どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

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c0219972_19575390.jpgさんきゅうハウス事務局から電話で、郵便局の清掃していたAさんが亡くなって、身寄りがないので立警の霊安室でお通夜をするから参列してもらえないかと要請があり、9:00に駆けつけた。弟さんが来ていた。あと、指定管理者側の責任者の女性と支援者数人であの世に見送った。支援者から聞けば、労働時間は7時-6時、休憩1時間の10時間、最低賃金さえ支給されていなかったそうだ。(東京都は821円)雇用者のNPO法人は、知的障がい者と同様に「訓練生」扱いだったといっているらしいが、いいのがれでしょう。死亡推定日時は金曜日の夜なのに、発見されたのは月曜日朝とは、どんな職場なのだろうか?いずれにしても、野宿生活から職場に復帰しても、このような孤独な死にかたをするとは。今はただAさんのご冥福を祈るばかり。
・11:00からは、モノレール立川北駅付近の路上で、緊急物資を配った。立川市内と隣接区域では100名前後の方がホームレス状態でいる。これって平成22年12月の活動なのか、1930年代の都心での活動なのか、この間の経済成長が何だったのかを象徴していると思う。23名の方には、パン2つ、みかん、下着、薬(希望者のみ、胃薬と風邪薬、選べる。今回は5名だけが受け取った)などを、河原で寝ている方(人数は?)には、お餅を付けて配った。三多摩野宿者人権ネットワークでは、これを10年間継続している。今日の反省点は、ハローワークによる年末の宿泊施設紹介斡旋情報を的確に伝え切れなかったこと。この情報は一昨日新聞等でも報道され、25日に反貧困ネットワークも新宿でビラ撒きで情報化されていた。ぼくも気づいていたのだが、まさか立川ハローワークではやっていないとか、府中に行けば取り扱ってもらえるという事実までは知らなかった。あわてて、府中ハローワークに電話したが業務終了とのこと。次回は要注意だ。
・あと、行政の方が1名、少しはなれて見守っておられたのが印象深かった。
・河原での物資配給活動は、所在確認やコンサルも含むので、夕方までかかるという。ぼくは、予想外のぎっくり腰のため帰宅した。元旦のお雑煮パーテイには参加します。一応楽器はもって行きますが、非常にやりづらい。ま、なんとかやりますが・・・
・現場を一歩離れてチャリ走らせると、いつもの「ヘイワな」立川市の風景が目の前を過ぎていく。
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by issei_tachikawa | 2010-12-31 13:13 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
c0219972_19593638.jpg30名でホールは熱気ムンムン,来てくれた皆さん、企画立案の田辺さん(オウナー)、演奏してくれたワイナマユのみなさんに心からありがとうです。
・良い機会なので、音楽とのかかわりについて、今までとこれからを整理してみました。
・母の実家は観世流の太鼓打ち〈松村官吉)で、記憶に鮮明に残っているのは子守唄です。あと、幼少の頃、就寝して眠くなる頃に静かな高音の綺麗なメロディを聴いたことがあります。この夢音体験がケーナやソプラノサックスにつながっているのかもしれません。
・中学校では三橋美智也がヒットし、中でも古城がボクの18番で、いつも休み時間に歌っていました。
・高校ではクラシックの鑑賞が正規科目になっており、田園聴いて感想文を書かされたりしましたが、トコトン反発しました。他の曲も含めて、坊主にくけりゃ袈裟までの袈裟になっていました。左翼教育への反発だったのかもしれない。よくおぼえてませんが。
・大学でのベトナム反戦、安保粉砕の運動では音楽といえば労働歌、反戦フォークなどをうたいまくっただけ?1968年3月ブントとしても活動の敗北(7回大会)後のジャズへの接近が20代でのキャバレーバンド生活と肉体労働につながり、コルトレーンのような音に恋焦がれてサックスを吹きましたが、「キューバ革命でのパチャンガ」(平岡正明氏)に育てることはできずに生活に押しつぶされ、20代半ばでサックスは質入し「もう2度と音楽はやらない。」とかたくなでした。
土工の日雇い作業中に、「イェスタディ」を歌いながら自分を励ましたりもしていました。
・それから約10年後、御茶ノ水のジャズ喫茶「響」(ひびき)で個人通信執筆中に「トゥクマンの月」(A.ユパンキ原作、ガトー・バルビエリ編曲)を聴き、マッちゃんからウニャ・ラモスのテープをもらって聴いたのが縁で、国立駅南口での出会いがあった。音具作家多田さんが露店で吹いてくれた「コンドル」で憧れの音と楽器が結びつき、その場で購入し吹き始めた。一面では「静かな高音の綺麗なメロディ」を求めて、多面では「キューバ革命におけるパチャンガ」のようなリズムを求めてさまよい続けています。ケーナは僕の体と生きている証明の一部になっています。コレまでの出会い・付き合いの歴史は、多田(つくった人は元ビエントスの人)⇒ルーチョ・カブール⇒ルイス・リオス⇒復活ルーチョ⇒マルセロ・ペーニャ⇒イトウ・ルーチョ(今に至る)
・まだまだこれからです。満たされない欲望を対象化し、いつも「ぼくを受け入れてくれてありがとう、期待に十分こたえられないでごめんなさい、ミスしたら許してください、グラーシャス」を絶やさないで元気に楽しもうと思います。
・皆さん改めてよろしくお願いいたしますね。
小林さん、松本さん(まっちゃん)ファミリー、山之内さん、岡村さん、郁子、2人の鈴木さん、いかがでしたか?時間は止まりましたか?良いお年を迎えてください。Kさん「これからの人生、50年単位で考えるんだよ。辛いことも乗り越えれば違ってみえてくるさ。あらゆる不幸はあらゆる幸福の予兆なのかもしれない。」
(写真説明)
木に穴を開けたのはきつつきくん。アナの左側が膨らんでいるのが作業中の彼です。そばでケーナを吹いていると、くちばしでコツコツやってる音が聞こえてくる。ケーナの音で逃げないのは面白い、でしょ。
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by issei_tachikawa | 2010-12-26 16:38 | バンド・演劇・大道芸活動 | Comments(0)

共済キャンペーンの教訓

c0219972_203897.jpg2003年から3年間、毎年夏冬2回、2週間から3週間のキャンペーンをやりました。そのときのドラマ、エピソードです。
・配達車両に同乗して組合員のお宅までいってお勧めします。その時ゆめコープ横浜南センター(委託先は㈱アシスト、車両台数60台くらい)の進捗がかんばしくないとの判断で、7月キャンペーン終了まであと1週間の月曜日に、Kさんの車に同乗した。
・くそ暑いので彼はペットボトル2本も冷やしてもっていく。午前中は途中で彼女に電話入れたりして余裕の展開。でも午後になっても決まらないので胸がざわざわしてくる。ゼロだったらどうしようかと不安にもなる。自分との戦いがつづく。あっという間に7時が過ぎ、8時も過ぎ、さすが9時過ぎには声かけらんないよなと心配だったが、8時すぎて1件話し込んだ。センターでの学習会、ロールプレーイング、自己学習などで詰め込んだ知識を駆使して加入をおすすめする。「保険はたくさんはいってるんで」とか「主人に聞いてみないと」とかお決まりの断り文句がでてくる。その人はKくんのことは気に入ってるらしいがなかなかうんとは言わない。でも最後は押しのいってでついに家族3名の加入書をいただくことができた。飯も食わず、休憩もとらずに3件ゲット。腹が痛いのも乗り越えてようやく3件とれた。
トラックに帰るやいなや彼としっかり握手して喜びを共有した。「よかったこれでセンターに帰れる。」帰ったら食堂におにぎり、漬物(たくあん)、味噌汁、無茶ちゃ園のみかんがきていて、腹を減らした担当者達がおいしそうに食っていた。彼ら優先なのでオレは食わないで話を聞いている。廊下のタバコスペースで今日の武勇伝が語られる。当時部長だった瀬戸さんも来ている。話を聞くのが仕事になって定着しているようだ。「コレはひとつの立派なマネジメントだな。」と感じた。トップが現場を回れればこれほど良いことはない。
・友人の某企業副社長も、先週からトレーニングジム関係の現場周りを始めている。ただし成績の良くないところを回っているとのコト。聴いた瞬間に「逆に成績の良いとこを回って、その成功事例(センター、班、個人別の)を良くないところにも伝えるやり方も有効なのでは」といってみた。うまくいかない理由を100以上挙げて1つ1つ克服していくやりかたと、逆のやり方とどちらがうまくいくだろうか。ぼくが経験してきた事例では、プラス思考のほうが希望につながるような気がする。マイナススパイラルに陥ると雰囲気が暗くなる。陰口、個人攻撃が増えてモチベーションが下がる。
・あと、人間の言葉で伝わるコトとアクションで伝わるコトの双方が非日常の創造エネルギーをつくるのではないかという気がする。どうしてもうまくいかないセンターの朝礼で、3点倒立しながら今回の制度改訂とキャンペーンの意義についてはなしたらうまくいきだしたという事実もある。工夫しだいで何でもチェンジできるのかもしれない。何回も同じ内容の教訓をたれてもなかなか浸透しないことの方が多い。トップしだいで組織は良くもなり悪くもなる。「あきらめない、いそがない、しぶとくねばる、笑顔で」笑いこそが世の中を変える、というと吉本の受け売り二番煎じ臭いか?〈苦笑い)
・大切なことは、土壇場で自分と周りを励まして雰囲気を明るくチェンジする殺し文句をもつことやね。
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by issei_tachikawa | 2010-12-25 11:02 | ライフプラン(FPの)を疑ってみる | Comments(0)
c0219972_943523.jpg・大南(我が家から徒歩3分)セブンイレブンで「メロンぱん」2つ買うとレジの姉さんが、「440円です。」と涼しい顔でいう。小銭入れから500円玉を出しながら、うっ?と考えたらおかしい。1つ110円だから「220円じゃないの?」と聞いたら、今度は笑顔で「そうです。すみませーん。」というので、「面白いなーバイじゃん。ときそばか。ちがうか」。この人の名前もジュンコ(純)でした。
・セブンを出て帰りは来た方向と逆コースで帰る。天気が良いので気持ちよく走れる。走り出したとたんに柏小学校PTA役員会でいっしょしたSさんとばったり。
「よく会いますねー。」
「縁があるんですよ。ほんとに良く会う。息子さんおいくつ?うちの光太と同じでしたっけ。」
「就職決まりましたよ。スーパーですけど。イッセーさんとこは?」
「うちもOKです。リケンの子会社なんで大丈夫でしょう。」
「まだ音楽やってらっしゃるんですか。」
「はい、25日荻窪のwith遊でライブです。月1回くらいのペースでやってます。ボランテイアのほうが多いですけどね。」
ってな会話の後で、名刺を渡して、イッセーブログに誘った。今日見てくれるかな。楽しみ。
・さかえの住宅に来ると、KさんとUさんが立ち話している。
「ちわー!」(これが近所付き合いポイントだ、顔見たら迷わずごあいさつ、自分から自分から)
「ジャンバーステキねー。あったかい感じでいい。」(大好きなオレンジなのだ。)
「夜目立つんで安全なんですよ。人もあったかいですから。つまんないか。」(笑い)
Kさんの息子さんは大男で、いつか我が家に突然入ってきて、ガサゴソとやさがし始めて、当時は近所付き合いなかったので、みんな逃げたという思い出がある。
・今日の昼飯は、焼きざけ(ハラス)、大根おろし、イッセージュース、味噌汁、玄米麹漬け物などなど。月1回の雑誌類回収日でもあります。勝手に出すと怒られる「ろくでなしBLUS」に注意。
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by issei_tachikawa | 2010-12-19 12:15 | 家族、地域家族 | Comments(0)

生きがい、希望って何?

c0219972_1122410.jpg・ビッグイッシューの販売支援に大沢事務所までチャリで行く途中の話し。
・藤田さんから話しかけられる。
「どこいくの?毎日違う方向じゃない?」(F)
「木曜日は家がない人の応援ボランテイアですよ。」(イッセー)
「すごいな、おれなんかにはできないことしてる。」
「いや、藤田さんにくらべりゃーぼくなんかまだがきですから。尊敬してますよがんばって。」
「ほかに何やってんの?」
「いろいろやってますけど金にならないことのほうが多いですよ。金んなるのは2つだけ。でも金なんて要るだけあればいいんですよ。」
「そうだな。ほんとにそうだ。もちすぎるとろくなことにならない。」
(藤田さんは75歳、近所のクリーニング屋さん、赤いダウンジャケットに黄緑の直帰、帽子も赤のいでたちで毎朝7:30から柏小学校の通学生徒の安全サポート(今時信号無し!交差点旗振り)をしておられる。)
ビッグ・イッシューの販売員とのやりとり
「忘年会ではすいませんでした。」
「え!何かしたの?そうか切れたんだー。オレも若い頃は酒呑んでよくしっぱいしたよ。」
彼は忘年会の席上でこう言い出した。
「こんなこといつまでやってるんだと思うと嫌になる。仕事する気力が出ない。」と。
周りの人が突っ込んだり、はげましたりするのを聴きながらヤバイ雰囲気を感じていたが、11時で退散した後なにかのトラブルがあったらしい。賀川だったらどう対処しただろうか?彼ならみんなを自分の家に呼んで共同生活を今から始めるかもしれない。彼とオレ(ら)の違いは、時代状況や地域性、個人的な考え方の相違のほかに、目指す世界(実現したい目的)の違いを感じる。どっちがいい悪の話ではない。今は貧困や格差が公然と認められてしまっていて、町の中に明らかに非人間的・反自然的だと思われる事実が転がっていても、多くの人々は、中には申し訳ないと感じる人もいても、見てみないふりをして通り過ぎる。
少数の人がボランテイア支援をするが、長続きしない。続けられること自体が非常に幸せ=特権的な生活状態にあることを証明しているのではないかとさえ考えてしまう。いやそうじゃなくて、自分の利害をかえりみずに人助けに身をとおじる人だって少なくないはず。
希望ってのは、今を変える運動にかかわり続けている行為の中でだんだんと「・・をやりたい」気分に変っていくものなのかもしれない。信仰のように普遍的(時間、空間、霊感)であり続けないで、やるきは上下するが、こういうテーマで話せる相手がいたり、先にあげたトラブルの帰りに止めてくれる友達がいること自体も希望の象徴だと信じたい。神の国うんぬんはこのような地域での人と人のつながりの現実性に裏打ちされた未来としてイメージされるのであれば、それは個人の自由の領域だと思う。賀川さんに聞きたくてもすでにあの世の存在なので、来年1月十四日の熱海に集まる皆さんに聞いてみようか。生き物の多様性、母なる大地への感謝のこころと行動(モラレス大統領の宣言)、植物の健康と動物(人もあるいみそうだ)の健康、などが今の僕の関心ごとの1つ。
(なんとかしたいこと)
周りから若くしてガンで亡くなる人をなくしたい
孤独死、生活習慣病(とくに糖尿病)、自殺で亡くなる人をへらしたい。
みなが天寿をまっとうできるような身体と心と関係性(社会)をつくりたい。(自己管理論)
対策を打つ前にやるべきことは、事実の調査と認識、歴史と歴史性の整理把握、方法論的には、事実・歴史・現状・情勢・内外比較・理論・実践(対策、改善指導)となる。
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by issei_tachikawa | 2010-12-16 10:58 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
c0219972_16434165.jpg・澁谷から路面電車で約1時間走ると二子玉川園に着く。そこから砧線(単線)に乗り換えて2駅目が吉沢、田んぼの中を歩いて帰るとイナゴがキチキチと羽音を立てながら飛んで逃げる。すごい数だった。あれだけのイナゴがいたら、米はどうなっていたのだろうか?農薬など撒いている風景は見た記憶が無い。イナゴに食われてもびくともしない神経をもっていたのだろうか?だとしたらうらやましい限りである。稲の臭いが強烈に鼻から骨の髄まで進入してくる。これがボクの故郷の臭い。
・自宅の庭には犬の群れが入ってくる。ぎゃンぎゃン啼きながら。でかいのやちいさいのや、大きさ、種類いろいろ混じっている。1950年代の初めにはよく見られた風景だったが、いつごろからか野犬や野良犬が地域から消えた。保健所の介入、犬殺し、殺された犬の魂はどこにいったのか。
・庭にはチャボ、白色レグホン、褐色の鶏などが遊んでいて、産んだ卵をとってきて、あったかいご飯にかけて食う。醤油をすこしかけるとさらにうまい。鶏は卵を産まなくなると、捕まえられて首を絞められ、なべになった。ぼくは平気で食っていた。首の無い鶏は直ぐに倒れないで何歩か歩いて死ぬ。羽をむしるのはたしかおれの役目だった。これも平気だった。ベジタリアンの今から想像すると信じられないこと。二度とできないことだ。
・夕方から夜にかけては、いろんな自然音が聞こえる。夕方、前の田んぼからサギの群れが後の山の杉の木に帰るときの羽音がすごい。ゴーッという音が今でも聞こえてくる。布団に入って船底天井の模様をながめていると、裏山からホーホーっと聞こえてくるのはミミズクかふくろう。池のほうからはウシガエル(食用がえる)の声が響いてくる。雨が廊下のトタン屋根にぱらつき始めて、しだいに雨脚が速くなっていくのを聴きながら睡魔にさらわれていく。
・明け方のカラスをきいてしまうと何となく胸がざわざわする。「よがらすがなくとどこかで人が死ぬ」といわれていたから。
・家の門の前の森の大木の間に外灯があたって、その奥に何かがいるかもしれないような怖い空間をつくっている。「ガーボ」という怪物(怪獣?)がでるという子どもどうしの語り伝えがあって、なんとなく信じていたぼくは日暮れて一人帰宅する際には、ジダユウ掘(岡本次太夫が堀ったとか)沿いの砂利道を左右見ないようにダッシュして自宅の門に飛び込むようにして帰った。
◎内山節『「里」という思想』(2005年新潮社)を読みながら、いろいろと考えています。この世に存在する危機の有様をテーマ別に描き、それを超える地平を描いてから「指導書」にするか、どうしようか。「くらし課題、その解決手法」、自分の手の届く範囲に起きている不幸と真剣にタタカウこと、これがあと60年間のテーマ。終わりの無い(永続)・・・・
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by issei_tachikawa | 2010-12-15 16:23 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)
c0219972_14461959.jpg・2007年にセカンド(ステージ)事業に係わり始めた頃は、貯蓄金額約1500万円だったが、今は40万円に減った。幸い住宅ローンはとっくの昔に完済しているので、大口の固定経費は3人の教育養育費だけ。上が私立理系だったので、年間250万円、下2人も私立だったのであわせて450万円くらいになった。1500万-40万=1460万だから、年間350万円以上の預金が減っていったのだ。父母の収入合算が300万円くらいだったので、650万円くらいかかったということになる。
・来年3月で長男は就職し、二男は卒業し、CB(?)立ち上げの方向で動いている。教育費残るは1名のみ。来年4月からが楽しみだ。40歳の原点(預貯金ゼロ)に帰ってセカンドステージ再出発となる。
・金はありすぎても使い方を誤るとろくなことにならない。食いすぎ、運動不測、過労で生活習慣病、これでは天寿まっとう不可能。他方、金がない、収入を一挙に増やすすべがないとなれば、経費を削るか、少なくとも経費を著しく増やさないようにするしかない。この点は、企業会計も家計も経営という点では原則同じ。
・だから最近はよく歩き、よく走り、よく食べるので50歳代に比べるとあらゆる意味で若返ってきている。コレは決して思い込みではございません。毎日毎朝「おたより」と対話していると体からのメッセージがリアルに伝わってきます。簡単に言うとカイベーンです。
・昨日は東北沢のダンちゃん邸でこじんまりした忘年会、朝9時に家を出発し、国分寺まで約1時間半歩いた。(節約した交通費は400円)帰りは立川から約50分歩き、8:00ごろ家について、長岡式酵素玄米のおにぎりに海苔巻いて食った。うまい!そろそろ切り替え3年目になるが、旺盛な食欲を我慢しないで食いたいもん、呑みたいもん飲んで十分に欲望充足している。体重も5年間安定的にBMI19~20をキープしている。
・外食する回数は、月4回に減った。あと、1人で呑み屋に入ることはほとんどしなくなった。タバコ?やめてませんが買いません。だから自然と吸わなくなっています。
・このくらい書いたら十分伝わったと思いますが、金がない⇒出費を減らさなくては生きていけない⇒よく歩き、外食減らして、酒タバコも減らして、今まで以上に健康になっていると思います。
( 注)20~30代はもっとシンプルな生活でした。仕事は日雇いのバイト中心。収入1日4500円~10000円、年収だと100万円くらい。山手線管内では歩くのが当然だった。池袋⇒水道橋とか、池袋⇒品川とかはよく歩いた。あるときは、菊名から池袋6時間コースも歩破した。若かったあの頃、神田川だった。(「ただー、あなたのやさしさが、怖かーったー」)
(注2)金がないと引越しも自前でやる。父の形見の唐草模様の大風呂敷に、布団、家財道具などを包んで背負って引越す。バス、電車にもそのまま乗る。「わーかさだかー!迷惑ー!」って思われても、「すんません、金ないんで。」としかいいようがない。選択の余地が無い行動、これが健康作りのポイントなのかもしれない。いやきっとそうに違いない。65歳の確信
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by issei_tachikawa | 2010-12-13 21:17 | 気・血・道、医・食・農 | Comments(0)
c0219972_13471045.jpg・御茶ノ水「コチャバンバ」で市民集会開催、いつもはMLだけのつながりなので、たまにはリアルでと思って参加した。感動と収穫、そして深く考える2時間でした。
・なんといっても福田大治さんの飛び入りチャランゴ演奏を聴けたのがラッキーだった。彼の演奏は、10年以上前、マウロヌエス生誕100周年のコンサートで聴いたことがあります。フルートの女性とのコラボで、技巧的な感じでしたが、昨日の演奏はまさに先住民のようでした。人も演奏も変わるのですね。人と音楽の無限の可能性かな。1曲目は、ツキサカのエル・アリエーロ(牛追い)、2曲目はチンバチーカ(コチャバンバ州の地区名、ハイメトーレス作曲)。左の押さえの指だけでメロディを奏でるとか、瀧が落ちてくる(雷?)ようなラストの盛り上がりかたとか、感動を覚えました。パルシステムを利用していただいているんですね、ほんとうにありがとうございます。「脱成長の社会経済を造っていく必要性」というか生き物としての使命感みたいなものを共有できたことがさらに嬉しいことでした。
・太田昌国さんの話は立川での「ゲバラ講座」以来2度目。話を聴きながら、ゲバラとモラレス、この一見すると社会革命論的にはあらゆる意味で違いすぎる2人をつなげる赤・緑・黒の糸は何かというテーマについて考えました。いくつかの論点の中で、ぼくが最も注目するのは「変革の主体は何なの」ということ。ゲバラは、アルゼンチン⇒コンゴ⇒キューバ⇒ボリビアという道を歩んだ。モラレスはボリビア在住の先住民(アイマラ族)の支持で大統領になり、コチャバンバに世界の先住民などを招聘して「マザーアース権利宣言」を発した。ゲバラがどうしてもつかめなかった先住民の心をつかんでいる。ゲバラもきっと喜んでいると信じたい。
・今回の大統領来日の主目的は、菅政権とのリチウム交渉だが、エクアドルのヤスニ基金についてもなかなか難しい問題があり、いきなり開発反対などは口が裂けてもいえない関係にある。まず変えるべきは成長の果実を食い尽くしてきた我々の経済構造と生活スタイルなのだと思う。最後に1人の市民から問題提起された「脱成長」のグランドデザインと個人的かつ地域的な取組みについて考えさせられた。
・1つのアイマラ語が心に入った。トゥンパ=回りの生命を気にかけるということ。4月22日コチャバンバ宣言にある「善き生き方/Vivir bien」は次のようなものです。「先住民の知識や知恵、伝統的な実践の、回復と再評価そして強化を提起します。母なる大地を生きるものと考え、私たちはその母なる大地と、不可分の、相互に依存した、補完的そして精神的な関係を保っているのです。」 大地を豊にしてくれるミミズ、あらゆる微生物、田んぼを育てる水の力にカンパイ! パチャママ(大地の母なる神)と日本の八百万の神とは明らかに通じています。パチャママを思うことは日本の地域社会に昔からあった結、頼母子講,無尽などのつながりを再生継承することと、日本の農業を育てていくことにつながります。シンクグローバル&ローカル、アクトローカル。やはり土(大地)と太陽、米と水がモノゴトの根本ですね。
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by issei_tachikawa | 2010-12-08 12:41 | アンデス、中南米 | Comments(0)
c0219972_111391.jpg・セカンドって何か?二番目と答える人がまだまだ多い。実は「オルタナチブ=もうひとつの」というのがこの間の論議の結論です。でもなかなか理解が難しいのは、その人が自覚しないとソウはならないという事実があるからだと思う。つまり、その人がセカンドステージに立たされているのにそれを「もうひとつの生き方」を選べるチャンスとして自覚するためにはそれなりの努力が必要で、結果は運の良し悪しにも規定されるということなのだと思う。
・セカンドステージ、言いかえれば人生の節目または一局面(チャンス)なのだとすれば、これは個人・組織の誰もが人生で何度も経験するステージになる。あるひとつの事例:「子育て真っ最中で自分のやりたいことができない。夫は仕事ばかりで、家事の全てが自分にのしかかる。もういやだ!と感じても逃げる場所はない。腹をくくりながら考えると「もしかしたら自分と同じような悩み抱えてるひとっているかも」ときづいた。近くのコミカフェにチラシを置いてもらったら、何人か仲間が見つかって協働保育をすることになった。」これは、セカンドステージを有効に生かした例なのです。
・逆のばあいはいつまでも子育ての負担は個人だけにのしかかるリスクがつきまとう。子育て終了後は、セカンド=もうひとつのステージを意識して活用しやすい。なんといっても金銭的・時間的・精神的な余裕が増えるのだから、「地域で何かやりたい」と思って、テーマを絞り込み、仲間を見つけたり、単身で起業したりすることが可能になる。これをセカンドステージ事業の幕開けとしてとらえることはそれほど難しくはない。
・セカンドステージって何?と考えると、他にも例は無数に出てくる。来年定年退職が迫っている、いよいよ卒業して就職だがなかなか採用通知が来ない、長い間のサラリーマン生活で貯金もたまってきた・家のローンも終わっったしそろそろ独立しようかと考えているなどなど。
・セカンドリーグ支援室の役割は、たくさんのセカンドステージに立つ人々(個人も組織も)を経営資源的に応援することなのだと思う。2007年度と2011年度(来年度)の事業内容・経営資源の状態を比較してみると面白い。ようやくここまできたけれど、まだまだこれからだね。準備は整いつつありますが、パルらしい中間支援組織として自立するためには何を充実させねばならないか、今一歩突っ込んだ論議が必要だと思います。
・都会の農と食 ネットワーク、NPOへのセカンド供給事業
・埼玉、千葉、神奈川、東京、そしてすべてのエリアの地域セカンドリーグとの有機的な事業活動
・理事、委員、組合員活動のリーダー達の地域活動の継続推進サポート
・協力会、生消協との連携協働、賛助会員拡大営業活動(キャンペーン型も一案)
・実践起業塾修了生NWと地域セカンドリーグとの連携、『のんびる』で出会ったNPOなどのCBプレーヤーとの連携
・CMSの採用に伴ってレベルアップしたWEB広報機能の充実
・「あったかいお金」を回す仕組みのセカンドステージ、どこと手を組んで6W2H?
いずれも楽しみな課題ばかりですね。昨日はセカンドリーグ忘年会、神田の「なみへい」(川野さん)で賑やかに行われました。川野さん、スタッフの皆様、お世話様でした。グラーシャス!
(写真説明)
岩手県九戸郡軽米町から茨城県つくば市JA谷田部への「しいたけ原木」(こなら)の出荷風景。里山再生につながるセカンドステージ的事業です。つまり菌床栽培に比べて、てまひまかかって価格は3倍近くで市場競争力低い原木栽培を農家が選択するには、それなりの決意と人々の連携協働、たすけあいの気持ちが必要です。飯泉さん(JAつくば)、木下さん(軽米町産業開発)、小川さん(ジーピーエス)などたくさんのみなさんの連携協働は「これでいいのか」「これじゃだめ」「こうしたい」「こうしよう」の気持ちのつながりでつくられています。まさにセカンド=もうひとつの事業ですね。時空間、性、年令、民族などの壁を溶かして、多様な人々がつながって新しい地域を創造して行きます。セカンドってのは、永遠のing(現在進行形)なのかもしれません。

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by issei_tachikawa | 2010-12-04 14:03 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)