どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa
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立川でゼロ円ショップが始まった。今日は初日、準備が間に合わないで、さんきゅうハウスからの出品は、100キンで売ってる「物干し用ハサミ」だけ(提供者はこうえつ)でしたが、どなたかにひきとられたということ。うれしいね。
たくさんの出会いがありました。11時から12時までで終了し、出展者と企画者合わせて5名のカフェにきてくださいました。なんと予期しなかった「相乗効果」発揮!
ショップの意義(狙い)はこんなところかな。
1つ、出会いと交流の場づくり、縁結びの市場、平成の楽市楽座ともいえる。
2つ、といえば、あの親子3人組を思い出す。アートでマルシェ、逆か?大道芸、一人芝居、ライブ(ロック、フォルクローレなど)もいいなー。
3つ、商品⇒貨幣⇒資本主義を超えるマルシェ連携の創造。これって、本来のコミュニズム(自治と協働、自治又は自主管理コミュニズム)の近未来かもね。
4つ、パリのサロン的なイメージもあるね。ヌベル キュルチュール ポリチック
ここでは政治・宗教(信仰)・犯罪もタブー(禁句)ではない。ただ喋り捲りはあかんで。コミニケーションは相互関係や。キャッチボールのように行こう。
面白かった話題:
・寺山修司と唐十郎、天井桟敷と状況劇場、継承者を生み出してきたかどうか?今につながるコト。
・山尾三省と「その人のおやじ」(焼物師)が始めたアトリエは岐阜県にあった。もしかすると、藤田さんやおこのぎ君らが移住したとこに近いかもという霊感が来た!
・幼稚園のころ、おやじに連れられて、昔のほら貝にいいったことがあるなんて!こんなひとたちと出会えてうれしいぜ!
★夜はてっちゃんにいっちまいました。そしたら、なんと!2万5千円のかげとら、無料提供!らっきーすぎて怖いものが・・・


# by issei_tachikawa | 2019-03-22 01:11 | 三多摩フードバンク&フードバンク立川 | Comments(0)
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1968年3月のBUND第7回大会へのかかわり方(特に2日目への)めぐり、党が分裂し、いずれのセクトの主張にも納得できず、自分で1つの派をなのるにはあまりにも未熟であったがために、70年安保改定阻止闘争には「個人」として係ることになった。
廻りがどんどん就職していくのを斜めに見ながら、問いかけが始まった。
1つ、俺(たち)はなぜベトナム反戦運動(anpoフンサイnitteiダトー)をはじめたのか
2つ、BUNDを選んだのはなぜか
3つ、社会党、共産党などの野党とBUND及び新左翼系党派の違いは何だったのか
4つ、反戦運動は何をめざしていたのか
5つ、全共闘運動と新左翼運動(大学だけでない全国バリケード、中高大・専門学校や出版企業でもが問いかけたこと)今への継続視点、あかつきこうどうたい、バリ破壊の問題点、義兄と、ゼミの教授と、クラス学習会)
6つ、ベトナム・砂川・さんのじ(一坪共有化運動)、女性・部落差別糾弾、沖縄など先住民視点欠落、農・林・水産業視点欠落、地域を語った書物は1点だけ?
『成長の限界』(ローマンクラブレポート、メドウス夫妻?がでたのは確か、1972年?
50年以上たつのに、まだ結論はだせないでいるが、総括の視点はできている。
理論・運動・組織と3つに分かれる。

まずは「理論」、思想と言っても良い。
1.マルクス、エンゲルス、レーニン、ローザ、グラムシ、毛沢東、カストロ、ゲバラなどの優れた革命家の思想に係る点。
2.ソ連、東欧、中国、キューバ、ベトナムなどの社会主義建設に係る点
3.日本の運動と組織論(ヨーロッパ、とくに南欧と比べる)
ダメなところはたくさん気づく。
1つ、自然と人間などという2項対立的認識論、存在論はどうしようもないな。先住民の立場に寄り添っていない。アイヌ、琉球、世界各国の先住民から学ぶべきだったのだ。
2つ、弁証法と史的唯物論も大きな問題を抱えていた。対立物の統一的認識というのは、自説の正当性を合理化し、意見の違いを認めないで、解決を急ぐあまりに、内ゲバの思想的根拠をも形成したのではないか。量より質の変化という視点も、幼すぎるというか、「日本思想」をないがしろにしていたことにも関係してくる。否定の否定というのにいたってはあまりにもさみしい。あまりにもとげとげしい。
3つ、空想より科学へという史観、科学的社会主義へというエンゲルスの主張も誤解だらけであった。R、オーエン、協同組合主義は、1970年代以降見直しされて来ていること、日本の生協運動において元新左翼の人々が活躍してきたことが救いになるが。

次に「運動」だが、反戦運動は非戦、または平和と民主主義の改良運動で構わなかったのだろう。ベヘーレン(今時のシールズ、新しき公共)でよかった、いやその路線を広げるべきだったのかもしれない。レーニンの『帝国主義論』の丸写し的な戦略論、岩田弘の『世界資本主義論』のコピーみたいな第6回大会の戦略綱領は、心底幼稚であった。分裂後に岩田氏いわく「私の理論がまちがいだったというのではなく、使い方を間違えたというべきなのです。」と。果たしてそういう問題か?
1967年10月8日の羽田、1968年1月の佐世保、10.21の新宿、などで新旧左翼の行動を対立的にしか作れなかったことが悔やまれる。

なにゆえに、1つの野党の中での論議と行動として、切磋琢磨できなかったのか?「違い=小異を認めて、残しながら大道につく」視点が必要であった。同じ社会民主党でもドイツ・フランス・日本では現状での影響力で違いがある。
労組依存、中央集中型で地域活動希薄、有名な政治家で地域とか近所で人気があったのは浅沼稲次郎さん。あとは?
これは、共産党があいかわらず「党名変更」に真っ向から取り組めない原因の1つにもなっているような気がする。

マルクスらが主張していたコミュニズムには、協同組合主義、サンジカリズム、アナーキズム(究極の自由追求、あらゆる権威・権力へ監視行動)、アソシアションなどの伝統的な主張が含まれていたのではないか。インディビジュアル(これ以上に分割不可能な個体性に根差す)が根底にないとなー。あと、パリコミューンは負けたが戦争認識と軍隊配置で敗けたきらいが強い。クワンジュ蜂起失敗も残念である。

あとどうしても気になること。宗教(とくにキリスト、アラー、ブッタ)がわかっていなかった。岩田さんのジョークは今でも忘れられないよ。「アヘンですよ。」といって、スリッパを頭に載せ、「これで頭痛が治るというような思い込みでしょうね。」ともおっしゃっていた。わかってないかったんですよね。人々の苦悩の歴史が。(だから十字軍の総括なのです。)そして神道の深い意味が。神仏は習合していたのです。神社仏閣というではないですか。

それから民族独立運動へのかかわりにも大きな問題がありましたね。ベトナム民族解放戦線、北ベトナム、中国、ソ連のからみにも認識不足があり、チベット問題、拉致問題への態度にもあらわれていました。北米の指導者、日本の保守陣営の指導者にも逆の認識不足が見られましたね。「将棋倒し」(マクナマラ)理論がその象徴でしょう。

これで今日は締めくくりますが、反戦運動や教育(大学だけではない!)のさなかに「おれは日本人だ。日本が好きで何が悪い。」と言えない雰囲気ありましたねー。日本思想には、大変優れて学べる点がたたあったにもかかわらず、脱亜入欧をくりかえしていた。まだまだ間に合います。前に進みながら総括継続です。
(信頼には掛値がありません。可能性は無限です。お前を信頼してる、理由?そんなんかんけーねー、うらぎってもかまへんかまへん、おかまはん)
あーこのにほんじつにいきにくいわ、ウーマンの村本に乾杯!宮台さんにもサルー!
森野君に会いたくなったニャー。新生保守への道は任侠左翼道でもある?
つぎの読書は、『わがともマキャベリ』(やはりナナミさんの作品)、そして『峠』(河井継之助秋義、作者はシバリョウ、1968年の作品)ね。



# by issei_tachikawa | 2019-03-21 06:54 | パルシステムで愛と協働のまちづくりを | Comments(0)

予感的中、ありがたい

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家族をつくることに懐疑的だった僕が、40歳になって「拾われて、」、3人の子宝を授かり、いろいろありましたが孫迄会えるとは、20代には想像だにできませんでした。
でもなんとなく感じていました。おれが100歳越えても次男進吾は50代、いつも自然体で「若い世代」とコミニケーションできることが、おれの元気を支えてくれているって。
今日、長男光太の「婚姻届」に必要事項記入して速達しました。2人目の孫にも会える。相手さんは静岡在住、医療系ファミリーです。本当にありがたいことです。
社会問題の解決責任だけではない、30年後の「社会」が見たい。人生とは修行であり、毎日がトレーニングなのであります。
子どもらと家族にありがとう言いながらの73歳です。
(生かされてあることの実感強し)

# by issei_tachikawa | 2019-03-13 22:23 | 家族、地域家族 | Comments(0)
3月11日が過ぎた。喜怒哀楽?しかし、深夜に目が覚める。「書いておきなさいよ。」と天から声が聴こえる。とりあえずメモしておく。
1つ、当日、1週間、何をしていたか。(自分、パル:鈴江くん、的屋くん、
ナカショクさん、募金活動、さんきゅう「おれたちよりも・・を」、家族)
2つ、その年の「活動」(10月南相馬へ、ブログとイッセー通信、さんきゅうハウス等)
3つ、伝えたい「物語」(ある看護師の涙と励ます婦長、ある漁協長の英断、清水君のむらで、岡山に避難していた小学生がかえる時のお土産は=水道水をペットボトルに入れて)
4つ、神戸、三宅島と比べる
5つ、脱原発・自然エネルギーへ、「無計画停電の夜(月が青い!、ほしがきれい!!
すべてがありがたいモノだと気づく)」
6つ、伊藤せいこうさんの『想像ラジオ』、売れた小出浩章さんの本(なんと平山さんの高校同級生だとか)
7つ、不用意に使う言葉の反省(天災・想定外、原子力村、安全神話、風評被害)
8つ、続けてきている活動(「脱」原発と非戦=祈り、辻説法は「コミニケーション」挑発)と関東大震災対応、必要な訓練は、発生後最初の3分間と3日間だけで良い?
9つ、社会歴史哲学的課題(カテゴライズ粉砕!)
10つ、飯館村支援みそづくり、来年は5回目?2月にやります。
書いてしまって、これは今晩だけでは無理だなと感じるので、今日を振り返るだけにしておきます。(正確には昨日ですが)
11時に「さんきゅう」へK君が来たので、靴下・タオル・丸首半袖下着を提供した。3.11についての会話は無し。2時からの「アクション」、Tさんが「今日はサンイチイチですよ。」というので、「黙とうしなくちゃね。」といったものの、9条に関する辻説法中に八王子の「自民党員」さんとの話に夢中になり忘れてしまったことを帰り道気づいたがそのまま何もせず「さんきゅう」へ。
4時からKMさんと3者面談後、2人だけでカフェで彼の「告白」を傾聴したが、これまたサンイチイチについては触れなかった。
夕方の定例ミーテイングは6人中3名しか集まらないので、その都度(毎日)傾聴(苦情処理になることが多いが、たまにMさんのボランテイ清掃とかKちゃんの冗談=親じギャグなど面白い話題も出る)に切り替えています。
というわけで、イッセーのサンイチイチは、無事終了したのでありましたが、テレビでやっていた「カフェ・で・モンク」の坊様に共鳴しました。曹洞宗だというのもうれしい限り。「解決できない問をなげざるおえない場合もあるのですよね。」という言葉が重い。5.2万人の避難者と言われていますが、自主避難者は入ってるの?住宅補助を切られている。許せない!
2566名の行方不明者、捜査活動はまだ続く。亡くなった方(1388名?)のご遺族に改めてお悔やみ申し上げます。
生かされている自分を見つめなおしています。ご精読ありがとう。

# by issei_tachikawa | 2019-03-12 03:27 | 3.11が問かけること(自然災害、原発) | Comments(0)
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久しぶりの寺子屋ですが、スタート3時だからね、おまちがいないように。話のテーマは、母親の介護で学んだこと、ですが、今回の事故の経験、ホームレス体験、仲間、ボランテイア体験、ヒューマンライブラリィの講師として、などなどにも触れると思います。参加費は500円です。会場はさんきゅうカフェ

# by issei_tachikawa | 2019-03-10 10:33 | さんきゅう寺子屋(BAKA大改め) | Comments(0)