どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

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シールズ研究報告)2冊買ってきました。
1つは、『民主主義ってなんだ?高橋源一郎×SEALDs』(河出書房新社)、2つは、『SEALDs民主主義ってこれだ!』(大月書店)
昨日は、1冊目を読んだ。第1印象ですが、良く勉強してルナーという感じ。あと、ほんまに個人なんやなーとも感じる。だから親しみを思えます。そして、奥田君の父も僕と同じ様な活動を僕よりはるか以前から、確信(信仰にうらうちされた)を持ってやっている点が気になりました。
内容についてたくさん教わりました。ページ数で言うと、(50、129-132,134)アナティの民主主義はアナキズム(無政府主義じゃないからね)に近いという指摘。
(126)ではべ兵連についてふりかえっている。コレは今の僕の問題意識と重なるのでためになります。ぼく(ら)は、あきらかに新左翼党派的な、ブント的視点から、彼らの運動は軟弱、市民主義、広がるのも速いがすぐつぶれてしまうだろうとしたに見ていた記憶がある。他方での小田実とブラックパンサーへのさわやかな印象も残しながら。「なんでうちげばになってしまったんじゃりか?」「どうすれば再発ふせげるのか?」を問い続けてきました。だから、こういう本がでるとうれしくって、とびついてしまうのです。
(150)イロコイ連邦について。なかなか良い着眼点だと思う。ぼくは、アンデスの先住民と交流しながら、西側の文化とは別流で行き続ける政治敵文化の研究を続けていますが、シールズの京都の大学生の指摘に共鳴するところ大ですね。
というわけでたくさん学ぶことができましたが、以下3つの点で???も感じました。
1つは、9条の意義について。戦争抑止する力があったというのが、ぼくのみかたですが、牛田くんは「変えてもいいんじゃないか」とおっしゃる。
2つは、自衛隊の存在を違憲とみなすかどうか?ぼくは違憲だと思いますが
3つは、「じゃーせめられちゃらどうすんのよ」というがきの喧嘩れべるの現代戦争リスク分析について。ぼくは「まるごし、民衆交流、芸と音楽が平和と民主主義の原点、あらゆる武器を楽器に」という立場ですから、彼らといかなる話になるか?
元寇について詳しく知るには、網野善彦の本が良いですよ。
そしてこの点いついてももううすこし突っ込んだ体話(行動)がほしいな。「足元をどうかえていくんですか?」という働きかけです。自由民主党が50年間不抜の政権を担当してきた理由の1つに、ご近所とのお付き合いがあります。地域の細胞は、家族、ご近所、町内会・ジジ会、PTAなど。食、農、食理学が問われます。
いろいろありますが、シールズをになっている1人1人に心の御底から「ありがとう、よくでてきてくれた」を送ります。学歴社会を超えています、か?
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by issei_tachikawa | 2015-10-28 09:15 | 足元から社会を変える(政治・社会革命) | Comments(0)
「身近な貧困 いま私たちに何ができるか」(共催:パルシステム東京、生活サポート生協・東京)は東新宿のパルシステム本部ビル7階で開催され、報告者の1人として参加しました。
以下のことに配慮しました。
1つ、時間に遅れないようにしよう。(笑いごとではない)さんきゅう時間はアンデス時間です。待ち合わせは12時にグランヂュオ入り口の時計真下にしましたが、なんとMさんがきてくれた!申し込み無し。ひげ面、普段着、ええなー。あと、信昭もきた。逆に、くまさんがこなかっらた。コレは残念でしたがなんとか、1:50に到着したのですが、出口間違えたりで、会場到着は2時40分でした。ちょうど、早苗さんの話が終わり、ロジカルの専務、久保さんの話が始まるところでした。事務局さんにご心配おかけして済みませんでしたが、かえって「さんきゅうハウス」の話に注目して頂く効果もあったかな?
2つ、臨場感あふれるライブ形式の報告にしました。そのために、スタッフ4名、利用者5名、立川市社会福祉協議会職員2名を巻き込んで参加しました。途中のハプニング対応も効果的だったかな?メイビーイエス。利用者2名が途中でいなくなり、帰ってきたのをみてぼくは「なにやってたんだ、1じかんは我慢してくれといったじゃないか。」と突っ込みましたら、答えは「腹減ったんで飯食いに」で、会場に笑いの渦が!きよし&大輔の「金曜カフェ」、信昭のそばカフェ(12/7)、BAKA大11月授業の宣伝も、明るくやりきりました。
3つ、いつも話していない人と利用者を交流させようと努力しました。でも、なかなかバリアフリー店がみつからずに困っていたら、かっての餃子屋(今は定食や)がみつかり、利用者と主催者をまぜこぜに座らせて、みんな自己紹介すすめて、交流しました。◎チャンがなにもしゃべれないのが、逆に受けてましたね。みんなやさしいね。
◎良い機会なので、NPOのNは、not forのNと解釈するべきで、nonのNではないのではないかという持論を説明し、CBのCとBの関係は、掛け算であるという秋山さんの説を使わせていただきました。1995年の大震災におけるボランテイア活躍、1998年のNPO法の制定の背景、さんきゅうハウスが、特定非営利活動法人(NPO法人ではなくて)で登記してある意味の説明もしました。おおむね納得していただいたのかな。
◎用意した資料のうちのアウトカム(地域波及効果)論については、ほとんど説明できなくて残念でしたが、またの機会に。
☆☆☆最後に、野々山さん(パルシステム東京理事長)が質問してくださいました。「もしもイッセーさんがパルの職員だったらこの課題についてナニをしたいですか?」と。待ってましたの渡りに船、答えました。「瀬戸さんに頼んでNPOの現場に出向させてもらいます。」と。現場で課題解決の対策を練る姿勢は大切だと思います。パルシステム東京にとっても、人材育成、情報収集、組織活性化の動力源の1つになり、生協とNPOのウイン・WINの関係づくりにつながると確信します。
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会場入り口で、さんきゅうジャム売りながら、さんきゅうハウスの説明をしている大輔&きよしコンビ、近々ヨシモトデビュー(ウソです、笑い)
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by issei_tachikawa | 2015-10-25 10:38 | パルシステムで愛と協働の地域社会を | Comments(0)

良い知らせが続きます

なんだかきつねに騙されているような感もあり。
1つは、小川さんの変化。さんきゅうハウスの利用者ですが、カフェで突然出だしました。「おれもいつまでもせわんなってるばっかりじゃーもうしわけないんで、そばうちやりますよ。」と。驚いたぜ。かっての栄光をわすれられないで、呑んだくれていた人生、底つきなまこ体験をくぐりぬけて、彼は自立再生に乗り出したと見えます。そばうち教室は、12月7日(月)10時~さんきゅう食堂でやります。参加費500円、丁度カフェの日なので、「てうちそばカフェ」にしようと決めました。因みに、小川さんは、32歳の時に、「そば本陣」を経営していて、日本のそばうち名人100選に入りました。芝田書店から写真集が出ています。
2つめのおしらせは、原田さんがボランテイア志願、月曜日にお試しでかかわっていただきます。ケテイさんが取り持ってくれたエンです。ケテイさんにも、グラーシャスありがとう!ヨガ教室にも来たいそうです。
3つめは、サンドウさんてかたが、新しい仲間になってくれそうです。長岡式酵素玄米2つお持ち帰りになりましたが、BAKA大にも関心アリ。11月授業のお知らせをわたしました。
最後のうれしい話。なんと、立川市役所のコンビニに、東京新聞が置かれました!以前は、読売、産経、朝日しかおいてなかったので、本社まで電話して、リクエストしたらみごとに改善してくださいました。営業部のみなさん、ほんとうにありがとうございます。ちなみに店名は、・・・・です。
あと、これは大事なことですが、改善してくれたことに感謝の意を伝えることです。お店の店員さんに直でいうのもよし、店長に伝えるのもよし、本社まで電話するのもよし、このような小さなことで、世の中変っていくのだと確信しています。
なせばなる、なさねばならぬなにごとも、ならぬはひとのなさぬなりけり(上杉ようざん)
人生って、おもいどおりにしかならないんだよ。(トロン)
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by issei_tachikawa | 2015-10-23 09:42 | 足元から社会を変える(政治・社会革命) | Comments(0)
よく原発ゼロといわれますが、商業用で発電していないという意味で、原発50基のなかはほっておけば高熱で溶けてしまいますから、ねんがらねんじゅう冷やし続けています。という前提ですが、ゲンパツゼロでほぼ4年間がすぎた。電気は「原発なしで、十分足りている」ことが証明された。今年の夏も足りた。冬も足りる(安定供給)と電力大手9社(沖縄電力除く)が10月9日発表している。(下記:毎日新聞記事を参照)
 節電要請の数値目標も昨年に続き、見送られる見通しだ。日本は原発なしで電気は大丈夫なのだ。
2.「原発電気が30%だ。これがないと日本はやっていけない」と10数年大宣伝してきた電力会社、政府の「大うそ」が満天下に明らかになったが、誰もウソの責任をとらない。説明責任も果たさない。ただ、ひたすら原発再稼働をいう。
 なぜか?不思議な国だ。テレビ、新聞もおかしい。この問題をもっと掘り下げて議論すべきだと思う。
3.先日、古い資料を整理していたら、12年前の2003年6月の「停電問題と原発」シンポジウムの写真と資料が出てきた。スローガンは「電気は足りている」「これ以上ひび割れ原発を動かすな」の集会で、100名強が参加(東京神保町区民館)。
 日本TVとMXTVが取材に来て、にぎやかな集会だった。その日の壁にかかっている横断幕は「原発なしで電気は大丈夫―自然エネルギーと節電社会をーたんぽぽ舎」である。“原発なしで電気は大丈夫”の横幕、縦幕(ノボリ旗)はこの頃から一貫して使用してきたが、如何せん「電力会社プラス政府の「原発電気が30%」の大宣伝(ウソ)に世の中がほとんど毒されていた。
 日本人は人が良くてだまされやすい。2度あること(だまされること)は3度あるともいう。
 電気は十分足りているのに、なぜ原発再稼働か?
◎ぼくの見方では、原発メーカー(三菱、日立、東芝)が加盟する経団連からの圧力、地元からの再稼動要請(雇用・雇用と)、電力会社(沖縄除く!)からの圧力、原発・武器の輸出で大もうけをたくらむ産業界と自公政権(背後に、アーミテージ・ナイの戦略提言)があります。戦争法案(特にアメリカ追随武器使用権、PKO法など)の強行採決と根は同じですね。
コレに対して、反対側は次の主張をしてきました。①電気は足りている。再稼動不要。②原発電気は安くない。むしろ高くつく(交付金、廃炉費用、賠償費、廃棄物処理費、福島だけでも10兆円以上、底なしなのでカウント不能)③地震・津波・火山爆発・テロなどのリスクは高まる一方で、規制委員会の審査は一切信用できない。
なのに、安倍政権と経済産業省官僚中枢は再稼動にこだわる。経済に毒されておるな。いざというときでも責任者は現場に行かないからな。来年の選挙までに、1つ1つ丁寧に説明して、再稼動反対・戦争法案反対・辺野古移転阻止・派遣法改悪反対・TPP撤収の議員を増やし、「争点隠し」議員には、事務所にいって問い合わせるとか、突っ込みをいれましょう。
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by issei_tachikawa | 2015-10-11 10:58 | 脱原発・自然エネルギー産業の拡大 | Comments(0)
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今回のイッセー通信配布活動は実りが多い。出会いとコミニケーション豊かです。3つ紹介しますね。
1つ、砂川8丁目読者のご主人に初めて会えました。「妻が読んでるみたいですが、ぼくは・・・」という感じ。このお宅に入れはじめたきっかけは、玄関に置いてあるパルシステム東京の箱。会ったことのない組合員へのラブレター代わりなのです。今日はチャンスなのでイッセ-名刺渡して、総代もやっていることを伝えました。
2つ、ぼくが仲人したお宅で、母上と雑談。「白内障で病院行かないと。娘は市役所なので付き添ってくれない。足が悪いんでどうしようかと思ってる。」とおっしゃるので、ここでも名刺渡して付き添いの約束しました。
ここもパルの共同購入班、隣の人が右手に三角巾でやってきた。「タマジョーで散歩中倒れて骨折」とのこと。ご近所のSさんは、最近また体調悪化しているらしい。
3つ、いつもいくお店でマスターが、「お話があるんですが・・・」と。初めてだなー、いつもおれからしゃべってるので(笑い)。聞いてみたら「安保法案について賛成のお客さんと話していたらとてもいらいらしてきて、・・・」とのこと。僕の意見も伝えましたが、うれしかったのは、彼もひとばん孤立して自分と対話してきたんだなーという実感が込められていたから。「民主主義の原点じゃないかなー。」と元気付けました。
3つっていいましたが、1つ追加です。(笑い)
和菓子屋さんの奥さまから、愛媛県新居浜市の住友銅山跡地に木を植え続けて、森を復活させた元役員の話を伺いました。これまた感動。
裾野を広げよう!選挙や権力ダッシュ(革命)のためだけではなくて、仲間を増やすために。
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by issei_tachikawa | 2015-10-03 14:06 | イッセー通信 | Comments(0)
一晩明けて蘇る浅沼さんの記憶を手繰り寄せています。彼の生家は三宅島(北一輝は佐渡島)、2006年(不確かですが)生協連で帰島支援にいったさいに訪問しましたら、なんと草ぼうぼうで、カヤが屋根より高くという感じ。かわいそうなので、おれが草取りしてあげようと思って、翌朝来てみたら、なんときれいに草取りされていたのです。
誰だろーなー、やってくれたひとは。
ぼくがぬまさん好きだった理由は、たぶん、彼の政治主張よりも、彼の生き様だったようです。彼は大学は早稲田(入れなかったけれどあこがれていてぼくが好きだった大学です。)、学生運動で社会に目覚めて革命について生涯活動的でした。
だから好きだったということもあるのですが、むしろ彼の生活スタイルが庶民的だったからかナーと思います。長屋に住んでいた。夏の休みはゆかたでぶらぶら。いつも訪問者が絶えなかったと聞きます。
しかしぼくはどうだったかといえば、1968年3月にブントから脱落してから、1980年にクワンジュ蜂起に連帯する学生達の「金大中死刑執行阻止」の戦いに共鳴して再起するまでは、当時の彼女(いまのひとではありません・・笑い)と会話するだけで、全く孤立した人間関係でした。
あれから35年たって、あらためて浅沼さんの活動を見つめなおしながら、立憲・民主主義・平和のスタンスを問い直しながら、シールズなどの若き活動者に連帯し続けたいと思います。
これからイッセー通信36号(10月号)配布しにご近所(チャリで20分圏内)をまわり、午後がいよいよ土曜日夕食ボランテイアさんの説明会を、さんきゅうハウスでやります。15日年金支給日まであと12日、がんばろう!(日本ではない俺がですぞ)
◎因みに、浅沼稲次郎さんが、山口オトヤ少年(17歳)に日比谷公会堂で刺殺されたのは、1960年7月、日米安保条約が岸内閣により強行採決されたのはたしか6月15日(?)、当時彼は日本社会党の書記長でした。国会議席はいくつだったかなー?
イッセーは14才で、野球少年だったからあまり関心は持たなかったのではないかと思います。浅沼さんに思いをはせるようになったのは?「挫折」後、30代かなー、ようおぼえていません。
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by issei_tachikawa | 2015-10-03 09:55 | 足元から社会を変える(政治・社会革命) | Comments(0)
「おれみたいなはみだしがよー、30年間も『サラリーマン』やれたのは、どうしてかわかるか?」
「わかんねーよ、そんなにざっくりきかれても。」
「ざっくりじゃねーよ、具体的だろ。なんでなのか?」
「わかんねえーって、あんたのことなんだから。」
なんどかやりとりしていたら、このやりとりやめたほうが良いと気づいた。
「そっかー、今答えられないほうが正直な答えやね。逆に、今あんたがおれの求める答えだしてしまったら、おべんちゃらというかリップサービスだからな。今はこのままのほうがええ。」
「・・・・・(進吾はオレの話無言で聞きながらのあと)・・・今がおとうの青春なんだな。」
これはうれしいひとことだぜ。
早速おかあと芳郎さん(義父、88歳で他界)に報告した。おかあは、孝輔のカネで九州旅行に出発、今日はカフェの日、えいさんとケテイさんの日、お任せセット何が出るかたのしみだニャー。進吾にカフェチラシ渡して、「こいよ!」と指示して置きましたが、「気が向いたら」とも付け加えました。ゴーイングゆあウエイ withチェ・ゲバラ エン ハポン
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by issei_tachikawa | 2015-10-01 07:36 | 家族、地域家族 | Comments(0)