どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

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c0219972_19435090.jpg病院で生むのは避けようと2人で決めた。助産院での出産に立ち会ってまれな体験!

長男は拝島の金子さんで出産。陣痛から誕生まで12時間以上もかかった。陣痛が激しくなるたびにアンテナのような頭髪が見え隠れして、母体がいきむと引っ込んではまた出たりの繰り返し。妻は日頃水分摂取量が少ないのに紅茶やドリンク剤を飲まされてお腹いっぱい苦しそう。金子さんのやりかたに疑心暗鬼になったり、緊急事態を想像してしまったり心中おだやかではなかった。でも「お産は病気ではなく自然の神秘的な営みなのです。」と自分に言い聞かして耐えた。産声を聞いた瞬間、国分寺のおばあちゃんと抱き合って喜んだ。

次男の時は助産婦さんの不幸で急遽近所の病院に入院、知らせを受けて職場からかけつけたら直ぐに生まれてしまった。控え室で男子誕生と聞いてほっとするイッセー。3人目(娘)は福生の森田さんにお願いした。1人目に比べればとても楽で、80歳を越えていたお姉さま(助産婦)が大きな赤いリュックを背負って横浜から応援にかけつけてくださったのも頼もしく思えた。朝焼け時国分寺の実家に帰る車中で、3児の親になれたことの幸せと責任をかみ締めていた。
  
これまで家族全員ほとんど病気らしい病気をせずに大きくなっていることは、自然治癒力、自己回復力への信頼のたまものかなと感謝している。因みに、わが家では発熱、腹痛、頭痛、腰痛、下痢・嘔吐、咳、かゆみ、腫れなどは「体が病気を治すために起こしている反応」として考えているので、怪我、交通事故、歯痛以外で医者とか薬に頼った事はほとんどない。長男が小学校卒業までは玄米ベジタリアン食、ほとんど完璧に生協食品の手作り料理で育てた。最近子供らは自分の稼ぎで自由に、コンビニ弁当や添加物まみれの食品も食べているが、家では妻が毎日、パルの食材を使って手作り料理を食べさせようと奮闘している。本当に頭が下ります。せめて土日位はと思って、スパゲッテイ、カレーなどはオレが当番で作っている。ぼくもそうだったので、3人も年をとるにしたがって「お袋の味」に戻ってきてくれると信じている。

【注】子ども達の生年月日、出産時刻
光太 1988(昭和63)年11月5日 午前5時頃?
進吾 1991(平成3)年2月12日 午前2時22分
野花 1994(平成6)年1月31日 午前4時30分?
因みに自分は自宅で午前5時過ぎに生まれ、妻も日の出前に生まれている、不思議だ。

●『湧』(隔月間、地湧社発行、264号)の記事に共鳴して掲載しました。吉村正先生の『いのちのために、いのちをかけよ』(地湧社)おすすめです。「命の現場から①岡野眞規代」の文章も感動的です。
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by issei_tachikawa | 2010-07-30 12:34 | 家族、地域家族 | Comments(0)
c0219972_14191778.jpg【起】怖いといえば、昔、地震雷火事親父とか言われていたが、今怖い親父などは見かけなくなってしまった。先生社会でも物理的な強制力(平手打ちでさえも)を発揮すると父兄からの抗議、教育委員会からの指導・処罰に短絡する風潮が支配的になってしまった。このような問題意識さえ希薄になりつつあるのかもしれないとかんがえるとヤバイと感じる。
 人間誰でもいくつになっても怖いものは残る。オレはどうしても蛇が怖い。連れ合いはねずみが。ゴキブリは誰からも嫌われている。(彼らを汚くしたのは人間の都会密集型生活=環境破壊的な社会なのだが)幽霊なんて大人でマジに(理性的な世界で)怖がる人はいないかもしれないが、深夜のうすッ暗い裏通り(夜道)ですーっと目の前に現れたら悲鳴を上げるかもしれない程度には怖い。
 昔は近所に暗がりがたくさんあった。家の中でもトイレは独特で、深夜に一人で行くのは怖かった。大きくなるとだんだんすれてきて、今では全く怖くなくなってしまった。(内山さん風に言うと「きつねにだまされなくなった」というのだろうか)これは文明化=都市集中的な近代工業社会においては大変残念な事実であり、少し昔の純粋なこころと関係性のありようについて見直し=復活のくわだてがあったら面白い。
【承】比べて恥ずかしいという感情は、イッセーの辞書には無いかと思うくらい不思議な感情である。例えば、毎日の山手線で、ストレッチをする。爪先立てて足首を回転する運動から始めて、最後は鉄棒につかまって1駅揺られるだけで足腰とくにひざの柔軟性が保たれる。ケーナを駅頭や街中で吹くこともある。生協関係者に会うこともある。反応は人それぞれで、投げ銭してくれたり、見ない振りして通り過ぎたり。
【転】昔はそんなことをしては家の恥といわれたり、半面で旅の恥は掻き捨てなどといわれて旅先ではしょうもないことをしてもサバサバしたり(特に男は)?環境活動をしていても個人のモラルについてISO14001などの事務所管理でやりすぎるとかえって孤立したり、環境認証企業からも指摘されたりする。日本の文化って不思議な面がある。一方で「照れくさい」は江戸の文化なのか?よくわからないが、恥ずかしいよりは定常的な文化としてもいいような気もする。ま、しょうがねーかということ。
【結】恥ずかしいかどうかの分かれ目は、自分が周りを見つめる力をもっているか、見られる側に回ってしまうかではないか。言い換えれば「きもったま」が問われる。こういう感情は文明化の進展に伴って次第に薄められていくが、その進展はきわめて遅いようだ。
となれば早く気づいて見る・見られるの位相を逆転させて生活スタイルを整える方が楽しくくらせるし、幾分かはストレス発散・健康づくりにも効果的ではないかと思う。
日本的な横並び一直線文化を越えてゆっくりと社会を変えていく、これは楽しいよ。
◎関連して面白そうなテーマ。一神教と多神教、無宗教? 宗教・信仰・迷信、デカルト的思考、
中世ヨーロッパの闇、「白い人々」の自然・有色人種・キリスト教以外の宗教へのスタンス
ブッシュとオバマの裏表
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by issei_tachikawa | 2010-07-27 14:51 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)
c0219972_9511784.jpg・一言で感想を:いやーためんなりましたむしろ励まされました。
・サラリーマン化していた意識を変えるきっかけになりました。
・驚いたこと
港の近くは緑が無い。ほとんどの木や草が焼けたままになっている。観光地だったとこなので悲惨な感じがした。
スーパーなど店が無い。田舎(すみません)の万屋しかない。
子供がいない。高齢者ばかりが目立つ。
夜中に火山ガス(NO2)警報が何度もなる。そのたびに目を覚ますので眠れない。しかたがなしに日記をつける。
池に行ったら男性高校生が2人遊んでいたが、ブラックバスしかいなくなったという。小魚はみんな食われてしまったらしい。イヤハヤ
・感動体験
到着した時の救援センターは、草ぼうぼうで廃墟同然でしたが、草取り貫徹したらベンチとかブランコが出てきた。聞けば元は千代田小学校だったのだと。似たような話:阿古(アコ)部落のAさんはご主人を亡くして86歳の単身独居生活。帰島しても庭にはびこった萱とか竹をかれないので手伝ったボランテイアの鎌が何か固いものにぶつかった。草を刈ってみたら「太郎の墓」と書いてある。周り囲んでみんな泣いたんだってさ。
「風の家」(日本医師会が寄贈したロッグ造りの保養所)での交流会の時に、島歌のライブを聴けた。シマウタというと沖縄が有名ですが、三宅にも伝わる歌がある。何人かで回しで歌うのですが、基本のメロディだけが伝承で、あとば歌詞とかは即興アドリブ自由なんだと。
ワイナマユ(若い川、アンデス音楽バンド)で演奏中に、最近禁句にしていた「三宅島がんばれ!」が腹の底から飛び出しました。
・辛かったこと
毎日3回仕出し弁当、おかずは魚(海の幸!)と漬物(きゅーりのきゅーちゃん)これを2週間続けると芋が猛烈に食いたくなる。
毎日白米で生野菜を食わないと便秘になる人が出る。ぼくは圧力釜持ち込んで玄米を炊き、朝は生野菜・果物・豆乳ジュースを飲んでいたので便秘にはならなかったが、「キャベツが食べたい」という人のために、お店でキャベツ、キューリ、トマトを買ってきてだしたら喜ばれた。翌朝、「おかげさまで出ました。」という報告をもらってぼくもうれしかった。
移動は全て車、散歩は禁止されている。歩く、走る、登るは毎日の生理的欲求なので禁じられるとつらいが、この際我慢するしかないと割り切って、任務終了後、玉川上水についてからシントン(鷹野台)まで約5kmをひたすらあるいた。心底気持ちよかった。
それまでは、芋食ったり、歩いたりがこんなにも楽しくてありがたいことだと感じたことなんて無かったのに。欠乏体験が感謝の気持ちを目覚めさせてくれました。
・余談ですが
食えることのうれしさと感謝の気持ちに気づいたのが、5日間の断食(ハンスト)明けの王将です。
字を読めること、字の存在自体がうれしいと感じたのは、留置所の壁に貼ってある掲事物を読む時でした。
おしっこ、うんちできることの気持ちよさは脱腸で入院手術して回復した時でした。
自分の手を見つめる。五体満足、家族もおるし、仕事(収入)もある。土地といえだってあるのに、満たされない感情に支配されることが多い。まだまだこれからだ。あと56年はがんばろう。
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by issei_tachikawa | 2010-07-25 17:47 | 災害を天恵として | Comments(0)
社会を変える力をもっていますね。霞ヶ関(国会)、都道府県市区町村議会や政党や宗教団体以上です。TVでバナナがダイエットに良いと流れると、お店の棚からバナナが消えてしまったり、選挙の結果をほほ正確に予想できたりするのですからね。
・政治(団体、リーダー、党員、サポーター)と宗教(団体、リーダー、信徒、サポーター)の話題については、何でもありで報道すると良いですよ。ル・モンド紙、ジャパンタイムスなどが事例。
・その際に下手に要約したり、分析評価しないで、主張の全文か最重要部分の全てを掲載する方が事実と真実が伝わりやすいと思います。
・特ダネ=本日の緊急ニュースについても、全部を心がけてください。例えば、九州のどこかで小型の船が遠洋航海上でエンジン・計器のトラブルを起こし長期間(?)漂流後に救出されて、インタビューした記事の新聞報道で、一番良かったのは「隔日新聞」でした。船長のコメント全文が掲載されたので彼が飢餓(飢え死に)寸前の状態でどのようにして希望を維持したのか、空腹状態に耐える、自分を励まして生き延びることを通じてこそ食い物や作る人への根源的な感謝の念が沸いてきたことなどが伝わりました。
・それから、これは難しいとこですけど、今の世界を動かしている力の背景にあると思われる動きについては、継続して毎日報道し続けてください。例えば、イラク・アフガニスタン・沖縄・立川(日本に米軍基地がいくつあるのか、その周辺の騒音・田畑家畜植物の被害)などを、資源(天然ガス&石油パイプライン問題)、国債発行の問題とからめて粘り強く追及してください。
・日本人は勤勉真面目な人が多いので忙しくて過去(歴史)を整理してこれからの生活や政治に生かしている人がまだまだ少ないようです。あの小泉&竹中政権ばかりが、市場原理主義で日本と世界を格差と貧困の海にしてしまったといわれますが、自民党政権って50年間も続いていたんですからね。その間にたまった膿(うみ)が、どれだけの期間あれば出し切れるか?小生にもわかりません。
吉田茂は英雄なのか?池田隼人の所得倍増計画と世田谷区岡本の(日本全国の)自然破壊、田中角栄の列島改造(破壊)、米軍基地は本当に日本の安全のために存在するのでしょうか?
・沖縄戦争、サンフランシスコ条約、日米安保条約と米軍基地の管理権・軍隊指揮権、立川の砂川米軍基地拡張が中止され「伊達判決」が出されたにもかかわらず、最高裁で全員一致で葬り去られた事実、ベトナム戦争は間違いだったと元国防長官(マクナマラ氏)が悔恨と反省の(読んでないので内容は保障できませんけど)書を出版していること、中谷巌氏も『資本主義はなぜ自壊したか』で新自由主義・市場原理主義に基づく「構造改革」を自己批判(内容については?だが、ともかく間違いを認めたことが竹中・小泉・郵政民営化推進者との違い)などについて継続的に報道してほしいです。
・ぼくの意見は国民の何パーセントに支持されるでしょうか。メイビー今は2~3%くらいかな。でも上記の期待にこたえてくださるマスコミさんだけと仲良くするのではなく、どんなスタンスのみなさんとも笑ってコミニケーションしながら、56年間の人生を燃焼させるつもりです。
ボーイズ ビー アンビシャス イン デトロイト (ビー=みつばち)
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by issei_tachikawa | 2010-07-24 07:08 | エッセイNOW | Comments(0)

地震カミナリ家事おやじ

・タイトルに特別な意味はございません。
・火事を家事に変えた点に注目を。
・女性パートナーに先立たれる友人が増えています。高齢者以外もいます。58歳で妻他界、以降20年以上の独居生活。ゴルフとか旅行に行けた頃はまだましだったが、80歳過ぎると下半身が弱くなって買い物もできなくなる。
 女性に比べると近所に友達がいない人が多い。こういう人でも、食に関心があって自分で好きなものを創れる技術が体得できていれば人生後半のタタカイがもっと面白くなると思います。
 (今日のイッセー家事)
・くそ熱いからこそ待ってましたとばかり「長岡(新井)式酵素玄米」(詳細についてはHP:太陽の家)を炊く。全工程3時間(炊飯56分、蒸らし50分、こめを洗って攪拌しながら自然塩を入れていく、保温器の移すなど)
・米麹漬けをつくる。キューリ、人参、かぶ
・9人目の家族の世話をする。まだ小さいのでウンチやオシッコがうまくできないからてまがかかる。脱水症状(熱中症)にならないように水分を補給、我が家のエアコンは働かないので庭に水をうつと涼しい風が通り過ぎていく。
・いい気分になってきたので、ケーナで「風とケーナのロマンス」を吹く。死ぬまでに1回でいいからハーモニックな「      」を誰かと吹いてみたい。
・飯の前には、ビールを。思いっきりぜーたくしてサントリイ・プレミアムを買う。ついでにノノ(娘)に頼まれたアイスを買ってくる。
・ビールだけでは物足らないのでイッセージュースをつくる。素材は、人参、レモン、ミショウカン、りんご(米、青果はパルシステム東京から共同購入、鉄壁不動の5人共同購入班、今年で30周年)
・少し残っている先週の木曜日に炊いた玄米を保温器の左に寄せて祈りながら笑いながら炊きたてを入れていく。1升炊くと2人で1週間くらいもつ。保温器は洗わないで新旧を循環させている。しっかりたいた米には酵素がはぐくまれるので発酵しても腐敗はしない。ちょうど木村さんのりんごが常温で置いておいても腐らないでしおれていくのと同じだと思う。発酵の原理と食の方法は密接にリンクしています。
・豆腐、みそ、漬物、チーズ、こんせんプレーンヨーグルト、クリーミーヨーグルト、納豆、などなど、みんなおれの大好物。醤油はほとんど使いませんが製造原理は同じく発酵(元はショッツル)
いろんなことを考えながら料理していると、時間を忘れて楽しいよ。地震雷家事おやじのイッセーでした。
改めまして、暑中お見舞い申し上げます。単身独居でタタカッテいるUさん、今日立川北口のヤブそばの前を通り過ぎながらあの日のことを思い出しました。そろそろ暑気払いに出てこないかな?

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by issei_tachikawa | 2010-07-22 15:30 | エッセイNOW | Comments(0)
デトロイトは北米ミシガン州東部にある都市、標高は最高で204m、カナダとの国境に接している。人口は1950年代の180万人がピークで、今は約90万人、世帯数33万、家族数21万、中心部と郊外に分かれている。中心部は黒人80%の他、イスパニック、アジアン、メヒコなどが多いが、郊外人口の90%は白人だという。
失業率が50%だと、ヒエー!犯罪も多い。やられる危険度は全米でもトップクラス。1960年代は、ベトナム反戦運動、公民権運動からめてブラックパンサー(武装蜂起⇒政治革命路線の黒豹党)も活躍した都市でした。それでも、フォードの生産開始から1990年代のGM進出以降つい最近までは自動車産業の拠点だったが、今は放置すれば廃墟の町。工場閉鎖、白人は郊外に逃亡、都市の店や住居は空き家になったままで庭には野草が生い茂りの風景。
しかしすごいなと思うのはここからです。
デトロイト全体を農業都市にしてしまおうという事業活動が活発になっているとのこと。いくつかの取り組みを紹介します。

①Mark Covigton(38歳、男性)
元は専属の環境コンサル、失業して他地域に住んでいたが2年前に母と一緒に戻り、ジョージア通りコミュニテイセンターを設立した。いくつかの廃墟の庭を畑に戻して、コーン、玉ねぎ、にんにく、じゃがいも、果物などを植えて、近所の人々も農作業に参加し、自由に収穫できる仕組みをつくった。空き家を利用して子供たちや近所の人が集まれるコミュニテイセンターをつくった。映画会などもやるという。マークさんいわく、「これが社会革命になるかどうかはわからないけど、自分は地域で求められていることをやっているという自信がある。」と。

②Rich Wieske(中年の男性)
市内に60以上のミツバチ農場をもち毎年蜂蜜1300kgをつくって販売している。NPO法人銀座ミツバチプロジェクト(『のんびる』2009年9月号12ページ)を思い出すね。

③William Myers(70歳、リタイアした自動車工場労働者)
やはり空き地で農場をしているが、フェンスは無い。ボランテイア&チャリテイ労働に頼っているが、収穫などに関する細かなルールは決めていない。目高舎農園(武蔵村山市で林夫妻を中心に300坪の自主耕作をしていた。市民農園と違うのは会費4000円払えばどこ耕すとかいつ何を収穫するかは自然次第という)を思い出した。2009年だけで900もの都市農場がオープンしたという。

④ちょっと毛色が違う大企業もデトロイト農業に参入している。Hants Farms(マイク・スコア社長)16.2ヘクタールもの農場を経営している。スコア社長いわく、「小さい経営よりも大規模化する方が、雇用を増やして、税金増収につながり、デトロイトを農業都市として再生させる道を拓ける。」と。市長の都市農業への関心も高くなっているようだ。この点に関してはもちろんNPOなどからの営利企業的やりかたえの批判もでているらしいが、スコア社長は「お互いの良い点を生かせばデトロイト再生に取り組めますよ。」と話している。

⑤NPO連合組織(a city-wide alliance of NPO)Shar Foundationも立ち上がっている。ここの訳がうまくできません。どなたか英語に詳しい方教えてください。英文は以下の通り。
「which aims to farm up to 809hectares in6-to12.14-hectare pods:like Hants Farms plans、these will be run as agricultural businesss」

●同様の取り組みは、クリーブランド、バッファロー、ニューヨーク、ロスアンジェルスでも始まっていて、25都市にまたがる組織(Taja Sevelle=デトロイトの歌手?元はプリンス プロテージってのはなんじゃろ?)も構想されているらしい。Cornucopia(NPO)で検索するともっと詳しい情報が入手できるかも。



暑中お見舞い申し上げます。イッセーよしむら
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by issei_tachikawa | 2010-07-20 09:46 | さんきゅうハウス活動 | Comments(0)

補足の補足

c0219972_19474155.jpg市場品の不十分点、欠点とかミスを指摘して自社の商品を進めるのは営業が良く使う手ですが、安っぽい。競合相手を腐すのは逆に自分たちの商品の品位を下げることになります。これは誰もが自覚しているはずです。がしかし、どこから買っても大差なしという商品で、今、ここで、あなたから買いましょうという決定を促すものは何でしょうかね。
・同類の他社商品との比較
・歴史考察
・先取り
・コストダウンによる価格引下げ
・家計(年収、と考え方)
「中国餃子」事件へのぼくのコメントでコミカフェ(シントン)常連さんからきつい批判をいただきました。
Sさんいわく「生協もだめだな。スーパーと変わりなくなった。個配が生協をだめにしたんじゃないの。」と。
僕は聞きました。「いや、地域のつながりが束縛と感じる人が増えてきたという事実から個配が生まれたのだと思いますよ。コハイが悪だというのはどうでしょうか?」と。
話は広がり延々と続いてついに僕の口から以下の言葉が出てしまいました。
「トヨタのミスを日産があやまりますか?」
Sさんは憮然とした表情で、「生協もだめだな。」と言い切りました。
それから1年間、ぼくは考えてSさんにあやまりました。
「みなさんからの信頼を裏切ってすみませんでした。営利企業間の競争と生協間の競合を同じレベルで話した僕は間違っていました。生協間の連携や地域協働で何ができるか、もっと真剣に考えます。」と。
それからさらに数が月たった今、地域のニーズに生協が連携協働してこたえられる事業について考えられるようになってきた気がします。これもモデル事業(2007年から今ing)の成果(アウトカム)ですね。60歳までは社会革命の準備期間、60~さらに念入りの準備をしつつ本番を開始する、今の僕はこのように考えています。大地の神パチャママさん、ミネルバのふくろうさんも、よろしくお願いいたします。
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by issei_tachikawa | 2010-07-18 10:03 | パルシステムで愛と協働の地域社会を | Comments(0)
生協商品への信頼は篤かった。ナショナルブランドと差別化、差異化するのはさほどむずかしいことではなかった。勉強もしたが産直・国産・安全安心食品への思い入れも強かった。
以下のような論理でわかりやすく差別化した。
一方に市場品となんでもありの「簡単便利生協(当時の三多摩市民生協⇒都民生協)」商品を置いて、その安全性に問いを投げる。
例えば、合成洗剤⇒肌荒れ⇒河川湖海の富栄養化⇒子孫につけをまわすのですか?と。
それを平気で(売れるからといって事業優先で)やるのが生協でしょうか?と聞いたら、10人中9人はノーと答える。
または、市場手配される青果の農薬、化学肥料、生産者の被害、とりむし魚自然破壊について何もいわないのは生協でしょうか?と聞けば、ほとんどの人がノーと答える。
僕らは・・・といって、無茶茶園のみかんが周囲の袋叩きに会いながら世に出てくる際の片山さんらの苦労話や、三澤さん(共生食品)に中澤さん(当時きた多摩生協専務)がにがりだけで固めて豆腐を作って売る提案をして徹夜の実験で成功させた話、笹神村との産直の話とか限りないドラマを語り伝える伝道師がいた。僕もその一人だった。
つまり人々に信頼される商品があり、それを地域に出て伝えきる伝道師(営業)がいてこそ土壇場でもやめないで購入し続けてくれる組合員との愛と協働の輪が広がりを回復したのだと思う。
当時の(1986年)都民生協さんは、100以上の店舗と共同購入中心だったが卵は1パック、牛乳は1本での配送可能、市場品・輸入品についての基準も緩やかな半面で、組合員の委員会活動はぼくらより厳しいものがあった。考えてみれば(反省)超高温殺菌牛乳を「デッドミルク」のレッテル貼ったり、日生協商品についてもくさしまくったりでやばい営業もしてきました。
生活クラブさんは産直共同購入一直線、パートを採用しないで理事が手弁当で営業するなどすごいなーと思うこともありましたが、ロットがあまりにも多いのでこちらに流れる組合員も多かったようです。東都生協さんが立川エリア進出(柴崎センター開設)は1988年だったかな?
エステート大南の加入説明会は、午前中立川生協、午後に東都生協という順番でした。呼んでくれた方は引越し前から東都の組合員でしたが、良い機会なので比べてみましょうという気持ちでした。
よっしゃー!と受けてたちましたが、結果は負けでした。理由は聞いていません。僕が営業担当していたころの勝敗は、対都民生協は8:2で勝ち、対生活クラブは7:3で勝ち、対東都生協は5:5互角でした。もちろんアバウトなまとめですよ。
要するに生協間の商品競合の成否を分けるのは、商品の品質、物語、見せ方、営業のキャラなのですが、生協間の熾烈な競合を乗り越えて人々の魂に響く話をできるかどうかがこれからの課題だと思うのです。

地域一般ではなく、地域を言葉として語るのではなく、地域に暮らす人々の息遣いを感じながらこの地域にあるもの(経営資源)を生かしてみんないっしょにどうやったら暮らしやすい場をつくれるか(人と人のつながり方の問題)を語りながら、積極拡大を続けることが必要です。
そのために必要なジンザイ(地域、生協、商品、農商工連携を物語れる人財)
営業ツール(営業ファイル、地域便利マップ、サンプル)
営業場所と機会の生成(コミカフェ、コミレス営業など)
保障・健康・高齢福祉・子育て事業との連携協働
パルシステムの役職員、組合員、生産者・メーカー・流通業者にとってゲンバって何かの問いかけ
各自がゲンバに出てチイキの必要・要望を感じ取りながら事業を進めること

などが問われていると思います。
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by issei_tachikawa | 2010-07-18 09:06 | パルシステムで愛と協働の地域社会を | Comments(0)
c0219972_1121211.jpg●設立、労使対立、経営破たん、再建までの話はぼくにはできません。1974年設立~1985年までの話は山田理事長はじめ経営をリードされてきた皆さん、組合員、生産者、メーカー、流通業者のもなさんから聞きたいですね。ぼくが語れるのは1985年末から1990年3月連合会(首都圏生協事業連合=ジギョウレン)出向開始までです。

問1.理事会と労働組合、諸個人内部対立の原因は何だったのか?
答1.ぼくには詳細良くわかりませんが、1974年に出来た生協のリーダーシップは社会党の丸山さんご夫妻にあったようです。立川の米軍基地移管(陸上自衛隊への)反対の市民運動、若葉町団地での四つ葉牛乳共同購入運動が設立の背景にあったようです。それからいくつかの新左翼党派や全共闘運動やベトナムに平和を市民連合&ヒッピームーブメントなどに係わった人々が、新しい活動の舞台のひとつとして生協を選んだ。しかしみんな未熟(純粋)だったのか、何度も対立・抗争を繰り返し、クライマックスでは供給も停止状態だったと聞いています。1986年4月にイッセーが入協した時には職員3名から6名に増やして積極拡大路線を採るなど、ある程度再建のめどは立っていたようです。

問2.再建力の源泉は何だったのか?その1 金(供給、支払、返済、資金繰りなど)
答2.それでも買い支えてくださった組合員さんに感謝したい気持ちでいっぱいです。僕が入った年の12月にオフィスコンピューターを導入するために組合員カード(ノートに貼り付けられていた)で確認したら登録693名でした。配送トラックは3台、注文書は手書きで班回覧、提出後翌々週の週1回配送、コースはA~Fまでの6コース、専務のことは事務局長といっていましたが、他に1名実質専務がいて、2名が常勤役員(常務)でした。活動組合員は400名くらいだったと思いますが、400名で9千6百万の供給高というのは、1人当たり24万円、1週間4615円か、ちょっと少ないかな? 300名なら32万で週当たり6153円、このくらいは買ってくださっていたのかなと思います。今の貨幣価値に直すといくらになるかな?!

問3.再建力の源泉は何だったのか?その2 60年代の学生運動・労働運動の流れ 「地域闘争」ネットワーク、そしてご近所ネットワーク。
答3.供給停止下の立川から都内まで商品の引き取りにトラックで夜通ったそうです。この段取りをしてくださった方には再度ありがとうです。(あえてお名前はあげませんが)そしてたくさんの仲間が手弁当で配達や事務や仕分けなどを手伝いにきてくれました。このような人間のあたたかいつながりが再建の原動力のひとつだったと思います。
砂川7丁目、8丁目の組合員さんはパートで仕分けや事務に係わり、時には配達にも同乗したり、残業している職員の夜食(カレーライスなど)をつくってくださいました。この味忘れません。

問4.農業生産者、メーカー、流通業者さんの支援もいただきましたが
答というより説明。国立の安全食品センターの有機野菜、三里塚のワンパック野菜、川鍋養鶏所の卵、海老名畜産の豚肉などの独自取引もありました。代金支払も滞りがちなのに供給を続けられたのはまさに協働の力だと思います。因みに、今の共生食品は、うどんとか麺類のメーカーで、企業名何だったかな?三澤食品?

問5.徹底した組合員拡大(営業)については
説明:3年間で5億円計画作成し実行しました。2年足らずで目標達成。詳細に関しては、6月25日イッセーブログ「パルシステム前史 その3 営業も独自の工夫をした」を見てください。

問6.徹底した経費削減については
説明:職員人件費、事務機器、注文用紙作成費、事務所維持費などこれ以上けづれるとこはない状態でも気分は高揚していました。職員6名の給与は全員同額の15万円のみ。牛乳の深夜配送は、午前2時に冷蔵庫から積み込み、近所から八王子・日野など全エリアの約50%を回って8:00前に戻り、Aコースの配達に出て、その日の終了時刻は10:00になることもありましたが、早出残業手当てをもらうという発想すらありませんでした。協同組合原則を読み返す時に「職員の労働・福利厚生家庭・地域活動」という規定が無いことが不満でしたが口にできない状況でした。
事務所の机、本棚などは組合員からいただいたり、事務用品は自前で購入したりしたことも頻繁にありました。
ある日突然事務所(2階)の床が抜けたり、鉄筋階段が腐ってブラブラになったり、窓を開けたら落ちてしまったりしましたが、修理は自分たちでやりました。土工(どかた)や鳶(とび職)バイトで身に付いた技術が大いに役立ちました。

○ジョイコープ(多摩5生協=多摩消費、北多摩、西多摩、けんぽく、調布、立川生協の合併生協、設立は1996年でしたっけ?組合員数は?供給高は?後に10生協合併でマイコープになる)ができる前に、専務が宮崎成就さんになった。常務は原さんとオレ、一番厳しい時の再建で活躍した鈴木さん、藤崎さんはすでに他の生協に移籍したり、セットセンターに移動したりしていた。出向の話が2回きたがお断りした。でも3度目は断りきれずに連合会へ。あのまま立川にへばりついていたらどうなったかな?考えると面白い。

要するに死に体同然の企業経営再建するためには、経営学の常識(売り上げ急上昇、経費徹底削減、負債返済)プラスアルファが必要だったのですが、つぶれた同然の企業に商品を提供してくださるみなさん、信頼して(立川生協を愛して)買ってくださったみなさん、逃げないで経営をリードしてくださった理事の皆さん(ほとんどが普通のお母さんでしたが、皆さん美しくフレッシュで冗談かますのが得意な方、信念貫くタイプ、誠実を絵に描いたようなの方など多彩だった)が存在したことが再建の原動力だったのかなと思います。
もちろん3名の職員+応援団(月給15万ポッキリで社会保険など福利厚生一切なし)の存在も光っていましたが、なぜ誰も逃げなかったのかという問いへの答えは「7人の侍」だったからでしょう。
学生運動、労働運動、日雇い(立川自由労組)からの流れが砂川町、若葉町などの地域力と結婚して生まれたのが立川生協だったのだと思います。
そしてわすれてはならないのは、宮岡政雄さん(米軍の砂川基地拡張反対同盟副行動隊長、拡張予定地農家、故人)の土地、プレハブをお借りして8丁目の本部事務所=仕分けセンター稼動できたこと、近所の組合員さんの応援ですね。
永遠の社会革命、砂川地域から立川⇒東京⇒国会を変えていく、これは面白いね。


(6人の職員を「7人の侍」(黒澤明監督の映画)にあてはめてみました)
島田 勘兵衛(しまだ かんべえ)演 - 志村喬は、藤崎達也、「イッセーを拡大担当に、やり方については江戸川生協・北多摩生協研修、5年間で5億円生協に」の発案者ではないかと思う。いや、理事会決定だったの?ようわかりませんが。
菊千代(きくちよ)演 - 三船敏郎は、全員かな。
岡本 勝四郎(おかもと かつしろう)演 - 木村功は、原秀一だろうな、当時唯一の20代。
片山 五郎兵衛(かたやま ごろべえ)演 - 稲葉義男は、木村光治(故人)あらゆる意味で職人だったな。
七郎次(しちろうじ)演 - 加東大介は、鈴木隆(たかしちゃん)女性理事や組合員の人気者だった。失敗すればしただけ愛される奇特な人。
林田 平八(はやしだ へいはち)演 - 千秋実は小川年樹、いつも余裕と文化の香り(神秘)がある。若者、女性にやさしい。
そしてお待ちかね久蔵(きゅうぞう)演 - 宮口精二は、イッセーなのであります。
「修業の旅を続ける凄腕の剣客。世の中で頼りになるのは自分の腕だけだと思っており、勘兵衛は「己をたたき上げる、ただそれだけに凝り固まった男」と評するが、根は優しい男である。宮本武蔵がモデル。」(ウイキペディアより引用)ハハハハ冗談ですよ。マジに考えすぎないでね。
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by issei_tachikawa | 2010-07-16 16:16 | パルシステムで愛と協働の地域社会を | Comments(0)

野球&スポーツネタ

c0219972_19512040.jpgQ1.日本人最初の大リーガーは誰ですか?
A1.左腕投手、マーシーこと村上雅義です。今67歳、法政二校卒業後に渡米、高校時代は大上段から投げ下ろす投法でしたが、渡米後スリークウォーター(サイドスロー)に変えました。大リーグの成績は、忘れました。

Q2.野茂英雄が日本プロ野球を捨てて大リーガーを選んだ理由は何だったのでしょうか?
A2.自叙伝(ゴーストかも?)が本当だとすれば、1)敬遠しなくても良い野球がしたい。2)あのトルネード投法を貫きたかった(フォームを矯正されたくない)です。気持ちわかるなー。

Q3.新庄がアメリカの空港に付いて最初にやったことは何?
A3.パチンコってのが笑えるね。因みにスポーツ評論家(スポーツ医学評論家)二宮清純氏によれば、彼は初戦相手の先発投手(超有名 L.ジョンソン?)の名前すら知らなかったそうですがほんまかいなそうかいな、ありうるありうるかな。


Q4.野球の実況中継で解説者やアナウンサーが「今の手元で鋭く曲がるカーブは・・・」などといっていますが、物理学的にどうでしょうか?
A4.たぶん間違いでしょうね。ピッチャープレートとホームベースの真ん中(中間地点)でまがるくらいでしょう。なのに手元で・・・と見えるのは、ボールのスピードが早いので錯覚するのでしょう。因みに、「今日の前田(今年広島のGkラー)は手元でホップしてますねー」なんて見えるのも同じでしょうか。

Q5.遠投とかバッテイングの時、最高の飛距離を出せる角度は何度くらいでしょうか?
A5.たぶん、45度くらいだろうとおもうけど・・・。

Q6.サッカーワールドカップで日本チームが優勝するための用件は何ですか。
A6.1)日本全体のライフスタイルの革命。10歳までは、TV、携帯、クーラー、エレベーターエスカレーターなどと無縁の教育をすること。大人も子供も、ですよ。
2)管理サッカーから動物的直感激情型サッカーへの転換を図る。「目立ちたがり」などという言葉がマスコミ、教育、会社、社会全般からなくなることが理想です。
韓国チーム選手は、勝てば兵役免除、給料は日本選手のウン倍といわれていますが、これは僕の関心ごとではありません。
3)イタリアのタクシー運転手がワールドカップ中は堂々とイヤホーン付けて運転し、盛り上がるとスピードも加速するなどという国民性があると、サッカー選手の張りも増すでしょうが、かえって別のことに逆用(戦争賛美とか)される恐れがあるので要注意です。

Q7.都内の野球コミカフェ知ってますか?
A7.恵比寿駅(山手線内側下車)に「源さん」がある。だだし法政系のたまりばですが。阪神ファンは、高田馬場・・・によっといでだそうです。(詳細に関しましては電話相談センター藤野圭一郎まで)

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by issei_tachikawa | 2010-07-15 15:54 | 映画・演劇・スポーツ | Comments(0)