どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

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Q1.嬉しかったことはあったかい?
A1.6月5日が印象的だった。07年から始めたモデル事業(食と農などをテーマとするコミュニテイビジネスのコラボモデル事業、パートナーは4つのNPO法人)の成果報告会は200名近くの方が参加されて、3つの分科会もやれた。セカンドリーグもSNS(ソウシャルネットワークシステム=ブログ村)でデビューできた。チャンプルーの会は10年間の取り組みを冊子にまとめ、カウンセラーの会も地域での食育教材をつくり、みんなの食育は、モデル事業をステップにしてまちづくり協議会法人化を果たして行政からの健康づくり事業の委託を開始した。すぎとSOHOクラブは毎月第1土曜日のくすの木エコDAYを継続している。つまり具体的な成果が冊子や事業委託として見える化できて、地域社会に対して着実に目に見えるアウトカム(変化)をもたらし始めている事実を確認できた。3年目のモデル事業も、2つのNPO法人(暖暖=ぬくぬく、チルドリン)と連携して推進している。すぎとで始めた3者(NPO、地域セカンドリーグ、支援室)協働もさらに強くなってきている。大井町では、営業部とパル東京地域コミュニテイ事業部も連携し始めているのが心づよい。
  4月のセカンドリーグ埼玉設立シンポジウムも待ってましたという感じ。来年は、2月17日(水)セカンドリーグ千葉が、2010年度内にはセカンドリーグ神奈川がスタートします。これは大いに楽しみ。
  あと、地域ではサラの合同新年会(1/13水曜日)、ステッチの看板づくり、めだか舎のパーテイ(2/7日曜日)が楽しみです。多摩CBつながりのシンポジウムも、1/23立川、2/13亜細亜大学で開催されます。
Q2.腹の立つことはどうだい?怒り、激昂(げきごう)、憤怒(ふんぬ)?
A2.瞬間湯沸かし器なので、そのときは怒鳴ったり、ろこつに嫌な顔したりするけど、忘れてしまうことが多くなった。認知症?いやいやまだ早いじゃロ。そうだ思い出した。オバマにノーベル平和賞ってのがあったな。アンビリーボーだろ。イラクでアフガンでたくさんの民家やインフラを破壊し、何十万人もの人を殺傷しておいて3万人の兵士を増派決定した大統領、「資格ございません」と謝罪して返上するほうがすっきりするだろ。もっとも、ノーベル賞も過去を調べてみればなんぼのもんじゃいということなのでしょうけど。オバマ政権に期待して裏切られる前に、広瀬隆さんの『資本主義崩壊の首謀者たち(岩波新書、題名は違ってるかも)』、伊藤千尋『燃える中南米』読んどくといいですよ。9.11とは、チリの民衆にとっては、アジェンデ大統領がピノチェト将軍の軍事クーデターで虐殺された日だからね。アジェンデ政権は、人類史上初めて非暴力の選挙で登場した社会主義を志す政権でした。クーデターの背後では中米のクーデター軍養成所を出た人たちがCIAの指導で暗躍していたということです。ひでーやりかただ。テロリズムとは何か?最悪のテロは?今のアフガン、イラクの侵略戦争だろ。ベトナムについてはケネデイ政権当時のマクナマラ国防長官が自己批判本をだしているが、アフガニスタン、イラクについては戦争を始める大義名分があまりにもいい加減で、北米国内の戦争支持は40%台、なのに相変わらず居座っていること。日本国内の軍事基地も含めて同盟関係は一日も早く解消するべきだと思うね。どこも攻めてこないのに軍隊があっても百害あって守っているのは雇用と基地周辺の事業だけ?おっと軍需産業の膨大な利益をドントフォゲットだな。
Q3.泣いたことは?
A3.キョーシロウの「イマジン(カバー)」聴きながら泣いたな。まだまだ活躍して欲しかった。ステージが似合うんだな彼は。島田伸介(20代の頃)のインタビュー番組で突っ込まれてはにかんでいた彼がいきなり伸介を指差して反転攻勢に出るときの緊張感とユーモアは最高だったな。ついでに「赤い原付」もみんな聴いて欲しいな。あと、黒い野良猫の葬式もつらかったよ。でもうちに倒れこんでくる前に面倒見ていた近所の奥さんが言ってたらしい。「あったかい布団の中で逝けたんだからよかったかもね、冷たいコンクリの上じゃなくて、ありがと。」ってね。
Q4.喜怒哀楽のうちで、楽しい(例えばフォルクローレの演奏などは)ほうはどうだった?
A4.ステッチでの演奏が自分としてはベストだった。ホールの音響効果、来てくれた人とのコミニケーション、自分の体調などが良かったのも幸いだった。ワイナマユの女性2人の衣装の華やかさも最高だった。フォルクローレの醍醐味を表現できたと思う。斉藤次郎さん宅、コナミの忘年会、東京都消費者フェスタ、クリスマスのwith遊も楽しかったな。11月3日(よみがえれトキ!佐渡文弥人形上演会)も楽しかったな。事務局打ち上げ会場のまとい寿司、生わさびを自分でおろしてってのが気に入ったぜ。リピートする気になるな。いっしょに司会やってくれた風野さん、おにぎりやさん(これもCBだろ)始めたってさ。すごいね、たまには遊びに行こうぜ。
Q5.ビックリ仰天ってのは?
A5.顔面からコンクリートに激突したこと、近所の人の車に撥ね飛ばされたことかな。それ以来朝のジョギング時では一歩一歩足元を踏みしめながら走っている。チャリで走ってるときも左右に気を付けるようになった。その後はノーアクシデント、生きていて良かった。
Q6.感動したことは?
A6.28日にちょこっと出勤したらBIG ISSUEの服部さんから「40代で就農希望者がいるのですが」という話がきたので、さっそく本間社長(ナカショクの)に電話したら、とてもあたたかいことばをいただいた。オレはまるで俺自身がお世話になるような気分になってしまった。1月4日に本人が連絡すると申しておりますので、本間さんよろしくお願いいたします。これをきっかけにして良いモデルを作っていきたいです。みんなが家の中で眠れるような社会、できると思いますよ。「ため」をつくるのは、今のあなた自身からですよ。制度におもねていてはいつまでも幸せはこないでしょう。行政、企業、NPO、地域の一人一人の友愛と協働で野宿・路上生活者の支援の輪を広げましょう。
  あと、ゲバラの学習会の忘年会、復刊『かがり火』130号の「編集後記」にも感動しましたね。詳細についてはブログをご覧ください。今年もあと1日、イッセーブログに付き合ってくれてありがとね。良いお年を!
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by issei_tachikawa | 2009-12-30 18:47 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)

僕にとっての演劇

c0219972_18202625.jpg60年代末から70年代の前半、集中的に見ていました。1968年3月以降、組織から離れた孤立感、さみしさを数時間のコミューン的な雰囲気にひたることで没主体的に解消していたのかもしれません。
・最初に見たのは早稲田小劇場の「少女仮面」ですね。吉行和子(父は小説家の淳之介)の肌がなまめかしかった。四谷シモンの声にはしびれた。唐十郎の台詞「いいか良く聞け、規則正しきマッチ箱よ。」も意味不明だが面白かった。大久保鷹はテレビにまで出るようになったね。麿赤児と李麗仙に小田急線であったとき、存在感に圧倒されたことも。「この人たち一歩外に出たらオンステージなのかも。」と思った。
  状況劇場は神社、公園、河原、港などに特設の赤テントで芝居する。つまり役者と観衆とを同じ目線において演技をする。やる人見る人の境をなくせるはずはないのだが、試みとしては当時新鮮だった。
・渋谷には、寺山修司の天井桟敷があったが、何故か行かなかった。「書を捨てて町へ出よう!」という彼の台詞には共鳴したけどね。60年代のオルタナテイブ(もうひとつの)演劇のヒーローですね。
・黒テントの佐藤信が70年代に活躍したのではないかと思うが、ほとんど接点なし。あえていえば、京都百万遍の「梁山泊」(呑みや)の主人が黒テントのメンバーだったことくらいかな。
・じつは、歌舞伎も好きでした。四谷怪談、白波5人男、別世界にいける魅力がある。
・演劇ワークショップin幸公民館は楽しかったな。演劇企画「くすのき」(大多和勇、あきなんし、高塩景子3人の演劇集団)に教わった。地域のいろんな人が生徒になった。柏町団地の新海さん(IT関連)、砂川8丁目の久保さん(教師)、小平の○さん(不思議な雰囲気の人)、立川高校国語教師のAさんなどなど多彩な顔ぶれ。
第一日目 自己紹介がてら参加動機、理由を話す。すぐにみんな友達になってしまった。これに感動したよ。大多和さんの生き様が伝染したのと、メンバーのキャラが良かったのだと思う。一言でいえば、OPENまいんど。
何をやったのか。最初は役者の基本トレーニングから始まった。立つ、体重を移動する、喜怒哀楽表現、歩く走る、教わりながら「種から大木への進化」というオリジナル(たぶん?)もできた。「朝」というテーマで、目覚めてから、洗面、歯磨き、飯にいたる一連の動作をイメージして各自が発表するのも面白かった。「あれ!?蛇口ってどっちにひねってるんだっけ。左周り?」などと迷ってしまうことも。「希望」というテーマで立った○さんが大多和さんから「それだと紳士服アオキのマネキンだよ。」と言われて、2人で「絶望」とのコントラストで表現したりして成功。「飢饉」では、百姓一揆と庄屋・役人側に分かれて緊張感あふれる一発触発、双方なぐりあいの危機感さえもったくらいにテンションを高めた。
最終日が近づいてくる。シナリオづくり、自主演劇上演でフィナーレ。演題は、「国鉄立川駅に自動改札導入」、時代を感じさせるでしょ。民営化の前の話です。職場がどう変わり、家庭と個人と地域の協同性がどのようにばらばら解体されていくか、たかが改札・されど改札というのが主張の骨子でした。最後にシナリオは1人でまとめるのですが、パーツは、各自が町で収集してきます。僕は、国鉄職員の役だったので、JR御茶ノ水のホームで、駅員さんの仕事ぶりを観察しましたが、いつもは何気なくみていたアナウンス作業の詳細を食い入るように見つめながらメモを取り、シナリオにしました。これも緊張感が高まって気持ちの良い体験でした。
・最終日の上演会には目高舎の林さんなどを招待して、渾身の力を振り絞って演技しました。自宅でビール飲んでいるときに自動改札導入を知らされた僕(国鉄職員)が憤激して叫んだときには、もうそれ自身がもうひとつの現実といってよいくらいに真に迫った絶叫になりました。自分で自分の声にビックリする体験、大切にしたいです。現実(場合によっては事実さえも)って自分らで創り出すことができる、そういう積極性でとらえるほうが楽しくできるということ。ラストに、みんなが思い思いの楽器をフリーに使って「花祭り」を演奏しながら舞台を踊りまわりました。
●「くすのき」には、八王子センター開設記念パーテイでもパフォーマンスをお願いしましたし、先日、西武拝島線小川駅から乗車したら、めの前の座席に大多和さんが座っていたり、いきなり機関銃の撃ち合い見たいな会話が弾み不思議な縁を感じました。

●大多和勇さんのキャリア(演劇企画「くすのき」のHPから勝手にコピーしました。)
1942(昭和17) 5月 東京都板橋区生まれ
1967(昭和42) 舞台芸術学院本科卒業 青年劇場入団 1974退団
1978(昭和53) シアター2+1結成 1987退団
1988(昭和63) 演劇企画「くすのき」結成          現在に至る
(講師歴)
1974(昭和49) 東京都西多摩郡羽村町公民館講師
1978(昭和53) 東京都立川市中央公民館講師(2年間)
1990(平成2)  東京都青梅青年の家、春の子供演劇講師(11年間)
1993(平成5)  東京都立川市地域文化振興財団演劇教室講師(3年間)
2007(平成19) 山梨県立大学 講師             現在に至る
(その他)
東京都多摩地域の公民館、児童館、図書館、青年の家、小中高等学校での演劇表現活動講師、
及び市民劇団での演出、助言指導等をおこなっている。
1997(平成9)  東京都中野区 中野ZEROキッズ「創作ミュージカル」演劇指導  
2000(平成12) 宮崎県延岡市 子供の創作舞台「母と子の舞台創り」指導

1988(昭和63) 東京都立川市公民館運営審議会委員(6年間)
1991(平成3)  東京都立川市地域文化振興財団事業協力委員(4年間)
2001(平成13) 東京都生涯学習審議会委員(2年間)


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by issei_tachikawa | 2009-12-27 11:52 | 音楽大道芸活動 | Comments(0)


福岡稔さんのお母様が90歳で亡くなりました。
・彼は僕の恩人、恩師です。フォルクローレ(アンデス音楽)でのお付き合いですが、人間的にも学んでいます。昔、ロスコージャスという名の日本では初のグループ(フォルクローレコンフント=少人数のバンド=コンボ)を4人で立ち上げました。彼のパートはチャランゴ(スペイン人が持ち込んだギターを10弦にした楽器)でした。
・都立北多摩高校の体操部の頃、東出さんと出会ってリコーダーとウクレレでやりはじめたんだと。「コンドルが飛んで行く」を吹きたかったんだろうね。おれもそうだった。向こうのテープを聞いたら、ケーナ、サンポーニャ、チャランゴなどという聴きなれない楽器が使われていることがわかり、さっそく通販で注文したら、届いたチャランゴの弦の太さがみな同じで、5色に色分けされていた!要するにおもちゃですよこれは。笑えるなあ。
あと、同じテープ聴いても福岡さんはチャランゴに、東出さんはケーナに魅かれたんだと。この音との出会いがバンド組んでからのパートにつながるんだね。よく分かるがバンドの全員がケーナに向かうと話は別だ。
・そのうちケロパラシオスの公演を聴いたあと、2人で楽屋まで押しかけて話を聞いたんだと。このハングリー精神だよな、欲しいのは。欠如を前提にして生まれてくる何か。でも今はちょっと努力すれば金さえあれば何でも手に入るので本気でハングリーにあり続けるのが難しい。でも不可能じゃないよ、と思いたい。
・23年前に国立の路上で多田勝美(故人)からケーナを買って、帰り道高松町の商店街を吹きながら帰ってきた。でたらめにも価値がある。吹きたいというハングリーの。多田さんに電話して楽譜はないのかと聴いたら、「ヤマハとかで売ってんじゃないの」と聞いて直ぐに立川のヤマハでケーナ(フォルクローレ)の教則本を購入。著者は、福岡稔 ボリビア(店名)とあったので電話してみた。
・クラーイ声、無愛想に近かった。不愉快だったがそんなこと気にしないでかまわずボリビアを訪問してみたら、とっても親切ジャン。この落差は何なんだという疑問への答えは後でわかる。僕の電話の前に、まゆみさん(おくさん)が亡くなっていたのだ。
・その日にぼくは運命的な出会いを経験する。ルーチョ・カブールのケーナを8000円で買った。これは多田ケーナ(実は製作者はビエントスの○さん)に比べるときつかった。音が出ないのだよ。ミュージシャンのプライドはもろくも崩れ落ちて、その日から何年後しかのトレーニングが始まり、今も続いている。たぶんオレは死んであの世で吹いているだろう。
・ケーナを吹いていると泣けてくる。なぜかはうまくいえないけど、激しい賑やかなメロデイ吹いていてもキューバやベネズエラ音楽とは違う。なんか物悲しい。短調だから?それとも先住民の悲哀?
●福岡さんの話にバック。「バンドでやりたいのですが」と相談したら、「お住まいは?立川ですか。」といいながら台帳を見て、「渡辺さんていう人がやってんますね、ラバンバというライブハウスもある。」と教えてもらった。渡辺さんちにいってみたら、その女性はなんといつか広場で吹いていたら見たことも無い弦楽器(チャランゴでした!)をもって「遊びませんか」と寄ってきた人でした。
●ラバンバで初めてフォルクローレのライブを聴いた。カルチャーショック!「シリロ」という2人のバンド。2人なのに、十分5人くらいの迫力があった。1人がケーナ、サンポーニャ吹きながら太鼓(ボンボ)もたたく。他の1人は、チャランゴ、ギター弾きながらサンポーニャを肩から吊り下げた金具に挟んで吹きまくるのだ。よくきいて見るとサンポーニャの掛け合いもやっている。2人が1つのメロデイを分担して吹いている。すごい!「あんなのができたら楽しいだろうな。あーいうふうに吹きたい。」と思った。(今のバンド=ワイナマユでは、2曲のレパートリーをもっている)
●ラバンバの店長は井上さんご夫妻。中南米音楽センター(新大久保)の卒業だという。自分はチャランゴ奏者。さっそくセンターのケーナ教室(笹久保均先生)に通いだし、同期の12人(もっといたね)でワイナマユを結成し、いろいろあって今に至る。12月25日クリスマスは、荻窪のコミカフェwith遊でライブやります。6:30音だし、8:00まで、料金1000円、電話予約必要です。イッセーの携帯に電話くだされば、予約します。090-2643-1463です。その後は忘年会です。忘年会予算は2000円です。待ってるよー!きてくださーい。
●もう一度福岡情報。お店(ボリビア)は小平に引っ越しました。西武新宿線小平駅北口から徒歩2分だと。ワーイ帰り道に寄れるドー!吉祥寺店は閉店、神奈川県のアトリエ(クルプ・カバーニャ)も休館中です。
小平新店の営業は、土曜日曜の14:00~17:00
詳細については、http://www5/ocn.ne.jp/ ? boande/ tel042-312-1423
住所:〒187-0041東京都小平市美園町2-2-3ハイム・フローレ201



蛇足ですが、喪中ですのでお年賀は控えましょう。
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by issei_tachikawa | 2009-12-20 11:11 | バンド・演劇・大道芸活動 | Comments(0)


ぱっと思い浮かぶやつを並べてみる。遊び半分真面目半分、記憶力(篇桃体と海馬力)チェック、あなたも自分の過去を振り返りながらやってみてください。自分の生き方がわかりますよ。
(洋画、)
タイトル:①監督、②主演、助演 ③見所 ④原作)
自転車泥棒: ①ビクトリア・デ・シーカ
道       ①フェデリコ・フェリーニ ②アンソニーパーキンスとトランペットの彼女(ジェルソミーナ、「フェリーニの彼女」なんですって?) ③男と女、旅芸と定住
第三の男    ①②オーソン・ウエルズ③女の性、意地
イノセント:   ①ルキノ・ビスコンテイ
禁じられた遊び
レッズ:     ③ロシア革命で負けた白軍の末路 ④ジョン・リード『世界を揺るがした10日間』
ブリキの太鼓 ①(ポーランド)
沈黙       ①タルコフスキー(ロシア)② ③子どもの頃の心象風景、回想と現実
ワンスアポンナタイムインナメリカ ①②ロバート・デ・ニーロ ③友情、抜忍、罪意識、北米社会と移民
デイアハンター ① ②ロバート・デ・ニーロ ③ベトナム戦争
ジュリア: ②バネッサ・レッドグレープ、フェイダナウエイ(?)
ジェラシイオブイタリアンスタイル: ②マルチェロマストロヤンニ、モニカビッテイ ③三角関係、女男男
嵐が丘:③愛の悲劇 ④ブロンテ姉妹
ホピの予言 ③北米先住民ホピ族酋長の現代文明告発、予言、反原発=脱石油文明
アマデウス:③モーッワルトの人となり=虚像と実像
カッコウの巣の上で ②ジャック・ニコルソン ③精神障害者の自己解放
サウンドオブミュージック:①オスカーハマーシュタイン②ジュリーアンドリュース③オーストリーの草原、山並み、ミュージカル、反ファシズム祖国愛家族愛、歌と英語のレッスンに最適
ゲバラの映画 二部作
(邦画)
性と人間:①②緑魔子④謝国権
キューポラのある町:①浦山桐郎?②吉永小百合、濱田光男③純愛
愛と死を見つめて
(やくざ映画、池袋文芸座地下) ①篠田まさひろ②高倉健、藤純子、(すべて大型の女優?)
坂部ギンの青春・・・ギンさんをもう一度探してください:②笠置衆、藤田弓子、梅宮辰夫 ③青春記の紛失とリライト再生、友情に近い愛情 ④?原作は織田作之助か
24の瞳、二等兵物語、風にそよぐ葦 (母親と見た唯一の映画3本立て)
五番町夕霧楼:②松坂慶子、吃音の男性 ③ 反差別の怒り
家族ゲーム:②松田優作(癌で死亡)、伊丹十三(飛び降り自殺した)
七人の侍:①黒澤明②三船敏郎、志村喬、加藤大輔、木村功、小林千秋、稲葉義男、宮口精二(剣術職人、一番かっこいい) ③支援者の気持ち
麻雀放浪記:
泥の河: ③子供同士の友愛、大阪下町④宮本輝の小説
政令105号事件(永山則夫の青春):①進藤兼人 ③中学校の運動会で全力疾走する少年、貧困と犯罪、人間性善説アゲイン
竹山(ちくざん)一人旅 :②音羽信子、?③母性、母の愛、海辺のシーン
鎖につながれた犬:(?)①モーリー・トラオレ(元熊野寮生、現在南アフリカ、ヨハネスブルグで活躍中)
キューポラのある町:  ①浦山桐郎 ②吉永小百合、浜田みつお
愛と死を見つめて
(アジア映画)・・・記憶なし
(南米映画)・・・ウカマウ、エル・コンドル・パサ
●これから思い出すたびに補足、訂正、追加、削除などします。
●わかったこと、60歳までずーっと欧米の一部(イタリア、フランス、北米)に目が行っていたのですね。日米安保条約について真剣に考え始めたのが1965年韓日(通商友好)条約締結・批准のとき。結論は、百害あって潤うのは軍事基地と軍需産業に利権を持つ人だけ、よって廃棄して米軍基地は撤去するべし、自衛隊については憲法違反であり国土開発・災害救助隊に再教育・再編成すべしという意見(社会党)から解体・赤軍創設にいたるまでたくさんの戦略論が語られましたが、どれひとつとっても1955年からの自民党1党支配体制(または実質自民党主体の連立)を覆す力にはなりませんでした。僕自身は、1968年3月に一回ブンド(共産主義者同盟、マルクス主義戦線)から離れて「個人的タタカイ=「世界革命浪人」(サンバカ)または遊牧民・山頭火・松尾芭蕉的生き方を選択してきたつもりでした。
●でも、明らかに欠落していたのはアジア、特に隣国の韓国、北朝鮮、中国、フィリピン、台湾などとの文化交流ですね。これでは納得できないので、とりあえず縁があった韓国(ハングル)の勉強を始めました。ハングル絵本も購入しました。第二回目のレッスンはどうするか。思案中。映画についても、今までとは違う観方をしていきたいと思います。サラの紀平さんが「アジアの映画祭やろうと思ってる。」というので、本気でやって欲しいなとおもっていますが、「おめーいいかげんに自立せいや」という声も聞こえます。ま、お楽しみお楽しみ。

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by issei_tachikawa | 2009-12-19 17:57 | 音楽大道芸活動 | Comments(0)

新聞について考える

・TVと同じく諸悪の根源かもしれない、などという問いが生まれてから40年くらいたった。・毎日毎日特ダネ記事をつくる記者たちには申し訳ないが、生産性向上・経済成長一元主義、差別、選別、戦争体制賛美報道について何の反省も無い。かかわっている個人個人はとても誠実な人もいる。あまり一般論で袋叩きにしていると、こちらが返り討ちにあうかもしれない。でもオレは間違っていないと自分を信頼している。
・どこかで飛行機が墜落すればその日はそのNEWSのみ目立たせて継続的に報道するべきNEWSを報道しないという姿勢が当然のごとく通用している。買うほうも買うほうである。僕は今の日本の新聞の中で個人的に金を払ってまで手に入れる価値或る新聞はわずかだと思う。
・商業新聞の中で、ぼくが誠意を感じるのは東京新聞と毎日新聞である。
・毎日新聞は、BSE(以前は「狂牛病」とされていた)、生活習慣病(・・・)、統合失調症(分裂病)などの表現を変更する際に、社説でそれまで無自覚に使用してきた事実に触れながら自己批判をして、表現を変更する理由について説明してきた。他紙はどうであったか?もうひとつの事例。北九州だったと思うが、小型漁船の船長が遠洋漁業中にエンジントラブルで何週間も漂流しているところを救助された事件の報道が光っていた。他紙は船長のコメントを載せても、記者が勝手に要約したので趣旨が伝わらなかったり、各紙によって同じ事実の評価が違っていたりした。毎日新聞は船長の記者会見コメント全文をそのまま掲載してくれた。彼は1つ1つの言葉をかみ締めながらしゃべった。「不慮の事故で死ぬ思いをしたが今までの満たされた生活で分からなかったことが分かった。道を歩ける、飯が食える、人と話ができる、こんなにすばらしいことなんだという感じ。自分の命は自分だけのものではなくて僕のことを思ってくれるみんなのものでもある。ぼくは生きているようで生かされていることがよくわかりました。」というようなことを。どこかの坊さんか宗教家か、ヨネばあちゃんを思い出してしまう、でしょ?
・東京新聞の「本音のコラム」は、500~550字の時事批評だがなかなか読みごたえがある。今日のライターは鎌田慧(さとし)さん。1970年代に出版した『自動車絶望工場』(トヨタ自動車の期間工体験)は5ヶ国語以上に翻訳された。彼は僕の尊敬するノンフィクションライター。以前彼の家までワンパック野菜を配達していた頃、月1回は家にお邪魔して奥様、息子さん、娘さん(愛)とおしゃべりするのが楽しみだった。彼はいつも仕事で不在だったので1回しかあっていないがお互いに濃い人なので(笑い)きっとおぼえていると思う。「来年で日米安全保障条約59年、すでにとっくの昔に賞味期限(どころか消費期限も・・・イッセー)切れている。」と彼は言う。有史以来、日本国土に外国の軍隊がこれほど長期間駐留した事実は無い。安保体制は恒久平和にとっては無用、軍事基地は無くす方向で両国の話し合いを継続するべきである。間違ってもアフガニスタンなどに「復興支援」派兵させてはならない。民主党さん、米国傀儡の汚職政権(カルザイ大統領)などを表敬訪問してはだめだよ。9.11の証拠無き犯人探しを名目にして独立国を侵略し、インフラをぶち壊した北米+ネオ十字軍達にしっかりと後始末させるべきです。
・というわけで僕は今のマスコミについてとても厳しい意見を持っているが、まだ期待もしている。その役割はとても重い。霞ヶ関よりもTVで民主主義の時代なのだから、がんばれ!マスコミ、発想を転換しよう!社会変革の舞台は地域にあるのですぞ。バナナ売り切れも地域から。
・私食べる人使う人(消費者)と私作る人がひとつになって地域を変えていく。人間って思ったよりも強いんだよ。今まで出来そうも無かったことだってできるかもしれない。コミュニテイを農・食と福祉たすけあい・子育てをテーマにして変えていくんです。コミカフェだってたくさんつながってきたら強いぞ。支援室と地域セカンドリーグが織り成す中間支援ネットワークはちょっと個性的に輝いていきます。ゆっくりと、少しずつ、確実に。
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by issei_tachikawa | 2009-12-15 12:28 | 足元から社会を変える(政治・社会革命) | Comments(0)
・人事の高津くんが給料袋を届けてくれる。「ゲンナマだったらなー」なーんて冗談冗談。「いらねーよそんなん、かすみてーな額だし。もってこなくていいよ。」という、もちろんこれもジョーク。その次にマジな質問っていうか提案。「高年齢雇用継続給付もう申請しなくていいよ。どうせ年金減額されるんだし。年金か給付金かの問題だったら人事の手間省く方がいいから。」と。しかし人事の彼は「いや!申請するほうが少し得ですから。給付の全額が減額されるわけでなくて、1万くらい給付のほうが多いですよ。」という。思わず「わかった信頼するよ。任せる。」と言い切ってしまった。これが僕の高津君への信頼事例。
・信頼と信用は違う。信用は貨幣制度、金融機構存立の基礎であるが、物的保証の無い信用制度は長期にわたっては存続し得ない。逆に言えば、信用関係が成り立つにはいざというときの、つまり債権債務関係が不履行の場合の一般的等価物が必要になる。それは歴史を振り返って見ると家畜であったり金銀であったりする。管理通貨制度下でも背後には国家の金保有高が問われているので、国際金融の本質的にはいまだに金本位制なのだ。信用は何らかのものによって保証されているが、信頼は心のありようなのだ。資本主義においては物が人を支配するので、いくら信頼しようとしても何らかの保証を求めがちである。ついつい疑ってしまうのだ。それを打ち消して他者への信頼を回復させる根源的力の源泉は何なのか。賀川豊彦との対話が続いている。
・高津君にリハビリ体験を報告した。「今年はさんざんだったよ。軽米でやったぎっくり腰の痛みが右ひざに来て、家の近くでチャリ運転中に車に撥ね飛ばされ、別の日に駅に向かって急ぐ途中つまづき転倒し右おでこから道路に激突した。とりあえずコンビニでバンドエード買って貼ったら治ったような気分になったのでそのまま出勤し、パソコン打ってたら机に血が!・・・それからオレのリハビリが始まるんだよ。毎日少しずつ右ひざが曲がるようにリハビリしていった。最初は正座ができなかったのに、約1年間のリハビリでようやく最近正座できるようになってきた。ある日正座しても全く痛くない、元に戻った!と身体の声を聴いた瞬間はマジに叫んだよ。ツオー!キター!って。」 
・いままで何の気なしにやれていたことができなくなって、また再びできるようになるまでの経過を振り返ると、身体障碍者や高齢者の痛み辛さを少し共有できたような気がする。60歳超えても筋肉は強くなるという事実も確認できた。この数日間は軽くジョギングを続けている。来年の沖縄マラソンも頭の片隅に浮かんでくるほど。奇跡?ではないね。魂と身体の自然の自己回復力が残っている証拠だと思う。神の力?とは安易に決めたくない。神の存在、天地創造を考えたのは人間なのだろうが、それがたくさんの宗教、宗派をうみ育て今に至るまでの長ーい歴史を考えると絶句してしまう。おれはたまたま父が信徒(神道の)だったので日之御教の御唱念が身体になじんではいるが、人に説教する気にはなれない。ここでも賀川先生との対話が続いている。3月6日のシンポジウムに向けて打ち合わせの日程が決まった。楽しみが一つ増える。やるぜ!
(あほくさ!)
・タイガーウッズの休業で業界の損失額6兆円だってよ。朝まで泣けよ夜の星・・・意味不命あほか!
・ばついち:戸籍に×がつくからだろうが、行政さんやり方変える方がいいね。分かれてだめになったりするとは限らないんだし。まるになる場合だってあるからな。やなやつだと思っても子どものこと自分のこと考えて何十年もじーっと耐えて、夫が定年したら待ってましたとばかり離婚相談ってのも増えているようだがそれで、失われた青春、取り戻せるのかい?分かれた結果を×にするか、○にするかはあなた(たち)しだい、だから分かれただけで×印付けるのはおかしいと思うよ。ドゥユーシンクソウ?
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by issei_tachikawa | 2009-12-14 21:31 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)
・リスク管理項目は、その発生場所に応じていくつかに分かれます。
・僕の場合は、自宅、通勤や移動途中、職場(新大塚ビル)、その他に分けてリスクの分析評価・対策を講じています。
・その中でみなさんが見落としがちな対策についてアドバイスします。
【自宅編】
・自宅のどこで寝ていますか。2階建ての家で可能な場合は2階に寝るほうが安全性は高くなります。大地震で1階だけつぶれることがあるからです。
・枕元の近くに冷蔵庫、本棚、衣装○などがあるならどけるほうが良いです。神戸、新潟などで家具が転倒して下敷きになったり頭をやられたケースがありました。
・枕元は直ぐ手の届く所に以下のものを常備して寝ましょう。①ヘルメット ②靴 ③ 軍手 ④ 水(ミネラル・ウオーター) ⑤大型のバール(くぎ抜きのこと)、これは阪神淡路大震災のときにも大活躍しました。倒れた家屋の下敷きになっている人を梃子の原理でヨイショっ救ったのです。以上のうち特に大切なのは、①と②です。毎晩寝る前に所在を確認しするといざというときの心の準備にもなります。大地震でも生き延びるためのタタカイでもっとも重要な時間は30秒から数分間ですから。
【移動中編】
・できる限りビルから離れて歩き、上から落下したものに頭をやられないように注意すること。グラッときた瞬間はパニック状態になりますからいちいち判断する余裕は無いと見ることが安全対策になります。
●ハングリーな気持ちいくつになってもなつかしい。いつまでも忘れないようにしよう。・・・と改めて思う。
・「もくじき」のクライマックス近くで中村誠一のソプラノサックスから流れる東洋的ないい音、サックスが吹きたいという衝動。
・御茶ノ水につく頃に頭の中は「カルナバレアント」のメロデイがあふれそうだった。その日の帰りはビルの谷間を思いっきり吹きながら帰ってきた。
・求めよ、さらば与えられん Heaven helps who help themselves
☆昨日は約15km本当に良く歩いたな。スマイルタクシイの兄さん、本当に心からお疲れ様でした。参加したみんなもね。これなかった人はまた今度どっかで一緒に歩こう。世界の先住民たちと、自然界の生き物たちの全てと手をつないで。
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by issei_tachikawa | 2009-12-13 22:00 | 気・血・道 | Comments(0)


●星野さんから増子さん(CBS)に寄せられた最初の相談を掲載します。
「白井市内では多くの団体はありますが事業型はなくボランテアの形のところがほとんどです。そこで皆様に良いアドバイスをいただきたく2点のテーマについてご意見を頂戴したくよろしくお願いいたします。

1:ボランテア団体でこれからCBに移行したいがスタッフやサポーターの人たちの同意がなかなか得られないのでどのようにしたらよいのかとの相談が多いのです。
2:白井市ではネットワークができていませんので、当然連携や協働などCBを支援する体制が弱いのです。このために
  (1):まちおこしなど市内全体での目標がないと説得や協力が得られないのでしょうか?
  (2):コーデネーターがいないこともありますが、ビジネスとゆう言葉にすごく抵抗を感じている方が多いこ   とも事実です。最近特に感じていることですが、住んでいる環境が非常に大きな影響を持っているように   感じました。ここもほとんどが東京に通勤していますし、団塊の世代の方も多くいるのですが市民活動に   参加することが少ないのです。」

●2人の方からの助言を掲載します。
【CBS 増子さん】
「CBへの理解を進めるのも、地域でネットワークを構築するのも、私は【言葉に対する共通理解】からはじめてはどうかと思います。
   ボランティア団体さんの眉間にしわがよってしまう「お金」、「有償」、「ビジネス」ですが、多分【お金・有償=目的】なんだろうと考えるから、けしからんとしわがよってしまうのだと。そもそも上記であれば、CBではないと思いますし、しわが寄りすぎてきっと頭痛がするんだと。
   有償・ビジネス手法は単なる【手段】であり、お金はまちを元気にするための単なる【道具】でしかなく、目的は「白井を元気にしたい」ということ。ごはん食べるのに、お箸使う人と、フォーク・ナイフ使う人がいるのと一緒だと思うんですね。要はそれぞれの活動や、成果をあげやすくために、どの道具を使うのが一番無理なく目標に到達できるかを考えましょうと。食べにくいのに、この食事はお箸で食べなきゃダメだと決めつけて、ムリして食べ続けてもおいしくないし、疲れてしまいますよね。どの道具を使えば、みんなでおいしい食事を囲めるか、まず話し合いましょう♪もしかしたら、新しい道具で食べる方が、おいしかったり、みんなが楽だったりするかも!?みたいな感じで・・・ダメですかねぇ。決してふざけて言っている訳ではないのですが、どの道具で食事するかワークショップなどやると実感できるかもしれませんね。理詰めで押しても難しいと思います。」

【㈱sukoyakaプラン 相模原の阿部さん】
「私も「まちおこし」と「CB支援」を看板に上げて活動しておりますが、実態としては「シニアのたまり場」を軸としたコミュニティビジネスを自ら体験しながら立ち上げる事に今は集中しております。こんな小さな体験を通して、果たして星野さんの問いへの答えになっているかどうか分かりませんが、「ボランティア団体」で長く活動された方が「CB」へ移行する事は正直言ってかなりの無理が伴うかもしれません。
   この場合は「団体」で考えず「個人」での行動が可能かどうか“ゼロの視点”で考えてみてはいかがでしょうか?「個人」の活動がスタートすると不思議と同意者や協力者が近づいて来てくれるものです。実態があると言うことは“強み”にもなります。
   相模原市も同様にCBに関するネットワークは不十分です。CB活動にとって「ネットワーク」の重要性は分かりますが、自分の活動拠点を中心において図を描きながら、自らの行動で線を繋いでいくしかないように思います。私はそんな方策で「ネットワーク」を拡げていっております。追加として、永沢先生からは、如何にターゲットを絞り込むかが活動の成果を上げていく上で最も大切な事である、とのアドバイスを頂きました。」

『シニアよ、ITをもって地域にもどろう』(NTT出版、国際社会経済研究所監修)の第3章の③「小額でもお金を稼ごう」も示唆に富んでいますね。堀池喜一郎師匠が執筆分担されたところだと思います。
最初は地域で事業に係わろうとする人への率直な問いかけから始まります。
Q1.儲かる話なのでしょうか。
Q2.利益は無くとも持ち出しはしない程度に収入はいただくのでしょうか。
Q3.年金があるのだからずっと無償サービスでいいのでしょうか。
これについて自身の考え方を固めておく必要があるとされています。
以下76ページから82ページまで、ワクワクするようなシニアSOHO三鷹、竹とんぼ教室の活動体験談が書かれています。これはためになりますので、要点を紹介しておきます。
1.お金を取って活動か無償でボランテイか
2.お金を取って良いサービスをする
3.様々な相手に対応する






20091214 相談者の星野さん⇒増子さんへのメールです。
「増子さん他の皆様から貴重なご意見をいただきありがとうございました。昨日第2回目の講座を行いました。今回は行政サイドからの今後のCBに対しての取り組みなどについての話及び地元白井市内で起業している方そしてNPO法人の取り組みを話していただきました。白井市では周辺の柏市や我孫子市などと比べて市民活動の支援体制が遅れていますが、本年度から女性市長の誕生で市の方針が徐々に意識改革を進めていく方向に感じられました。来年度以降に期待をしています。また、地元の女性9名でお弁当づくり(目玉商品:房総まき)をしている方の立ち上げから現在までの3年間の苦労話や生きがいを持っての取り組みなどは参加者に大いに体験談としてよかったとのご意見をいただきました。NPO法人の取り組みは、こちらも女性の代表者が健康食品(みそ、お茶、健康野菜など)を手作りして販売している様子を語っていただきました。

やはり地元の方では親近感ができ大変盛り上がり参加者も女性パワーに元気をもらった感じでした。販売方法はいずれもネットやガレージセールなどを行っていました。来年1月に3~5回目を行いますがまたその状況などをご報告いたします。」
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by issei_tachikawa | 2009-12-09 15:15 | NPO,CB,SB論 | Comments(0)


・CBSのメーリングリストに、あるプレーヤーからの相談事がのっていた。
・さっそくこちらのML(タスク、モデル事業、運営委員会)でも配信して、意見を聞いたが、まだ誰からも返事がこない。
・自分でも考えているが、聴きたいことのポイントが押さえ切れていない。だから他の専門家とかプレーヤーに質問してもピンとはずれになる。だから本当はこのブログテーマ明日に回したいのだが、明日はちょっと忙しくなりそうなのでとりあえず分かる範囲で先にコメントしておく。
・僕のボランテイア体験。1つ印象に残るのは、三里塚のワンパック野菜の配達助手。配達先は空港反対闘争の支援者なので「売り上げ」を気にする必要はない。運動が先にあって事業が後の場合は、運動自体がぽしゃらない限りボランテイアもそれなりに継続できる。経費も家族経営で共同出荷場は生産者の所有地にたっていたので、必要最小限に抑えられていた。僕も農学連帯と手伝い気分でやれたし、終わったら卵1パックとか「くず野菜」をただでもらったりすれば満足でした。
・NPOの場合にはどうなんでしょうか。事業内容にもよるが、継続力という視点で見ると、経営側、労働側で認識が異なる。働く側の思いでは、金をもらっては悪いと感じる人も少なくない。年金あり、企業の継続雇用有りで貧乏なNPOなどCBから金をもうらうのは忍びないと思うのだろう。比べて、経営サイドの気持ちは、「貴重な時間を割いて働いていただくのだから、わずかでも労働の対価をお支払いしたい。」と考えるのは人間的であるし、逆に「賃金をうけ取っていただくほうが安心」という場合も或る。
・僕の場合、気楽にボランテイアという体験が無いのでピンとこないのですが、有償と無償で働くモティベーションとか継続力が変わるんでしょうかね?サラの配達ボランテイアは10年も続いていたし、花のミプリの配達も完全ボランテイアでつづいている。逆にCBにこだわってもだめになる場合もあるだろう。継続力においてBとCBを比べると何がどう違うのでしょうか。事例が出しづらい。
・いずれにしても、すぐに答えが出そうにないので考察継続にしますが、CBとして成り立たなくてもやめられないとか継続を求められる活動はたくさんあるのは間違いないですね。そこんとこの押さえ方とCBとの関連付けが問題です。BからCBへのレベルアップとか形態転換がベターだととらえると何か違うなという感じ。
●吉報:NPO法人 あったかキャッチぼーるの風野恵さんが、御成門で「稲香屋」というおにぎり屋さんを開業しました。今のところスタッフ3人で10時から15時まで営業、10~12種類のおにぎり専門店。簡単な惣菜、パックしやすいフルーツも販売。彼女の思いは、故郷茨城の近所の農家のお米で作ったおにぎりを販売して農家を支えたいということ。コミュニテイカフェとかレストランにする意欲もあるみたいです。楽しみですね。
稲の香りの屋と書いて「いなか屋」か。いいないいな!おれの実家は世田谷区岡本ですが、1950年代は周りが全て田んぼで、砧工業前のバス停から家まで田んぼ道を帰るとき、イナゴがキチキチいいながら逃げるんです。稲の臭いがプーンとしてきて「帰ってきたー」という実感がわいてくるのでした。稲香屋さんの繁盛をお祈りしています。
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by issei_tachikawa | 2009-12-08 20:25 | NPO,CB,SB論 | Comments(0)

断食は意味多い



・誰にでも奨めるつもりはりません。身体の弱い人とかどこか疾患のある人は良く考えたほうがいいですね。でも少食断食健康法(甲田病院、渡辺クリニックなど)というしっかりした療法もありますから先生と相談すればよいと思います。
・ぼくの断食初体験は30代の前半、動機はハンガーストライキでした。学生寮の自主管理を潰そうとした学校当局は、冬に暖房を止め、蛍光灯が切れたりトレペがなくなっても補充しないとか兵糧攻めしてきたので、抗議の意思を込めて座り込んだのです。僕を入れて6人、みんな若かったな。授業は普通に出ていたし、バイトにも行った。5日間ポットに入ったぬるま湯と塩だけでがんばった。
・もっと腹が減ると思っていたが意外にそうでもなかった。1日目の夜がちょっときつかったくらいかな。3日目になるとかんぺきにその世界に浸ってしまって、「食い物」しりとりに興じる余裕すらでてくる。
・真っ黒黒の宿(祝)便ってやつにもお目にかかったのだ。何も食わないのに毎日ウンチが出るのは不思議だと思ったが、それだけ人の腸は長いしポケット状のくぼみに廃棄物が詰まったりしているのだと考えると、断食によって毒素がでて身体が浄化されるという説もうなずける。
・メンタルにも良いと思った。腹が減る、飯が食いたくても食えない、極限状態まで飢えて耐える、海の向こうでつらい思いをしている人の顔(この頃、野宿する人は社会問題化していなかった)が見えたような気がした。断食空けは王将の餃子だった。その前に誰かが買ってきてくれたヨーグルトを食ったにがうまっかたー。めんたま飛び出るほどでした。
・腹がとことん減るとメニューだ栄養だとかお構い無しに何でも食いたい。食い物ならなんでもいい。今の食育を効果的にすすめるための前提はこれだと思う。大人も子どもも、教えるほうも教わるほうも腹へってどうしようもない状況を組織的につくってから教育すべし。イスラムのラマダーンは一案だと思うし、寺で年末にやる断食も面白い。最近はホテルで断食1週間5万円などというコースもできているらしい。いずれにしても腹八分目医者要らず、食いすぎが万病の原因だというのは真理だと思う。
・12/22BIG ISSUE忘年会、販売員さんには「腹いっぱい食え」としかいえないですけどね。絶対的貧困と過剰生産飽食廃棄が同じ面の中に存在するという日本をなんとかしたい、何とかしよう。仕組み、仕組み、政治と経済、子尽力と組織力 個人力

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by issei_tachikawa | 2009-12-06 22:13 | 気・血・道 | Comments(0)