どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa
c0219972_21073483.jpg
c0219972_21073483.jpg

意識が活性化して、心がオープンになってくる。他の「研修」(例えばソカクケン)なんかにも共通性感じますが、ヒューマンライブラリィの場合は、生活に密着して感動が持続してくれるという良い点があるね。
静岡からの帰り道、タマジョーのイナゲヤで買い物していたら、レジの並び(後列)にどっかであったことがあるような男性が、
「清水さんですか?ですよね!」という感じ。
むこうは慌てて「はあ、しみずですが、どちらさまで?」と返してくる。
「立川生協の吉村ですよ。奥さん元気ですかー?」といったら
ようやく彼にも記憶がよみがえったらしく、竹馬の友みたいに、レジのそばの台(?)でやり取りがはじまる。
聞けば、イトーヨーカ堂の通信販売の配達で、週6日もはたらいてるだと。
70才になっちまったとおっしゃるが、おれより3つ若いじゃん。まだまだこれからだねとはなしながら、じつは裏では「もうこれからじんせーおつりだよな。」ともおっしゃる。一応話はあわせて、つりつりつつり。
「うまいもんくって、のみたいもんので、気持ち良いことやって、好きなことでくってければいいよな。」と願望を述べ合う。
このレベルでは、2人とも、まったくの個人(インデイビジュアル、これ以上分割不可能の細胞)として話している。
おくさまはまだある銀行の嘱託をされているらしい。この団地ができた時、最初にできた班が、ここではなかったかなー。東大和桜が丘団地、なつかしき「いくさの場」であります。
ヒューマンライブラリィで4人の話を聞きました。まだひきづっています。
1人目の女性、息子さんが25歳時に交通事故で、高次機能障害に、鼻にチューブ生活、自分でしゃべれない、話せない、歩けない生活から、何とか味覚を取り戻し、かたことですが「お・か・あ・さ・ん」と話てくれるまでのタタカイ。お医者さんには反対されたらしいです。
毎年聞いてばっかりでしたが、来年はぼくも「本」になってみたいなーとおもいました。テーマは「いきづらさを生きがいに」

# by issei_tachikawa | 2019-01-20 21:09 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
c0219972_20151099.jpg

少し説明しておきます。ヒューマンライブラリィは日本語でいえば、人間図書館、貸し出される本(図書)はこれまでの苦労を乗り越えて前向きに生きているひとたち、借り手は市民。フツーの図書館との違いは、本と読者は、会場内の一室で30分間のコミニケーション、それが読書の代わりになる。
読者は母子だったりかっての本だったり、5人位の複数で読者おやる場合もある。
主宰は社会福祉協議会、市民活動センター。市内のNPOなどが20団体以上協力している。本になりたがらない人がおおいので、オープンまいんどに誘い掛ける。ここがなかなかむずかしい。暗い過去(と本人が思っている場合は)ひとまえで体験談話すなどは考えられない。
逆に、もう乗り越えていきているひとは、比較的前向きに本役をひきうけて、すっきりする体験もしていただける。
さんきゅうハウスからは、江川清さん、佐野靖彦さんを推薦し、YPOのメンバーが読者で盛り上げる。
今日は4名の話をきけた。それぞれとても為になる話でした。
終わってからの交流会は、明日の予定があるのでパスし、帰ってきたらサバドスの田村さんから電話、「きょうこないのー。」といわれて、今日が土曜日である事実に気がつたがあとの祭り。音楽練習わすれてしまったくらいに集中していたということかも。
みなさんおつかれさまでした。さんきゅうだより、東京新聞の記事、2月の活動予定表読者の方と本役の方にくばりましたよ。
「考えてみたら図書館なんだから主人公は読者なんだよな。」とクリエイトの男性曰く、アイシンクソーだね。あまり、カテゴライズしすぎてはつまらなくなる。地域から教育を変えていきたいですね。
★写真は、毎月第1第3火曜日、2時から3時に、さんきゅうカフェカルチャー教室風景、今回は講師:菊池びよさん(大野和夫系譜の舞踏家)の「身体発見動場・体話カフェ」、参加費は1000円+場所代(参加者7名になると場代は参加費から出せます)

# by issei_tachikawa | 2019-01-19 20:19 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
c0219972_18270099.jpg
たまたまため年だったので、濃いめのつきあいだった。ためって実は、同世代っていってるだけではなくて、いろいろてーへんなんだよ。
会社でもそーだろ。位階制の中ではどちらかが上、どちらかが下にならざる負えない。人事なんてものはわけわからんとこもあって、人事評価システムでフェアですっきり決まればよいのですが、なかなかどうして。
そうすると偶偶下になったやつは、ひがみかねないし、上は上で下がゆうこときかないとむかつく。むづかしいぜこの扱いは。教科書はないな。
えいさんは、利用者の中ではきわだっていた。いつもすっきりしたみなり、銀髪、いつみさん(がんで亡くなったキャスター)を彷彿させるくらいにサラリーマン風のいでたちで、辛口の意見を出してくれた。
「今日の飯、やわいなー。」とか「味噌汁カルキ臭いぞ。」とか。
最初はむかついたものだ。「なにぜーたくいってんだよ、ざけんな。立場かんげーろ。」なんて内心感じたことも。
でもある日の食堂、今でもおぼえてるぜ。彼が彼の方から俺に過去を語りだしたのです。仕事、娘、おくさん、ぱちんこ、などなど、失敗の経験ばかりだったよ。でもかれはその体験を笑顔でかたったあと、「そーだなー、せわんなってばっかりじゃーなー」といいだしたのです。
びっくりしたよ。さっそく月曜のカフェをやってもらった。ジャムづくりのリーダーもお願いした。ノブと俺と英さんの3人で、カフェ借りてお誕生会もやった。
サッカー見に我が家にとまったことも。雪の日だったなー、サイゼリアでまちあわせたのにこない。どうも東大和のほうにいっちまったようだ。でもまよにまよったげく、たどりついてくれた。ぶらぶらになったフライパンのとってをなおしてくれたっけな。ありがと。
カフェの店長、2年間、おつかれさまでした、ほんとうに心の奥底から感謝の気持ちがわきあがってきます。
損得度外視、さんきゅうカフェらしい、シェフにはきちんと定額の謝金を払い続けて、家賃もクリアして、これはさんきゅうの今を支えてくれた功労者ですよ。
ある日、カフェの営業中に腰が痛くなってたちあがれなくなった。4時まわってたな。ちょうど大沢市議と連絡が取れて、役所に行き、国民健保を取り戻せた。これで通院できる。
腰痛くなるわけですよ。24時間マックの生活、明るすぎるし、ヤングがうるせーし、おれなんか3日と持たないかも。ある日現場見学した時、いや-こんな環境に耐えているえいさんってすげーわと心底尊敬しました。無愛想ーに近い無口ですが辛抱強い。それでいてじょーだん(人の気持ち)もよくわかる。
今彼は、さんきゅうハウスの近所のアパートで暮らしています。週3日の守衛のバイトに年金でくらしている。
えいさん、たまにはカフェに来てくれよ、といってるんですが、これがまたてっていしてこないんです。(笑い)でも、こころのおくそこで地域家族的につながっているから大丈夫、信頼の輪にはいってるからね。毎日「安否確認」のメールが委託会社から入る。2日連続で出ない場合は、黄色信号が!
でもたいていは・・・・ですよ。(笑い)

# by issei_tachikawa | 2019-01-18 18:27 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
c0219972_14165671.jpg
74歳で眠る様に亡くなった。人気者だったね。入寮後も早起きしてカンカン集めて夕方帰って来る生活。来てるものはいつも黒のスーツ姿で変わらなかった。
不思議な人でした。帰ってきて軍手脱がずに電気釜を開けて、そのまま飯をつごうとする。よく管理人に怒られてたね。
あと、玄関の他人の靴を自分の部屋に持ち込んでしまう。なおらなかったね。しかたなしにみんな自分のくつは自分の部屋に持って上がってたみたいでした。
キッチンの生肉(調理前)とか生の魚もそのまま食べてしまうこともとか!!!
あるとき隣人とのトラブルで、「家出」した。探しても見つからない。どうしようか捜査願出すかという日に帰ってきた。
聞けば「砂川の秋山建設の飯場ではたらいていた。」とおっしゃるのですが、それらしき会社は砂川にはない。あの1週間どこでどんな生活されていたんじゃろか?これは謎のままです。
あと、「自分は鹿児島県会議員なので」とか「衆議院議員だから」大沢さん(当時は市議)よりえらいんだともおっしゃっていた。皆笑って聞いてくれた。
「クリーニング屋もしていた。」とおっしゃっていた。
亡くなって火葬する日、成田さんのお経が斎場で響いている。生保の場合は、市の負担であの世に送れるのだが、坊さんまでは呼べない。成田さんはお寺の息子なので、お経ももっていて、こういうときにはありがたい。あと、御通夜と告別式的なしきたりも無視して、いきなり火葬されてしまいます。
焼かれている間中控室で仲間があつまり、故人の思い出話をしていた。
さて、骨壺にお迎えする儀式、驚いたことに骨に交じって、縦2cm横4cmくらいの金網が残っている。ということは、彼の頭蓋骨の中には、それが入っていたのか!
これも謎の話であります。
さわちゃん、変だったけれど、みんなにあいされていたね。おつかれさま、あの世であいたいね。おれもある意味「変さ値」高いもんで、気が合うんだよ。

# by issei_tachikawa | 2019-01-18 14:17 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
c0219972_09020211.jpg
かんじい。カンジイは78歳で亡くなった。役所にチャリで行く途中、緑町公園で倒れていたところを通行人が見つけて、警察通じて連絡が入った。
死因は公表されなかったが、ぼくのみたてでは、あのときの階段からの転落事故で、3階から降りる途中足をすべらし、2階の踊り場で腰を激しく打ったことが、心臓に響いたのかなと思う。
耳が遠くて、ほとんどスムースな会話ができない状態が何年間も続いていたが、路上の頃に「お世話になった」という人が葬儀にたくさん訪れた。人望厚い人だったな。
今でも昨日の事のように思いだすことがある。ある年のお雑煮会に娘さんがお孫さんつれてやってきたのだ!ご対面、何年ぶりだったのだろうか?聞けなかった。
どうも彼女もあるところで生保申請したら、検索されてさんきゅうハウスにいることがわかり、家族がなんどか会いにこられた。
お子さん7人だったらしい。葬儀のときに末の息子さんに会えた。おやじにそっくりで、歌舞伎役者にしたくなるくらい良い男だった。
命あるあいだに家族再会できたことが、せめてもの救いだったと思いたい。
転落事故防止のためには、階段の昇降時は手すりをもちながらと徹底したい。定例のミーティングで何度でも再確認しよう。
それにしてもなんでこのひとが、とおもうことが度々ある。でも聞きづらい。だれだって過去のきずあとに触れられたくないという感情と、いっそのこと信頼できるやつだったら洗いざらい話して気持ちすっきりしてもよいかなと感じるときと、両方ありだとおもうが、そこんとこは相手本位でいこうと決めています。
特別のひとがホームレスに追い込まれるわけではないんだね、10年かけてようやくわかり始めています。
現役が市内の河原に4名、市外だが近くの河原に2名、なんだかわけわからん人が1名、駅周辺に2名います。小泉内閣当時は、河原だけで50名以上、公園入れたら70名以上の方が路上生活されていた。
比べたら70名⇒9名ですから、おれたちの取り組みの成果もあったかもしれませんが、地域での「貧困」現状が、見えづらくなっただけで、問題解決ではないと感じます。引き続き、みなさまからの応援、お願いしますね。何に一番困ってるかと言えば、やはり資金不足です。すでに、NPO法人としての力量超えて行政がやるべきこともやっているのが現状なのです。
★空き缶あつめてキロ80円とかで回収業者に売り、朝から晩まで働いて2000円とかで暮らす人もいる。アホノミクスの裏側。「かんじい」ことEさんは、そのなけなしの2000円も自分だけで使わないで仲間におごったりしていたらしい。

# by issei_tachikawa | 2019-01-18 09:02 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)