どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

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 市内はお祭りムードの先週金曜日、立川市女性総合センターアイムで、『ホピの予言』上映会でした。昼の部70名、夜67名の方が集いました。

 監督の辰巳玲子さんは、にろちゃんこと二口さんの知り合いということで楽しみにしていたのですが、なんのことはない、昔からの共通の仲間が2人いました。
 1人は、ケケちゃんこと石岡くん。ザ・ロンゲストウオークでデニスバンクスらと一緒に歩いた人、ぼくがベジタリアンになる(ただし40歳くらいから60歳くらいまでね)きっかけになった人。海辺で塩をつくってた。優秀な大工さんでもある。今は広島在住。
 2人目は、石谷政雄上人。日本山妙法寺の方ですが、たまたまさんきゅうカフェの前で出会えました。以降、国会前で1回、さらに奥さま(?)同伴でカフェにおみえになった。聞けば北海道旭川市に道場があり、インドでは地域の人で応援をいただきながらお寺をつくっておられるとか。

 いだしっぺは内田君でした。5月だったかな、電話で「ホピの予言って知ってますか?」と聞かれた。チェルノブイリの記憶がよみがえり、当然知っていますと答えた。
 「映画会やりたいんですが、協力してくれませんか?」と誘われて、すぐに乗った!最近のイッセーではめずらしい。事業計画なんてあたまになかった。不思議な力が働いた気がします。

 夜の部終わったのが9時半、かたずけ終了して、辰巳さんの宿泊先になってくださる菊池びよさん
、主宰の内田君、辰巳さん、ミュージックアーテイストの菅野さん、下北でカフェやってる女性と打ち上げ。ちょうど須釜さんと府中の女性も隣同士でざっくばらんに感想を述べあいました。

菅野さんは、「浄化の時代っていわれますが、底つくまでは落ちてゆく、何をやっても『白い人たち(北米+ピューリタン連合軍?・・・イッセー挿入)』の行動をかえることはできないというのは納得できません」という、ホピのことばをどう解釈するか?「神格化してはだめだよ、自分の頭で考えなさい。」ということかも
 あと、北米史と現状における「善・悪」の2項対立図式への違和感を感じる人もいた。さらに「原発再稼働の政府を応援してます。」という女性にも、辰巳さんは手をやかれたという。

 これらすべてが「主体」の自立性、自然界の多様性の尊重を問いかけているのではないかと思う。
ホピとは平和を希求している人々のこと、つながりを大切にして、祈りながら行動する。決して暴力的なやりかたはとらない。非暴力直接行動の開花を念じるのです。

  要は、私たち一人一人が地球の細胞だという実感をもてるのか,大地の痛みを感じられるか。
むづかしくない。だれでもホピになれるんです。

わたぼうしのみなさんから、有機野菜いただきました。
今朝の朝食は、ミニトマとコーヒー
一緒にみてくれたみなさん
来てくれてほんとうにありがとう!
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by issei_tachikawa | 2016-08-28 22:04 | 映画・演劇・スポーツ | Comments(0)

追悼:むのたけじさん

c0219972_8492267.jpgむのさんは、新聞記者として侵略戦争に加担した人間としての罪意識と戦い、肯定的取材した反省から、故郷の秋田県で週刊新聞「たいまつ」を発刊しながら反戦を訴え続けました。
21日午前0時20分、老衰のため、さいたま市内の自宅でなくなったことを今知って、急ぎブログ掲載しています。葬儀・告別式の日取りは未定。後日しのぶ会の開催を検討しているそうです。
 東京外語大卒、太平洋戦争中に朝日新聞記者として海外特派員を務めましたが、敗戦と同時に退社。1948年、秋田県横手市で「たいまつ」を創刊し、反戦・平和や農村・農業、教育問題などで評論活動を続けていました。
 彼について知ったのはごく最近、『のんびり』という雑誌の対談でした。「(藤本)今の時代だからこそまだ、そういう(ニューヨークタイムズや『たいまつ』を指している・・・挿入者はイッセー)地域の新聞やメディアが果たせることがあるんじゃないかと。(むの)前略・・地域の新聞ヤメデイアでは、読者側が同時に発行者にもなれるの。読者と発行者の共同作業が大切なの。大新聞社が、新聞売って儲けるでしょ。これでは仲間じゃないもの。だもんだから、軍部が恐れるような力を生めなかったの。この格好のままじゃダメ。ところが地域新聞は、それにこだわらないもんね。なんでもやりたいように試してみる。」
 ちょうど昨日、メダカヤ(イッセーと3人ためどしの、林夫妻がやっている隣町の環境市民グループ)林君ちで、「むのさんっていい顔してるよね。101歳だって。すごいね、おれらもあんなふうにとしとれたらいいね。」って話していたのです。それから、体調不良でお休み中の神馬君ちに、『のんびり』を届けて、むのさんのインタビュー記事だけコピーして、自宅のPCルームの壁に張ったのが昨日だったのです!なんという偶然の一致。虫の知らせ?かもね。
 反戦魂貫いた新藤兼人監督、小金井で九条壊すな署名を1人で90万(?)筆も集めて86歳で亡くなった男性、タタカイ現場のリアルを撮り続け・報道し続けた福嶋菊次郎さん、などなど日本には心底尊敬できる先輩がおる。
 イッセーの通信、たいしたもんではありませんが、月1回ペースで41号になりました。目高や通信は1000号(!)に近づいています。3人で「生前葬」(75×3=225歳)やるつもりです。
◎台風9号接近ですが、さんきゅうカフェは営業します。「ザ・タイフーン・ウオント・ストップミー」(雨にも負けずのアーサー・ビナードさん訳)ただし、危ないので旗や看板、スロープは台風去るまで出しません。けど営業してるからね。
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by issei_tachikawa | 2016-08-23 20:08 | 尊敬する日本人(そんにち)シリーズ | Comments(0)
c0219972_8492267.jpgむのさんは、新聞記者として侵略戦争に加担した人間としての罪意識と戦い、肯定的取材した反省から、故郷の秋田県で週刊新聞「たいまつ」を発刊しながら反戦を訴え続けました。
21日午前0時20分、老衰のため、さいたま市内の自宅でなくなったことを今知って、急ぎブログ掲載しています。葬儀・告別式の日取りは未定。後日しのぶ会の開催を検討しているそうです。
 東京外語大卒、太平洋戦争中に朝日新聞記者として海外特派員を務めましたが、敗戦と同時に退社。1948年、秋田県横手市で「たいまつ」を創刊し、反戦・平和や農村・農業、教育問題などで評論活動を続けていました。
 彼について知ったのはごく最近、『のんびり』という雑誌の対談でした。「(藤本)今の時代だからこそまだ、そういう(ニューヨークタイムズや『たいまつ』を指している・・・挿入者はイッセー)地域の新聞やメディアが果たせることがあるんじゃないかと。(むの)前略・・地域の新聞ヤメデイアでは、読者側が同時に発行者にもなれるの。読者と発行者の共同作業が大切なの。大新聞社が、新聞売って儲けるでしょ。これでは仲間じゃないもの。だもんだから、軍部が恐れるような力を生めなかったの。この格好のままじゃダメ。ところが地域新聞は、それにこだわらないもんね。なんでもやりたいように試してみる。」
 ちょうど昨日、メダカヤ(イッセーと3人ためどしの、林夫妻がやっている隣町の環境市民グループ)林君ちで、「むのさんっていい顔してるよね。101歳だって。すごいね、おれらもあんなふうにとしとれたらいいね。」って話していたのです。それから、体調不良でお休み中の神馬君ちに、『のんびり』を届けて、むのさんのインタビュー記事だけコピーして、自宅のPCルームの壁に張ったのが昨日だったのです!なんという偶然の一致。虫の知らせ?かもね。
 反戦魂貫いた新藤兼人監督、小金井で九条壊すな署名を1人で90万(?)筆も集めて86歳で亡くなった男性、タタカイ現場のリアルを撮り続け・報道し続けた福嶋菊次郎さん、などなど日本には心底尊敬できる先輩がおる。
 イッセーの通信、たいしたもんではありませんが、月1回ペースで41号になりました。目高や通信は1000号(!)に近づいています。3人で「生前葬」(75×3=225歳)やるつもりです。
◎台風9号接近ですが、さんきゅうカフェは営業します。「ザ・タイフーン・ウオント・ストップミー」(雨にも負けずのアーサー・ビナードさん訳)ただし、危ないので旗や看板、スロープは台風去るまで出しません。けど営業してるからね。
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by issei_tachikawa | 2016-08-22 08:36 | 尊敬する日本人(そんにち)シリーズ | Comments(0)
c0219972_211336.jpg1.戦う気がない彼がなぜ殺されたのだろうか?それだけの実力者だったということか。
2.誰がやったのか?だれがやらせたのか?
3.仮に小栗の徹底抗戦路線が採用されていたら、戊辰戦争の行方はどうなっていただろうか?
4.明治維新って何だったのだろうか?
5.ぼくは、なぜこれほどまでに小栗に関心をもっているのか?

1.彼が生きているとやばいと感じた人間がいたに違いない。それだけの実力者だったということ。幕府の官僚(勘定奉行はいまだと財務大臣、経済産業省?外国奉行、これは外務大臣、軍艦や歩兵奉行などを経験、69回も罷免・辞任・再任くりかえしたあげく70回目で完全離職)として、実績はいまだに光輝いている。明治政府に加わっていたら?
・77名率いて目付け役でアメリカにわたったのが1860年、乗った船はポーハタン号、ついでに世界一周して帰国した。勝海舟の咸臨丸は、これに付属するもので、勝は船酔いで、ほとんどまともに働けなかったらしい。(史実)
・薩長がイギリスになびいたのに対して、幕府は南北戦争勃発後はフランスとの連携を重視していた。歩兵部隊の近代化にもナポレオン軍の将校が活躍したという。鉄砲もフランス製。横須賀に製鉄所建設を提案したのも小栗だという。勝は「船なんて外国から買えばよい。」と主張。
・そのほか、郵便局、ガス灯、最初の株式会社、フランス語学校を提案していた。
2.東部方面部隊の隊長は、岩倉具視の長男17歳、次男も加わっていた。血気盛んだったのだろうか?烏川で小栗を惨殺した死刑執行者はわかっているが、指示した人間はわからない。証拠は残さないだろう。くやしいがこれ以上はいまのところ謎である。疑問と悔しさを抱えながら、生きていこう。
3.西軍は壊滅的な打撃をこうむっていたかもしれない。ただし、軍事力学的な話である。鳥羽伏見の戦闘がはじまったとき、幕府軍先頭の鉄砲隊は弾つめていなかったという歴史家もおる。トップの慶喜は「二心様」といわれたくらい、将軍失格者だった。小栗が気の毒でならない。駿河台の屋敷には彼の霊がいまだに出没しても不思議でないくらいだ。江戸開城直前で、幕府海軍の艦砲射撃と会津、庄内、新選組、彰義隊、見回り組、榎本武揚&大鳥佳介などの部隊の突撃が実行されていたら、戊辰戦争も、違う展開を見せたかもしれない。(大村益次郎=村田蔵六、NHKドラマにもなった)証言)
4.明治維新とは、長州のクーデターだったのかもしれない。そのごのイギリスグラバー商会とのつながり、産業革命と戦争(アジア侵略)政策で、江戸の文化、江戸の自然、江戸のリサイクルの仕組みは徐々に破壊されていく。
アイヌなどの日本列島先住民をだまして征服した大和んちゅーの徳川政権が、長州、西軍のクーデターで敗れたということだと思う。
今の安倍政権のアメリカ追随は、この時期に始まった。ベースにあるのは、吉田松陰の考え?(朝鮮、満州は日本の領土だと考えていた?!)
5.血が騒いだのかもしれません。イッセーのひじいさまは、慶喜さんの足軽大将(60人ぶち)だったときいています。おやこさんだい江戸っ子です。でも、それだけで小栗にひかれたのではなさそうです。
運の悪い、生き方が下手なひとって、まさにおれじしんなんだよな。小栗上野は、福澤諭吉さんもおっしゃるように「やせ我慢の美学」を持った人だった?みやちゃん、だいすけ、金曜カフェスタート、おめでとう!来週もやろうぜ!
過去を調べることは、未来への道を照射することだとおもう。歴史は作られる。もちろん勝者によって。しかし、大事なのは敗者の声も聞くこと、勝ち負けでなくて、政治や社会活動において何が大事な視点なのか?命の循環、他者の笑顔、喜捨、与え続けること、浄化への道、26日、『ホピの予言』上映会です。前売り900円でチケット販売中。
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by issei_tachikawa | 2016-08-19 22:03 | 日本史:明治維新の過ちなど | Comments(0)

追悼:小栗上野介順正殿

c0219972_2132479.jpg小栗上野介順正(以降、小栗と省略させていただきます)をご存じない人が多い。いや、知っている人でも名前だけで、いつの時代に生きて、何をやったのかを知っていた人は、僕の関係ではわずか2名で、吉良上野介と間違える人もいました。
比べて、勝海舟、榎本武揚は名前だけは知られています。勝などは、「咸臨丸を指揮して、初めてアメリカに渡り・・」として、修身教科書(戦時中のです)にでていたくらい。西郷と談合して、江戸の無血開城に成功した明治の英雄のように考えている人もいます。彼は享年77歳、しっかりと天寿全うしています。
榎本に至っては、徳川慶喜(最後の将軍)の西軍恭順路線に反対し、徹底抗戦を主張し、新選組,会津兵などの生き残りを五稜郭に集めて戦ったのに、明治新政府の海軍大臣になっている。伯爵の称号ももらい、これまた天寿全う。
小栗も長州西軍せん滅を主張したが、慶喜に罷免され、群馬県の山奥に家族と従者を連れて引っ込んで、彰義隊からの支援要請も断っていた。なのに、中山道を進んできた東部方部隊に、上州3藩がからんでいるらしいが、とらえられて裁判にもかけられずに烏川で打ち首されている。
おかしい?ですよね。
1.戦う気がない彼がなぜ殺されたのだろうか?
2.誰がやったのか?だれがやらせたのか?
3.仮に小栗の徹底抗戦路線が採用されていたら、戊辰戦争の行方はどうなっていただろうか?
4.明治維新って何だったのだろうか?
5.ぼくは、なぜこれほどまでに小栗に関心をもっているのか?
この数か月、入手できるものを読み込み、考えてみました。インターネットで東善寺(曹洞宗)を見つけて、16日にお墓参りしてきました。住職のお話を、3時間ほど伺い、何人かの友人と意見交換して、ようやく小栗研究に一区切りつけてもいいかなーとおもえるようになりました。
過去を調べることは、未来を照射するためです。重箱の隅をつつくような研究自体が目的ではありません。とりあえず、このへんで区切りをつけたいと思いました。上記の1~5までの答えは、次に展開します。(続く)
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by issei_tachikawa | 2016-08-19 21:57 | 日本史:明治維新の過ちなど | Comments(0)
「■NHK、天皇陛下の「お言葉」を恣意的に一部カットして報道~蜜月・安倍政権への“配慮”
 昨年12月23日。
この日、天皇陛下は80歳の傘寿を迎え、天皇の「お言葉」がマスコミに配布された。「お言葉」は同日各メディアによっていっせいに報じられたが、重要部分を“意図的に”カットしたメディアがあった。それが公共放送局のNHKだ。
 「重要部分とは、ずばり天皇陛下が語った護憲とも取れる部分です。朝日新聞や毎日新聞はこの部分をしっかりと掲載しましたが、読売新聞はかなり意図的に端折って要約していた。問題はNHKが、この部分の一切を削除していたことです」(大手紙宮内庁記者)
 削除された天皇の「お言葉」の該当部分は以下のようなくだりだ。
 「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」
 現状の平和と民主主義、そして憲法を「守るべき大切なもの」とした護憲発言であり、
さらには憲法を作った主語を「日本」とし「知日派の米国人の協力も忘れてはならない」と加えるなど、「連合国からの押しつけ憲法論」への反論ともとれる発言だった。
しかし、NHKはこの部分だけをカットし、一切報じることはなかったのだ。
 「公共放送としてのNHKの見識を疑いますが、今回のNHKの報道姿勢は、安倍晋三政権が目指す改憲と密接な関係があると目されています。NHKは、特定秘密保護法にしても政権寄りの報道を繰り返し、また、靖国参拝にしてもその録画映像を延々と流し、批評もしなかった。いまやNHKは安倍政権の“お抱えメディア”と化す危険性さえある」
 こう指摘するのは、メディア事情に詳しい評論家だ。安倍首相のお友達人事は有名だが、これがNHKにも及んでいることは周知の通り。NHKの最高意思決定機関である経営委員にしても保守色の強いお友達を次々登用し、なかでも作家の百田尚樹の起用が話題になったばかり。また今年1月に新会長に就任した籾井勝人についても、百田以上に「安倍カラーの強いお友達人事の賜物」と見られているのだ。
 これでは不偏不党を掲げていたはずのNHKが、「安倍政権の意のままで、御用達メディアになる」と危惧されるのも仕方がない。そして政権に都合が悪い言論に対しては、天皇陛下の発言さえ削除する――。
 安倍首相は本気で憲法改正と、その背後に控える戦時体制を望んでいるのだろう。安倍政権の独裁化と私物化は言論統制に向かっている。平和憲法と戦後民主主義最大の敵が安倍首相だということを、改めて記しておきたい。」
(文=和田実さん、柳田先生のメールから無断転載です。情報化のご努力に感謝いたしております。毎日ありがとうございます。)
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by issei_tachikawa | 2016-08-13 09:50 | 国内政治、市議選、国政選挙 | Comments(0)
c0219972_15492812.jpg90歳越えても記憶鮮明で「第二次世界大戦」、光機関の戦いを語り続けました。ビデオにも収録されています。
彼の話で印象深いことを3つ紹介します。
1つめは、敗北した軍隊のくずれかた。
2つめは、インド独立と光機関の係り。
3つめは、弟への思いです。
1つめ、彼は、インパール作戦で最後まで生き残った上等兵(?)でした。敗戦が決定的になるとトップから崩れていったそうです。「部隊長が飛行機で逃げる、役員クラスは自動車で、部課長クラスは自転車で、自分は最後まで陣地に残り、証拠隠滅してから闇に逃れました。」といっていた、彼は、インパール作戦で最後まで生き残った上等兵(?)でした。「戦闘での死者よりも、餓死やマラリヤ、破傷風なんかでやられた方が多かった。」といってました。
「二度と戦争はしてはいけない。」ともおっしゃっていました。
「鉄砲撃ったのは1回だけ、それも牛殺して食べようとしたが、弾がそれて叶わなかった。」とか。
亡くなる前に「アメリカの缶詰がほしい。マルショーで売っているから買ってきてくれ。」とおっしゃっていて、周りは困ったらしい。飢えた時にそれで生き延びた体験(思い出)かな。
彼は連絡があるまで現地で潜伏していろという軍の命令通り数年間帰国しなかったので、死亡者とされていて、帰ってきた時、家族がどんだけ驚いたか。
2つめ、大川塾生は、光機関という秘密組織で、今のイラン(昔のペルシャ)からベトナムまで派遣されていたという。
「大川周明センセーは難しいことは指示されなかった。『現地の人に日本人をわかってもらえ。友達をつくれ。』が主な指示だったとか。
関東軍の暴発がなければ、歴史はかわっていたのかもしれないという気もあったのではないかとおもいますが、今の僕には2.26含めて皇道派の戦いを評価できるデータが不足しています。
戦争の一般論では説明しきれない、軍内部の意見対立と行動の相違の評価は今後に回しますが、(明治維新とはなんだったのか?に通じる問題意識です)インドのチャンドラボースと光機関は手を取り合ってイギリス軍とたたかい、独立を勝ち取ったというのは「事実」でありましょう。
1950年代、ネール首相から哲郎さんに『感謝状』が届いています。
1975年4月30日、「サイゴン陥落」の日、光機関の生存者が元の本部場所に集まり、涙ながらに万歳三唱した気持ちは、信じたいものです。あの戦争は、マクナマラも自己批判したように「民族独立戦争」だったのでしょう。廃盤になった「共産主義からの防衛」というLPを後生大事に持ち続けるイデオローグがまだいるという事実にも不気味さを感じますね。
むしろ、大切なことは「日米地域協定」見直し、不平等条約改定、沖縄に民主主義を(普天間基地の辺野古移転取りやめ、高江のヘリパッド工事中止)アメリカからの「独立」ではないか。
3つめは、芳郎さん(弟)の葬儀でのかれのメッセージです。うまく伝えられませんが、出征直前「にんちゃん!」って叫んだのだそうです。兄弟感覚がわからないイッセーにはそのメッセージをいつまでも記憶していることが、とてもうらやましく感じました。
「相送当門有済竹 為君葉葉起清風」(あいおくりてもんにあたれば きみのためようよう(?)清風を起こす)送天謝意 合掌
西東京市のお寺でお通夜、告別式でしたが、「個人の意思でご香典等はご遠慮させていただきます。」とのこと、かたじけない。
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by issei_tachikawa | 2016-08-06 15:51 | 尊敬する日本人(そんにち)シリーズ | Comments(0)
c0219972_21285767.jpg
多くの誤解がある。例の不正受給スクープから、生保バッシングがきつくなったといわれる。0.4%くらいの割合なのに、大げさに話題にされる。いやな世の中だ。マスコミと政府の責任が重大だと思うが、生活困窮側にも問題はある。
今日は2人に生保申請を勧めたが、70代中ごろの独身女性は、がんとして受け入れなかった。「そこまでおちぶれたくない。」とおっしゃる。元は、竹下通りでブテイック経営もされていたという。財産も若干あるのだが、生活費稼ぎに追われる日々、持病にも悩まされていて、職場での「いじめ」がさらにストレスを強めている。当面、さんきゅうでしのいでもらうしかなさそうだ。
もう一人は63歳の男性で、スタッフの1人が近所の公園で見かけたのでハウスまでつきそってくれた。なりたんのトリカラをうまそうに食う。おかわりもした。入浴して下着も変えた。
このひとは、「屋根のあるとこなら今すぐにでも入りたい。」とおっしゃるので、すぐにオオサー議員に電話して、福祉課に同伴してもらったら、すでに申請が受理されていて、入居先もきまていたののことで、すこしほっとした。が、左指が動きづらい、脳梗塞の影響か、痛風か?いづれにしても寄り添いの必要性は消えていない。ほっといたらまたいなくなるかも。
いずれにしても、生保は25条に規定された権利である。217万人、3兆円という金額をうんぬんする前に、国民1人一人が考えてほしい。
生活に困っていても、必死に頑張っている。頑張りすぎていてもまいったといえない。人に頼れない人が身近にいるのではないか。
「万人は一人のために」は、身近な人の痛みのシェアなのですとトクサンはいっていた。さんきゅうハウスを「地域家族」として、広げていきたいと思う。
●パルシステム連合会の地域活動委員会(?)のみなさんが、8/31に見学にきてくださるという。瀬戸さん、根本さんが下見にこられて、昼飯をいっしょした。パルシステム東京のCW(コミュニテイワーク)連絡会の次回会議も、さんきゅうカフェで開催される。いろいろと楽しみな2016年度になってきました。
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by issei_tachikawa | 2016-08-05 21:29 | さんきゅうハウス活動 | Comments(0)

さんきゅうカフェNOW

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今日のニュースは3つです。
1つ、高校生ボランテイアMくん、大学生ボランテイアKMさんとの会話を楽しみました。自然発生的憲法カフェになったな。最初の質問、9条いえるかい?答えはノー。イッセーが暗唱してから、「戦後70年なんていうけれど平和だったと思う?」と聞いた。答えはうーんでした。次の話は、「9条があるから平和は守られてきたとするべきなのか、だからなめられるとするべきなのか?」という点。どちらも50%の真理でしかない。
前文についても確認しました。「自虐的内容かどうか?」を暗唱しながら、一字一句確かめましたが、実に立派な国民主権の決意表明であることを3人で確認しあいました。「GHQに押し付けられたのか?」という疑問にも答えました。しではら首相とマッカーサーとの対話の再現、答えは改憲論者と逆でした。
いろいろ有意義な時間を過ごせましたが、憲法に関しては、両派がイデオロギー対立を強めるだけでは生産的な論議ができません。せめて、論点となる条文だけでも、熟読してほしい。
2つめ、大貫さんが来てくれました。彼女とは不思議な縁で結ばれておるなーと感じます。1986年に御茶ノ水あたりの反原発集会に参加した帰りに中央線で一緒になった。国立で降りるまで、ずーっと彼女がしゃべくりまくっていた!(大笑い)当時63歳か、国立市議でもあり、エンジンパワー全開だったんだろ
ーな。
小田実さんと同年の彼女は、彼の石碑が神戸にたてられたことを喜んでいた。石碑には「人間誰でもちょぼちょぼや」という小田語が彫り込まれているという。ええなー。
1965年、小田さんはブラックパンサー党のリーダーを連れて、日本全国シンポジウムして歩いた。法政大学の55ネンカン大講堂で見た彼の眼付きの鋭さ、今も忘れられません。殺気立っていたのはベトナム侵略戦争(民族独立闘争)激化の状況反映だな。当時のぼくは、アメリカの反戦運動の中では、キング牧師よりもマルコムXを、ベヘイレンよりもウンデットニーやデトロイトの武装闘争に共感していました。ゲバラとは出会えませんでしたが
3つめ、増田レアさんの「とーがん」が、ケテイさんによってとてもおいしい煮物になって、おまかせセットについてきました。育ててくださったレアさんごちそうさま、本部から持ち帰り調理してくださったケテイさんおつかれさまでした。さんきゅうカフェ、まさに継続は成功の代名詞なりを実証できた1にちでありました。
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by issei_tachikawa | 2016-08-04 20:02 | さんきゅうハウス活動 | Comments(0)
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ますます「らしく」なってきています。
1つは、毎週「地場野菜」が届くことです。西砂川から丹精込めて育てられた茄子・ピーマン・ミニトマがやってきます。療食、なかしょく(仲間の食堂=イッセー語)、カフェの定食用に分けてから、店頭で売ります。なにしろ新鮮だからね、期待されている。
夕方になると、国立の子ども食堂から引き取りに来てくれる。木曜日は、レストランサラに配達もしています。今年は助成金がグーンと減ってしまったので運営資金をねん出しなければならないので、買っていただけるとありがたいです。3種の野菜は9月上旬までいただけるとのこと。
2つめは、金カフェのスタートです。これで3種のカフェが開きます。木曜は「NPO本部企画」、月曜は「えいちゃん&なりたんのワンデイシェフ」、そして金曜日は「きよし&大輔の洋食カフェ」です。パスタの味付け絶妙だぜ。
きよしは、3月に一回死にました。まじめな話です。アルコール依存で逃亡して、発見されたときは顔青白く頬こけて声がでない。3月16日から6月15日まで、都内の専門病院に入院し、徹底した酒抜き生活訓練をしました。
そして退院後1か月以上たちますが一滴も呑んでいません。先日の誕生日パーてー、「みんなはむりしてつきあわなくていいよ。」といいながら、平然とウーロン茶でした。7月のBAKA大で体験談、23名の仲間が耳を傾けてくれました。
これが、11回目(?)の入院、でも今回は今までと大違い。一人じゃない、さんきゅうの仲間がみまもっている。大輔、星さん、江川さん、おれ、そして入院をすすめてくれた女性スタッフのまなさんなどなど、やっかいものが「希望の星」に、といっても大げさではありません。
金曜カフェは、8月19日、11時スタートです。
3つめ、相変わらず常連さんに支えられています。2013年の開店以来、毎週来てくれている3人だけではなく、最近では社会福祉協議会の「幸せの女神」さんが週2回、きちんと来てくださる。酵素玄米が生活になじんだようでうれしい。あと、彼女が動けばYPOやフードバンクが広がる。ひとが笑顔で集まってきて、しっかりとつながりながらNPOが動いていく。いい感じです。
カフェ会議は、8月18日(木)3時から4時までです。参加自由ですから、みなさんおいでやす。
◎写真は、国立子ども食堂です。日曜日以外の朝7.30~9:30まで、富士見小路の「JIKKA」でやってます。
そうだ伝えたい大事な情報忘れてた。
①パルシステム連合会の地域活動委員会さんが見学に来てくださるとのこと。大歓迎です。
②パルシステム東京のコミュニテイワーク連絡会さんの次回会議が「さんきゅうカフェ」で開かれます。これまたわくわく。
③法政大学堅田ゼミからの調査が入ります。
④高校生の夏休みボランテイアさんがカフェに来ています。いいかんじでしょ。
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by issei_tachikawa | 2016-08-02 18:01 | さんきゅうハウス活動 | Comments(0)