どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

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c0219972_12362136.jpg・チリの鉱山落盤事故、33名の作業員救出に係わるマスコミのドラマが終わり、人々は日常生活に追われて事実を追求する余裕がない。ここで改めて事実関係を整理してみます。ポイントは以下3点です。
Q1.落盤事故をドウ見るのか。(事実経過、比較考察、原因、責任)
Q2.ドラマの中身にあった事実をどうみるか。(産業構造、雇用・賃金格差、北米と南米)
Q3.事故の防止対策について(チェルノブイリの被害者の今、ホピの予言、ボリビアとチリ)
Q1について:事故現場は、チリ北部、サンホセ鉱山。チリの人口1645万人中の労働人口は700万人、2009年の1年間だけで、19万件以上の労災発生、死者は443名、2010年上半期だけでも282名が亡くなっていた。これに対してサンホセ鉱山でも3回の抗議デモが発生していた。度重なる事故にも係わらず安全対策の改善は図られていなかった。
・安全対策の点でこれからどのような改善がはかられるかに注目するべきだと思います。
・ドイツにおける1963年の大事故、最近では中国で9人が炭鉱事故で地中に閉じ込められた。そのほか我々が知らないところで、たくさんの鉱山事故が発生しているのに、全世界がそのつどチリの8月5日から10月13日のように本気で救出しようと努力する気配はない。おかしいですね?事故責任については、大統領、鉱山企業の責任者、政治家に矢を向けるしかないのか?労働組合の現状は?南米左派国家との連帯などについて考えています。
Q2.について:チリは鉱山業の国、輸出の58%が鉱物、中でも銅の市場占有率が40%と高い。埋蔵量・生産量とも世界1だそうです。1971年アジェンデ大統領は米国企業から買収した企業を国有化したが、1973年9・11、ピノチェト将軍率いるクーデターで倒されてから長期の軍事政権がチリを支配する。今の大統領ピニエラ氏は、コロンビアのウリベ大統領ほどではないが、どちらかといえば米国より中道右派といわれる。
・鉱山労働者の賃金が一般に比べて3倍、危険を承知で家族を養うために鉱山に入る労働者は「二度と会えないかもしれないので毎朝家族にさよならを言う。一日安全で帰ってきたときに大地の神パチャママに祈りをささげながら感謝する。」(ボリビアからの移住者)という。
・ボリビアのウユニ湖リチウム問題、エクアドル・ヤスニ国立公園下の石油問題など、世界の諸国の不均等発展と格差に目をつむる営利企業先導型経済成長を前提にする国づくりのあり方が根本から変えられなくてはならないのですね。
Q3.について:1986年チェルノブイリ原子力発電所暴走爆発で放出され全世界を汚染した放射能、例えばセシウム137だと半減期が30年、あれからまだ24年しかたっていないという事実を忘れないこと。放射能は体内であろうが自然界であろうが、人工的造作物内であろうが一定期間は無くならないのです。ですからビデオ「ホピの予言」のなかで、北米先住民ホピ族の長老は、「地中深く眠っているものを掘り出してはいけない。」といっている。この真理に対して、「もう昔には戻れないでしょう。」と諦めを対置してはダメだと思います。まだ間に合う、子孫のためというより今まさに生きている俺達と子どもらのために地球に救いを!セカンド(ステージ)リーグがやれることは何でしょう。たくさんありそうですね。
(補足)
・穴掘り作業で成功したのは、米国の掘削企業「センターロック社」、従業員70人の中小企業。回転ドリルを空気圧で振動させ、岩を砕きながら堀り、削り粕の石はあえて坑道に落とした。これを片付ける作業が33人の運動にもなったそうだ。偶然とは言えラッキーな結果でよかった。
・最後に救出されたリーダーのルイス・ウルスア、54歳、父はチリ共産党員、軍事政権下で拉致されたのか行方不明のまま。彼は救出された直後に握手を求めた大統領に対してはっきりとこういった。「二度とこのようなことを起こしてはならない。」と。「こんどはあなたの番だと言った。」という記事も読んだが真相は明らかでない。いずれにしても、日本の新聞報道のように「最後に・・・と付け加えた。」のではなくて、真っ先にそういったのが真相のようだ。この点は微妙な事実なので大切に記憶しておきたいものですね。
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by issei_tachikawa | 2010-10-30 10:43 | アンデス、中南米 | Comments(0)
c0219972_11145193.jpg・星野さんは精神科医(福島医大卒、ロマンダクリニック勤務)、20年前に肝臓癌「5年生存率0%」=死を宣告されたが、エタノール局注とゲルソン食事療法で生き延びている。本書は医者自身がいわゆる3大療法を拒否して、医学世界の常識と戦いぬいている貴重な記録です。
・1998年に出た『癌と戦う医師のゲルソン療法』と比較考察し興味深い事実を発見しました。ゲルソン療法についての詳細は「星野仁彦」で検索してください。簡単にいうと、ドイツの医者が考えた癌に対する食事を主体にする生活習慣改善療法で、徹底した塩抜き、油断ちの玄米と生野菜果物ジュース食の実践を勧めています。これだけだと「なんだ民間療法の1つか」と受け取られがちですが、そのルールの厳しさは徹底していて、『癌勝利者25人(実は50人以上・・・引用者)の証言』(2000年、中央アート出版)が話題を集めたこともあります。これは、星野さんの「水中のワラ」的な書です。
・さて、2冊の本、1998年と2010年の比較です。
その1.著者の確信の度合いがさらに強くなっています。自信に満ち溢れている説明でありながら、生きていることへの喜び・協力者への感謝の気持ち・発病前のいいかげんな生活への謙虚な反省が文面からにじみ出ています。
その2.これはあくまで星野式に(日本人向きに)アレンジされたゲルソン食のすすめであることがわかりやすく説明されています。例えば、ゲルソンは子牛の生レバージュースをすすめていますが、彼はやっていません。それから、大豆に対しては肝要です。ゲルソンは認めません。でも日本には、味噌、豆腐、納豆、ゆばなど畑のたんぱく質を積極的にとる食文化がありこれは捨てがたいというのが星野氏の言い分で、ぼくも同感です。ゲルソン氏にはドイツ人特有の文化的判断があり、何でも言いなりになっては間違う危険がありますからね。シュタイナーのジャガイモ攻撃もそうですね。
その3.彼のタタカイは医療ジャーナリスト今村光一氏、奥様の支援あってこそ成功しているのだなーとしみじみ考えさせられました。1998年の本ではその点は詳しく説明されていませんでしたから。夫婦の愛情はとても深いもの、食づくり=女性の仕事、男は外で仕事づけ(ワーカホリック)という社会の男女間分業の本質について考えさせられます。
その4.今までどうしても受け入れられなかった療法を受容可能にする説明がありました。例えば自分の尿を飲むこと。かって友人が試みて失敗した例を目撃していたものですから、この本の説明はとてもためになりました。「通常の食生活をしている人の尿は汚れていて飲用に耐えないが、ゲルソン食事の人の尿は大丈夫です。」という説明に説得力を感じます。ウンチについても同じようなことがいえます。ベジタリアンの糞はあまり匂いませんが、肉食中心の人の排泄物は耐え難い匂いがする。おそらく腸内の細菌バランスと滞留時間、そして腐敗による酸性のガス発生によるものだと思われます。(森下敬一説)
その5.いろいろ検討してみて出てきた結論に自分自身でビックリしました。星野氏が死を宣告されてから必死に取り組んできたゲルソン療法の食事は、イッセーが65年間かけてたくさんの病気や体調不良、人間関係の摩擦を繰り返しながら学び体得してきたベジタスな食事とほとんど同じだったのです。同時に違いもはっきりしてきました。(どちらが良いとかいう話ではありませんが)
・ぼくは長岡式の酵素玄米に出会っていますが、彼は通常の炊き方のようです。
・ぼくは白州町の水を毎日飲みますが、ゲルソン食では大量の生野菜ジュースを飲みますから水だけをきちんと飲む習慣はない。
・ぼくは味噌汁を定番メニューに入れていますが、ゲルソン食では塩分含有のために禁止。
・ぼくはコーヒー、紅茶、ほうじ茶などを時々飲みますが、ゲルソン食では厳禁。
・甘いものについても同様。
・焼き魚、刺身(生わさび)についても同様の違いがあります。
星野さんは、本書で、改善前の40代の食生活を克明に記述しています。「闘病記録を残して伝えることがお前の使命だ。」と父様からいわれたそうです。これはありがたいことです。「野菜本来の自然の甘みに気がついたのもゲルソン食のおかげ」という言葉に共感します。
で、読後感をひとことにまとめます。「癌になるまえに気をつけるほうが賢明です。」未来を先取りして、自分の力で食・運・心をつくりかえるのです。いっしょにやりませんか?面白くて楽しいよ。無理しないで少しずつ。いつ死んでも満足の天寿まっとうクラブ 
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by issei_tachikawa | 2010-10-28 10:12 | 気・血・道、医・食・農 | Comments(0)
c0219972_15474111.jpg・木戸典子さん(児童文学・絵本作家、9条の会)は、韓国、中国などアジア諸国の絵本を切り口にこれまでの西側に傾いていた自分の意識を問い直している。先日、広場サラで開催した韓国の絵本を読む会はすごく刺激になりためになりました。さっそく近所の在日女性からハングルの初級を教わり、茶遊(吉沢さんのコミカフェ)での韓国民話のお話聞く会にも積極的に参加してよかったなと思っています。
・こういう意識下でコヤン(高揚)生協、韓国女性民友会、ハンサルリムなどの皆さんをお迎えすることはすごくうれしいことです。良い機会なので自分の過去を(韓国、朝鮮、在日)という切り口で振り返ってみます。
・スタートは中学の友達Sです。父さんがマイアミ(昔はやった喫茶店)の経営者で在日、2人で牛乳配達とか新聞配達をしました。彼の兄貴はとても喧嘩が強かったらしく・・・・と恐れられていました。でも考えてみると噂が噂を呼んでのレッテルではなかったのかと思います。第二次大戦や関東大震災時での朝鮮人虐殺の背景にある噂と本質的には同じでしょう。全てのことが疑いうる、尖閣列島問題への対応についてもいえることです。草の根レベル、市民レベルでの付き合いと信頼関係をしっかりと気づきあげていかなくては、ですね。
・次に思い出すのが大学時の学生自治会執行部だったRKさん。韓日友好通商条約締結批准承認に反対する熱弁、黒板にスローガンを書きなぐる際に崩れ落ちる白墨が今も見えるようです。卒業後は神奈川県内でくずやを始め、ガソリンスタンドを10数件経営するまで成長したと聞いています。同じ今井則義先生(国家独占資本主義論では生産力の社会化説をとる理論家)のゼミでした。
・30代では、IMと広島被爆者2世の彼との出会いが強烈でした。ハングリー、かっこいい、アシベでヘビメタをやる彼にラッパをプレゼントしました。当時の貯金15万円をおろしてラッパを買いました。今どうしてるかな?
・そしてぼくを再び街頭に引っ張り出してくれた光州蜂起、30才過ぎてから再び学生運動を始めてしまったボク。あれがなかったらボクの人生はどうなっていたのだろうか?答えの出そうも無いイフの1つ。
・生協に入り連合会に移籍してから、国際活動委員会事務局になり第二次の研修交流で20人の職員と組合員でソウル&テジョンの協同組合を訪問しました。思い出のシーン。空港からホテルに向かうタクシーでのカク会長とドラィバーさんとの語気の強いやり取り、朝からやっている銭湯、バスのスピードと並ばない乗客、サランヘで大うけだったA職員、本場のキムチがおいしかった。あと、カラオケで踊りまくるシニアの元気に圧倒されたことも。
・そのあとで、IHさん、Sさんとも友達になり今に至っています。15日、明日か!楽しみにしています。交流会は、サランへと朝露でもりあがろう!
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by issei_tachikawa | 2010-10-14 10:22 | 韓国、人民民主主義共和国、中国、アジア | Comments(0)
c0219972_9282985.jpg・ポイントは、休み中に地域で何人とコミニケーションしたか、その濃淡・会話のテーマや所要時間
・2010年10月7日木曜日
朝7:30 BIG ISSUE支援のために大沢事務所にチャリで向かう。
最初の踏み切りで、藤田さんから「国勢調査どう?終わった?」と聞かれて答える。約3分のやりとり。事務所で販売員の人4人と話す。Kさん、Yさんはお休み。シニアハウス柏(地域お弁当事業を立ち上げるための調査)について大沢さんと話す。八王子駅の販売員さんに豚汁をあっためる。とてもおいしそうに食っていった。「おかわりは?」というQが欠けていた、ごめん。他の人は時間が無くて食べられなかった。
帰ってから9:00にクリーニングにののかのシャツ(仕事着)を出しながら、受付嬢と冗談かましあう。
コープ東京の上北台店に水(脱塩素&トリハロメタン)をもらいにいく。ついでにホシイモとカブを購入、いきなり袋にテープを張るので厳しく注意した。これで何度目だろうか。店長はそのつど謝り改善を約束するがまたもとの木阿弥になる。交代する人の数だけ説明すること。これは退けない。(共著『百万人の人間力』vol.1彩雲出版154ページ)
家にシンカイデンキさんが来る。チデジ対応の営業。「そんときはたのむから。」といいながら、心の底では「なんで今急いでやるんだよ、もっと最優先すべき課題は五万とあるじゃん」とつぶやく。ついでに、近所の高齢者生活状況について情報交換。柏町団地で昨日孤独死がでたそうだ。ぼくもお弁当配達の経験を話し、今住んでる住宅群の立替構想を話す。けやき台団地でも同じ問題が重大化している。この際だから、1階に共同スペース(食堂、浴場、運動場、娯楽交流施設=コミカフェ、図書館、介護・医療・ケアNWの事務所)2階から上に個人スペースをという集合住宅に替えてはどうかという。資金、合意形成などについてクリアすること。この話には熱が入って長くなった。15分くらいか?
昼飯食ってから昼寝が毎日の楽しみ。秋はとくに良く寝れる。目が覚めたら3:30、あわててサラにチャリで向かう。韓国生協研修のこと、イッセーの物忘れなど会話が弾む、5人と。
というわけで、今日は1日で25人の人とコミニケーションできた。所要時間は1時間半くらいか。テーマは多岐にわたった。この活動が自分の活力源のひとつになっていることは間違いない。
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by issei_tachikawa | 2010-10-07 20:25 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
c0219972_9294099.jpg・2007年4月、セカンドリーグ準備室に着任した際、高校野球部時代の友達から、「なんだ野球の二軍監督でもやるのか。」といわれた。(大笑い)「ファーストの次ってことね。」ともいわれた。これではなんか意味が軽い。
・調べてみたら当時セカンドライフという言葉はアフタリタイア(定年退職したシニア世代の地域での生活の総称)として既に認知されているようだった。
・当会の準備室での論議は、準備室幹部職員、当会役員、会員生協のセカンドリーグ運営委員、外部専門家、ゼネラルプレスをメンバーとして行われ、2006年に唐笠専務名で報告されている。それによれば、セカンドはやはりアフタリタイア的に使われている。参加・行動呼びかけ対象は、これから定年退職を迎える数百万人の団塊世代だった。
・これでは、『のんびる』が広まらない。事実、現場からは「ぼくらにとってはまだ何十年か後の課題なんで、いまはちょっと・・・」と拒絶されてしまう。
・そこでセカンドリーグ(地域セカンドリーグとセカンドリーグ支援室)設立検討プロジェクトをやって、セカンドの意味を再設定した。
・その結果、セカンドは、オルタナテイブ(もうひとつの)として理解されるようになりつつある。そうであれば、セカンドステージってのは、誰でも気が付いたら立っている人生局面なのだということになる。その解釈の上に、セカンドリーグ千葉(中根氏)は、9月18日「あったかいお金のまわし方」シンポで報告した。
・そのこととは別に、運営委員の中から「セカンドはむしろニュー(新しい)と理解する方が良いのではないか」という問あわせがあった。(2010年10月6日昨日)そのきっかけは、ぼくが市民活動支援金引渡式の最後の挨拶で、セカンド=アンです=オルタナテイブのA+NEWのN+NEXTのN=ANNですと説明したことに起因するのではないかと思いました。
・昨日今日考えていますが、仮にNEW(新しい)を強調するとどういう受け止め方をされやすいでしょうか。1人1人丁寧に説明するのは不可能ということと、ブランド化すると言葉は独り歩きするから誤解の無いような言葉の方が良いと思いました。「新しい靴かったよ」とはいっても「もうひとつの(代替的な)靴買ったよ。」とはいいませんよね。今、これからぼくらがつくり広めていく中間支援組織としてのセカンドリーグ(地域・・・と支援室)のセカンドの意味はやはり「オルタナテイブ」を強調する方がわかりやすと思いました。
・参考のために、ジャパンタイムスのキューバ関係記事の翻訳文例を挙げます。
「キューバ経済は今セカンドステージに立っている。協同組合の設立による地域自立経済の普及が改革のポイントではないか。」
・もうひとつの事例。世田谷子育てネットの松田理事長の言葉から。「子育てで毎日もみくしゃだったころ、夕食の仕度しながら考えました。もしかすると同じ悩み抱えている人見つければ助け合えるかもしれないって。」彼女にとって、NPO設立は、オルタナテイブだったわけですね。
・改めていいますと、セカンドステージは全ての人、全ての団体の人生局面です。それから逃げないで課題を見える化し、いっしょに取り組んでくれる仲間を見つけ、事業という形で活動を継続する試みを支援することがセカンドリーグの仕事の一つになっています。
・追加:セカンドってのは、「これでいいのか、これじゃだめ、なんとかしたい、なんとかしよう」ステージと置き換えるとわかりやすいかもしれません。
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by issei_tachikawa | 2010-10-07 10:58 | パルシステムで愛と協働の地域社会を | Comments(0)

食育と万病の原因

c0219972_1443035.jpg・いつのまにか誰でも使うようになった言葉、ショクイク(食育)、気をつけるのは良いこと。でも根本的な事実についての刷り込まれた常識の間違いについて理解が及んでいない「専門家」が多いのが気になる。医者、管理栄養士、調理師、その他なんとかコンサルを自称する人たちの中で西側から入ってきた健康=病気理論の枠組みから抜けられない人たちがいる。逆に、東洋に目を向けたり、宗教的な世界に入って達観する人の中にも違うなーと感じる人がいるのが気になる。
・食育の第1前提って何でしょうか?ボクは飢餓だと思います。いいかえれば、日本社会で当然と考えられている食習慣や正しいといわれている健康理論を、地球レベルの事実に比較して見直すことが大事です。腹が減るとなんでもうまい、ぜいたくはいえない。目の前にあるものを貪り食うのです。こういう体験したことがない人が食を語る。だから良くならないのかもしれません。誰が悪いという個人的な問題ではなく、国家的、社会的な大問題です。
・では社会的に飢餓状態をつくるにはなにが有効でしょうか?年末に青梅のお寺で断食道場が開きます。それも一案。イスラム国家のように年1ヶ月の断食月を設けることもいい。そこまでやらなくても個人的にできることは、3食たらふく食うのを改めて、どこかを空けるのです。たとえば、土曜日の朝はミネラルウオーター(ボクの場合は山梨県白州町の水)だけ飲んで昼までもたす。ぼくは心臓や血圧などに問題ないので、いつもどおりに動いても大丈夫です。(健康診断非受診)30代前半で「廃寮化攻撃」に反対してハンガーストライキを5日間経験しましたがこれも飢餓認識を深める良い機会になりました。
・朝飯抜いて腹がすかないかですって?そりゃー空きますよ。そのときは白州の水を少し飲みます。すると空腹感は収まります。そしてまた動いているとまた腹が減ってくるのでまた同じことを何回か繰り返すと昼が近づいてくる。お昼が楽しみ。11:00くらいに食べてしまうこともありますが、やはり目標時刻の12時過ぎて食べるほうが心身ともにすっきりします。
・ぼくはこの習慣を身に付けてから今まで以上に健康になりました。何をどうやって食べるのか、食をつくる循環の認識をどうするか、自然生態系の中の一部の人間活動の中に食を入れて考えることが大切ですが、その前提になるのが飢餓の体験と認識だと思います。飢えている何億人もの人々の気持ちに共感したり、食い物をつくり育ててくれる大地・太陽・水・微生物・生産者のみなさんへの感謝したりの感情は、自分の体内からこみ上げてきてこそ本物に近づくのだと信じます。カロリー計算、メニュー、BMI云々など料理教室で語られることについては後日気が向いたらお話します。
・万病の原因、飲みすぎ食いすぎだと思います。酒とタバコとセックスからの解放、長寿の秘訣かもしれません。今日はこれまで。ご精(静)読ありがとうです。
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by issei_tachikawa | 2010-10-03 10:39 | 気・血・道、医・食・農 | Comments(0)

ケガと事故とリスク管理

c0219972_1464998.jpg・怪我や病気で回復するってのはラッキーなことだと思う。死んでしまわなかったのだから。そしてリハビリ(社会復帰)の努力の過程で自分が再生する。気力、体力の全面更新ができるのだ。そして通常は特にありがたいと思わなかった存在にこころから感謝できるようになる。
・60歳過ぎるとやはり条件反射能力が鈍る。考えられなかった状況下でケガをする。例えば、軽米町の炭焼き場で太い木を持ち上げたら腰に来た。ほっておいたら悪化して慢性の腰痛になり、杉戸のくすのきエコデーで路上ダウンした。このときの有様は松浦さんだけが知っている。悪いことは重なるもんで、その何ヶ月後かの早朝、玉川上水駅に向かって走っている後でクラクションが鳴ると同時に右足膝から崩れ落ちるように転倒し、コンクリートに右おでこを直撃してしまった。今までなら、瞬間手をついただろうに。すぐにコンビニでバンドエイド大を買って張ったが、事務所でパソコン入力中に「よしむらさんおでこから血が!」といわれてトイレにいったら血が出ていた。それでも医者には行かない。
・さらに何週間かたって夕方の弁当配達からの帰りみち、生まれて初めてチャリを運転中に車にはねられた。あまりの突然さにおどろいたのか、相手が対向車として右折時にはねたのか、後ろから来て左折時にはねたのかも覚えていないくらい。運転手の方があわてていたが、とりあえず名前と住所、携帯電話を聞いて、「もしものときにはたのむよ。」という実にいいかげんな示談にしてしまった。後で知ったのだが運転手は娘の同級生のおやじでした。このときにも医者にいかなかった。警察も呼んでいない。
・いずれにしても死ななかったのはラッキー。それから終わりの見えないリハビリが始まった。毎日寝る前に正座して瞑想するのが習慣なのだが、右ひざが痛くて曲がらない。ときどき公園で鉄棒やイッセー体操をするときも右ひざが十分に曲がらない。それでどうしたかというと、言えば単純なこと。忍者の訓練のように、トレーニングを毎日欠かさないで、右ひざと優しくコミニケーションしながら少しずつ曲げていった。そして約1年間のリハビリのあとで、ようやく正座ができるようになった。ちょっぴり感動。しつこいようだがこの程度のことでは医者にはかからない。
・というわけで今まで以上に心身霊魂ともに鍛えられた気がしている。災い転じて福となす、あらゆる不幸を幸せに転換するのが人間力なのだと思う。
・最後にリスク管理について。ケガについては、気をつければ相当に発生率ゼロに接近させることは可能だと思う。事実・経過・原因・対策という手法は、商品事故やイレギュラートラブルだけでなくてケガについても有効だと思う。
・いくつかイッセー式を紹介します。
①交差点で待つ時には、右側から接近してくる車・バイクを見ていること。数メーター後ろの障害物の陰などで待っていればほぼ完璧。
②先頭車両は避けて乗る。
③ビルの壁近くとか看板の下を避けて歩く。
④寝床の横に必ず置くべきもの。ヘルメット、スニーカー、大き目のくぎ抜き(バール)、軍手、水筒、携帯電話や財布、手帳の入ったショルダーバック。
○昨晩は、「あんしん生活」(ケガ保険)の全国交流会で呼ばれて演奏してきました。チチカカ、コンドル、サリリの3曲演奏、それで思い出したことを書きました。
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by issei_tachikawa | 2010-10-02 10:28 | 気・血・道、医・食・農 | Comments(0)