
初めてまめ吉コーヒー(モカ)をいれてやった。
ついでにいろいろ話がはずんだ。日本人照れ屋が多い。おれんちもそうなので、コミニケーション楽にするためにいろいろ工夫している。
「おい車乗せてってや。」といって西国立まで走るのも良い。相対しないほうがスムーズに話せることもあるから。
「進吾どうしてっかなー?」
「ノーニュウズ グッド・・だろ。」
「中か高んときに胸倉つかんだナー。俺が逆切れして、ほらここに穴あけたんだ。」
「おぼえてるよ、恐いから2階に逃げた。」
「そうだなー、おめーこわがってたよな。おれも自分がやばいかなと思った。」
進吾は当分の間タイを歩いてます。お土産話が楽しみだ。
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by issei_tachikawa | 2015-03-16 23:02 | 家族、地域家族 | Comments(0)
息子(進吾)は来年世界旅行に出る準備中。英語の自主練習によねんが無い。昨日はサンデルか誰かの講義を聴いていた。その場で3つの助言をした。1つ、同じ映画を何回も見ること。2つ、誰かの演説を覚えて歩きながらとか何かについでに繰り返し喋ること。3つ、話す、書く、読む、この順序が良い。日本人が気にしている細かなことは気にすると帰ってブレーキになる。
突然ステーブ[ジョブス=故人)のスタンフォード大学卒業式での来賓あいさつが蘇る。「コネクテイング・ドッツ」「キープルッキング、ドントセトル」「ステイハングリイ、ステイフーリッシュ」「イフユーリブイーチデイアズイット、アトラースト ユーウイルビーベターザン」、「小さなことの積み重ね=点をつなげて線と面に持っていく想像力をという話から始まり、現状に満足するな=探究心・好奇心を大切にして、バカ呼ばわりされてもひるまないで、ハングリー精神を忘れるなと続き、最後は『今日で終わり、死んだ気になれば恐いもんなしだよ。」
彼に日本の食文化見直しの気があったらなー、食を変えればすべてが変り得る、のになーと悔しい思いを消せないままに年の瀬です。パーフェクトめざすだけでは身が持たないですよ。じっくりと1つ1つできることをやりたいことにつなげ育てていこう。大事なのは人の笑顔、進吾6Sやで。あと、日本の文化にも挑戦し続けてほしいな。3E(気持ちE、おもしろE、楽しE)まだまだあるかもな。
昨日から一挙に家族5人に!こまったことが1つ。布団がたりねー!ほんまや。大阪の友人からの電話「今度東京行ったら泊まらせてもらってもええですかー」と。「いいよ。」と答えたあとでやばー。買うのもなんなので、寝袋に俺が寝てみようか。(けっこう真面目な悩みなのです。
さんきゅうハウスやりながら考えさせられることがある。
豊かさ(貧しさ)
働くこと(なんで)
困っている人に声かけて助ける(助けられている)
生きている、死んでいく、死んでいる(生と死)
命の循環と「食」
健康(病気)
家族と幸せ(人生次々と失っていき何を失うことが最も辛いのか)(何がうれしいのか、何が欲しいのか)
最後に大きな問題:「おれってさんきゅうハウスやめたらこういうことをマジで考え続けるだろうか?」書いていたらテーブルの上、アンタ宛のおかあの伝言に目が行った。「とんじるあっためてたべてね。」
●モジ山さんちのハウス解体(就労支援)事業は、1月か2月に進むことになった。2014年何がしたい?何をする?考えながら大晦日。ちょこっとケーナ吹きにいこうかなー。最近の自主練場所は「ロバハウスの東側」なのです。
「さんきゅうハウスってのは、今のおれにとっては、地域家族かもな。」地域縁の広がり、地域の居場所ともいえる。
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by issei_tachikawa | 2014-12-31 11:32 | 家族、地域家族 | Comments(0)

秋深し

c0219972_20391499.jpgばけつ稲収穫しましたが、できは良くありませんでした。稲穂の背が低い、実りも少ない、稲全体に勢いがありません。失敗の理由は、おそらく土にあり。近くのスーパーで買った3種類の土を混ぜただけですから、前回のパルシステムから提供されたものに比べれば月とスッポンです。近所に田んぼがあればもらってきたんですが、田んぼさがす手間はぶいてしまいました。来年どうするか・・・?












c0219972_21055122.jpg考えた挙句の結論は、冬水たんぼです。一冬置いてよく耕して、それでどうなるか実験です。いきなりクローバーで自然農は無理だと思うので。米でも野菜でもやっぱ基本は土づくりから。あとは太陽と雨に相談だね。ぼくらは自然の力にちょこっと手を貸すだけだから。












c0219972_21082051.jpg我が家では立ち木の枝も焼却場には出しません。ただ庭に積んでおきます。枯れる腐る虫がわく土に還る、自然生態系の動きに合わせています。ご近所の方には、イッセー通信で説明しています。伸び放題の野草と生きていると、西砂のモジヤマさんの気持ち(日々タタカイなのだ)がよくわかるよ。自然はただの友達ではない。いろんな生き物の共生空間には、蚊もネズミも、ヘビもぶよも、いろいろおる。人間の都合で自然生態系をゆがめながら環境を語る愚、もっと多くの人間が気づいてくれることを祈ります。










c0219972_21115215.jpgここに植えた落花生は隣の中村さんと味噌の里親PJメンバーの胃の中に収まったと思います。落花生抜いたあとには、おおば(あおじそ)とルッコラがいつのまにか生えていますが、さてつぎは何植えようかなー。できれば在来の種にしたいです。どこから手に入れるか、アラガネさんに教えてもらおう!









c0219972_21150993.jpg見え辛いかもしれませんが、庭の中央に伸びてるのは、実生のけやきです。トリが運んできたのか?桑の木も植えた覚えないのに、どうどうと生えています。切っても切っても次々と枝が伸び葉が生えてくる。桑の木の生命力、さんきゅうハウスか、はまちゃんちか。















c0219972_21194079.jpg19日の安穏朝市で田崎さんと再会した。うれしかったのは彼が田んぼやってること。それも自然農に近いやりかたらしい。パンフレットには「耕福米」とあるが、自然農なら「無耕起・無除草・無施肥・無農薬」だと思う。まだかんぺきではないという謙虚なネーミングなんだろうな。試しに10kg注文しようか。もちろん玄米で。そうだワイナマユの幸路さん、朝市で2kg買ってくれた。バンドの荷物と果物お土産だけでもたいへんなのに、彼の好奇心とやさしさにかんぱい!
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by issei_tachikawa | 2014-10-20 21:26 | 家族、地域家族 | Comments(0)
c0219972_16353637.jpgたかさん(義姉)といっしょに鳩ヶ谷の墓地にいった。鈍行各駅停車の1日、さぶさんとの数年間を振り返ってみた。
20代中頃のイッセー、学生運動で行き詰まり、「武器を楽器に」がたよりで暮らす日々、サックス(テナー、ソプラノ)が吹きたかった。というか先の見えない何の展望も開けない状況下で、鬱積した戦闘心をサックスで(怒鳴り叫び)表現したかったんだろうと思う。好きだったのは、J・コルトレーン、S・ロリンズ、中村誠一、高木元輝、恵比寿ヤマハ音楽教室でカヤノさんからテナーを教わった。さぶさんは明大のハーモニカソサイアテイを経て、プロになる。1960年代には、クレージーキャッツのお昼の番組にもでていた。前歯失ってアルト吹けなくなって40過ぎからピアノに転向した。バンドマスターだったので、仕事を頼んだ。絆の根に何が?おやじとの確執?弱者連帯?
ぼくは音楽について無知、音符の区別さえわからん。でも大井町駅前のグランド・バロンの上原バンマスに紹介してもらって、3ヶ月くらいかな、ウッド・ベースで「たちんぼ」をやった。ひくまねするだけでOK、音を出すとどなられるという厳しい職場(笑い)
要するにベースもって、ひいている振りしていれば金になる。10数人のバンドで、リズムは、ピアノ、ドラムがしっかりしているので、ベースがおとなしでも問題なし。それでも月給1万5千円もらっていたのはラッキーかな。やがて3ヶ月もしたら譜面が読めるようになった。周りの先輩にも教えてもらった。
しかし音楽世界に入る切っ掛けはテナーだったので、頃見計らって、テナーを吹ける新小岩のキャバレー、ショーボートに移籍、その次は目黒の駅前「ブルー・ムーン」、そしてついに兄貴(さぶさん)のいる王子駅前「女の世界」にうつって、5人のバンドでテナーサックスを吹かせてもらえることになりました。
このバンドは、ジャズ志向のひとが多かったらしい。ぼくもそうだったし、さぶさんも後姿がビル・エバンスと錯覚するくらいにジャズが好きだったと思う。(いや、おれのおもいこみかも、死人にくちなし)ベースの足立君は、北九州出身の過激派(演奏スタイルのこと)で、ベースの支えの棒が床に強くぶつかってさけてしまったくらいだった。
音だし7時から8時まではフリータイム、何やってもよいというので、もうむちゃくちゃフリースタイルで演奏した。
そのさぶさんの家に、しばらくのあいだイソーローさせてもらったことがある。食費、家賃はらってなかったと思う。事情で関西まで飛行機するときに15万円借りた。それを返したのは、彼が脳梗塞で倒れて入院中見舞いのとき、なんと20年以上たっていたとおもう。「あげたんだからかえさなくてもいいよ。」と遠慮する彼の手に力ずくで金をねじこむように返した。でも、おたがいに貧乏どうしだったので、かえせてよかったなーと今になって思う。
さぶさんには子供が2人、文さんと竹さん、文彦さんは、学生時代にフリスビーの世界大会に出たり、竹彦さんは現役の絵本作家をしている。さぶさんの墓参り、前からいかねばと考えていたので、今日願い叶って少し気が安らぎました。本当にイッセーの青春時代にお世話になりました。たかさんにも改めてありがとうです。
先立った兄姉だけでも10人もいるのでなかなか全員のところをまわれないのですが、改めて兄さん姉さんにありがとうのメッセージを送りたいと思います。
●おまけ:たかさん、81歳になるのに元気いっぱい、歩くのが速い。(身が軽い)墓地の階段を使わないで、スロープをおりる。「事故には気をつけないと。」1日1食ちゃんと食べれば大丈夫らしい。「食細くして命ながら絵」だね。福島の郡山とか何人かの親しい友人とのコミニケーションを楽しんでいる風。「病気から」あと、プールに良く行く。水辺ウオークとか花見ウオークとか、こまめに歩いている。「生活習慣病はこれで予防できるね。」「健康診断にも頼り過ぎないようにしている。」とのこと。アイシンクソー。100歳にチャレンジだね。こんどは、次子ねえさんのお墓参りにいっしょすることになった。涼しくなってからだな。
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by issei_tachikawa | 2014-09-07 17:04 | 家族、地域家族 | Comments(0)

母の日に思うこと

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俺はおかん(母)が47歳、おやじが55歳の時生まれた。母を語れば親父がからみ、逆もまた真ナリのようだが、あえて2人を切り離して個別に思い出してみると、母の方は家と宗教(神道)と部落のことしか思い浮かばない。(おやじについては長くなるので今日はカット)
最初は家事と2人の仲のはなし。明治30年生まれの母の実家は、能楽の松村家の娘で、鼓や三味線もひいたらしいのですが、ぼくは聴いた記憶が無い。彼女は毎晩おやじと一緒に9:00には眠り、朝5時に起きる。
毎朝すみを起こし、ご飯は釜で薪で炊く。冬の寒い日に窓を閉め切ってすみを起こしていたために、一酸化酸素中毒になったらしく、夕飯のときに突然目の前のカレーなべにもたれかかるようにして倒れてしまったこともある。
でも朝すったいわば毒ガスが夜になって効いてくるってこともあるのかなー?
そうだ思い出した。俺が確か2年生のころ。等々力の歯医者にいったな。そのあと一緒に映画を見た記憶がある。何をみたのかなー?おそらく「24の瞳」「風にそよぐ葦」ではなかったか。たった1回だけの遊んだ記憶、そのほかは家事で忙しそうな彼女の記憶ばかりおもい出す。
親父は、明治の男に典型的な専制君主に近い態度で、家事や子育て、進路相談等について一切何もやらなかった。口は出すが食後の食器1つ洗ったことはないし、洗濯したり干したり、掃除したりはすべて母の仕事だった。
忙しくてストレスが昂じて、ついに別れ話もというときには、オレに聞いてきた。「もしも私が家でたらついてくるかい?」と。おれは即答した。当然一緒に出るぜと。でもそうはならなかった。まあ2人にありがとう言うべきなのだろうと思う。別れてたら俺の人生どうなっていたのか?想像もつかない。
あと、吉沢にあった在日朝鮮人の居住区(ブラクと呼ばれていた)に「いってはいけない。」といわれて育ったのですが、 母はたびたび通っていたのではないかと思います。「誰々さんちの玄関の前には大きなつぼがあって、キムチをつけてるんだろう。」とか話してましたから。でも誰さんのうちに何しに通っていたのか、不明のままです。
男女6名ずつ、12人の子どもをさずかり、立派に育て上げた明治生まれの両親に何も恩返しできないままにいるのですが、せめて母の日、父の日に思い出と対話しながら故人を偲ぶことで、ありがとうの気持ちを送り伝えられればと希(願)います。
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by issei_tachikawa | 2014-05-12 10:33 | 家族、地域家族 | Comments(0)

進吾、まろおったでー!

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それがなー、我が家から50Mも離れていない斉藤さんちでくらしとるんや。なんでかえってこんのやろなー?やっぱメス2匹、雄1っぴきはあかんのかもなー。シロ(メス、我が家の重鎮)はマロ(もメス)にきついからなー。
ま、とりあえずお互いにいきていたということだけでも乾杯だな。大沢さんとコベツやっとる成果がこんなとこででてくるとはなー、人生なにが起きるかわからんなー。
進吾、おめーが今日いたら、斉藤さんちにずかずかはいってマロだっこしてかえってきただろーなー、あんたはそういうやつや。おれにはでけへんこともへいきでやりよる。まあ革命家の資質ありっていうことか、おやばかやね。
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by issei_tachikawa | 2014-04-16 23:25 | 家族、地域家族 | Comments(0)

進吾との会話

c0219972_16570828.jpg今朝5:00過ぎに玄関が閉まる音、進吾が帰ってきた。お袋の味を満喫して朝7時過ぎには仕事へ、何と睡眠2時間。でも前からそうなので家族は少し心配でも驚いたりはしない。いつものパターンから外れることがあったので紹介です。
1つめ、「ごちそうさま!!俺は元気だよ。元気元気さ!!おとうおかあも元気で!!★光の設定調べとく」という置手紙に少し感動。電話の言葉も大人になった。
2つめ、でかけるまえにまだ寝ていたオレに声かけてくれた。
「おとういくつんなった?」
「六パーだよ。」
「あと32年はいけるだろ。」
「わかんねーけど事故らなきゃいけるだろ。でも、オレより先に行くなよ。」
「そんとき俺は57歳か、ダイジョブだろ。孫までみせられるかも。」
そうなってくれますよーに。3人ともそのまえに6月22日、市議会議員選挙決戦やで。20代の投票率を50%以上に上げたいもんだ。
音楽、ジェンベ、SAXとか鳴り物入りのリレートークができるといいなー。宇都宮さんが立川にきてくださるそうなので、楽しみです。大沢さんとのリレートークは、6時から立川駅北口ですぜ。市民以外でも見もの聞きものぜってー来てね!!!

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by issei_tachikawa | 2014-04-07 16:54 | 家族、地域家族 | Comments(0)