どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

出会いで充実のサンディ


第28回砂川秋祭りに向かう
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第28回砂川秋祭りに向かう途中、猫返し神社近くの信号で、山下洋輔さん(ピアニスト)と会う。なんとチャリこいでいる。背も少し曲がってる感じで、ややふけたかなー。お互いにというより俺が急いでたんで、声かけなかった。さいちぇん
砂川祭りでは、30年ぶりくらいで半田君に会う!なんと、俺が行かない間に出店者常連になっていた。鹿島からくるという。この人と話すと、50年分の時間がスリップする。1966年行動羽全学連大会から1968年B第7回大会、その後の「分裂」と・・・・について。おれはまだ真剣に考えている。
秋祭りは参加者も増えて大盛況、ラストは「さっちゃん」のソロで盛り上げたが、半田君がOさんとつなげてくれて、これまた20年ぶりくらいの話。NWで那覇に行ったんだと、そこに定住している元・・・がいるとのこと。いいなー。
祭り終わって帰り道、行に山下さんと会った信号で、イッセー通信読者と出会う。「山本さんよかったねー。」といわれたので、ありがとうございましたとお礼をいう。「まだ27なんで、5期やれよ。そんでもまだ57才、楽しみで死ねねーよ。」という話。
そして我が家についたら、近所の◎さんが、年末ライブの日程確認に来てくれた。「連れがあるかも」とのこと。◎さんは、下北生まれの下北育ちで、彫金し、おれより1つ上だが、よく話す。通信読者でもあり、おれのことセンセーとちゃかす。
このように、今日の日曜日は出会いの宝庫です。
夜は福助ライブなので、さらにプラスアルファを満喫しました。じゅんこさん、あっちゃん、今日もありがとう!「力をぬけー!」(エミリイ)
祭りでの9条改憲阻止3000万人署名、たぶん60筆以上集まったのではないか。さすがだ!
 

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# by issei_tachikawa | 2018-11-11 16:36 | 足元から社会を変える(政治・社会革命) | Comments(0)
さんきゅう関係者が逝くと、いろいろ論議が生まれることがある。
先日、長老の澤井さんが、89歳で他界された際の、土壇場の対応の話。「とまとがたべたい。」とおっしゃったらしい。
近所でもあり、かれともっとも親身になって付き合ってきた大沢さんが、最後までトマトは出さなかったという話を聞いて、ある人は「そんなー、死ぬ間際なんやから、好きなもん食べさせてあげればえんちゃう。」といった。
あなただったらどうしますか?
どちらが人間的?ってかんがえてしまうと、すぐその場でのたいおうにいきづまるかもね。他の人に聞いてみたら、やはり最後ぐらいは本人が望むものを食べさせてあげたいという人が多い様でした。みな、介護職なんだね。
こまったこまった。あれからずーとかんがえていますが、今日の判断ではぼくも大沢さんの判断と同じです。
本人が望むといっても、腎臓の状態など詳しく知っている人が見た医学的判断を尊重するべきだと思います。
おそらく、あのとき、何かを口に入れてしまったら、目を閉じる間際は苦しみのたうち回る危険があった。
それは避けたい、避けるべきだと大沢さんは判断したのだと思います。
空海の成仏、いや空海でなくとも、お坊様が亡くなる際に、断食⇒入眠という経路があります。感謝の気持ちにつつまれて、気が遠のいてゆく。
ご臨終の間際は僧のような気分で・・・

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# by issei_tachikawa | 2018-11-06 18:04 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
さんきゅうハウスの理事やスタッフは20名くらいだと思いますが、大沢、吉田、イッセーの意見の違いはいかんともしがたいようです。
こんなに違うもんどうしが、よーなかよーやっとるなーと自画自賛。
どれくらい違うのか具体例をだします。
1つ、先日、堀内さんが山梨に引越しで退寮される際に、敷金をお返ししました。ところが彼は、「世話んなるばっかりじゃー申し訳ないので、これは運営資金の足しにしてください。」とおっしゃって、大沢さんに差し出したら、彼は受け取らずに、堀内さんにお返ししたそうです。
これだけではないのです。今までも地元の農家から頂いた野菜を(フードバンクのではありませんよ)地元のコミカフェに売りに行く際に、「ただでもらったのに換金してもいいのですか?」と聞かれて、なんか不思議な感じがしたことがなんどかありました。
生協の「活動家」(多くは女性)からも、「もうけていいんですか?」と聞かれたことがなんどもあります。
問題は2つあります。
1つは、資金提供者の「こころのバランスシート」の話。堀内さんはとても誠実な方で、正直を絵に描いた様な人ですから、まじめに「世話になるばっかりでは気が済まない。」と感じておられたのだと察します。
2つは、さんきゅうハウスというNPO経営の話。小さな収益にこだわるのは、大切なことではないかと思われます。寄付してくださるのは、寄付者ご自身も年金生活でかつかつの生活が多い。それをさらに削って寄付してくださる。ありがたいことです。いただいたものを素直に受け取って、事業資金にしていく視点が必要だと思うのです。さらにこの話をぜひ「さんきゅうだより」12月号に載せたかったなー。
このことを、昨日、別のスタッフにお話ししましたら、予想通り大沢さんと同じ意見でした。「いま、ちいきで、誰が困ってるのか」を真剣に考えてるんだね。
それはそれでよくわかりますが、心のバランスシート、事業運営、広報など多角的な視点から個別案件に対応していただけたらなーと願います。
(今日の中間的結論的な評価)
要は、当事者への寄り添い度の違いかなと。堀内さんはとても外見上は控えめな方だったので、さんきゅうハウスへの入寮おすすめが遅れました。
カンジイの部屋が空いたのでそこに入りましたが、正直ずーとここにいてほしかった。でも、お姉さまが出て来られて、どうしてもということなので従いました。
病院紹介状を取りに行ったとき、無料でしたので、この旨伝えて数日後、ハウスの玄関でたったまま僕の来るのを待っておられて、いきなり右手をつかまれて、気持ちですからと渡されました。
ぼくは身銭切ることも多いので、金がない日はそういう金が救いになります。感謝していただきました。
もしかすると、こういう状況でもお金を受け取らないスタッフは、それなりにかけいに・・が?いやいやこれは、断言できませんが。
人助けは自己救済かな・・・
「あなたの一言で人は傷つき
あなたの一言で人が元気になる。」(比叡山にて)

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# by issei_tachikawa | 2018-11-06 12:59 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)
山本芳郎、命日は2012年11月7日、87歳、死因は肺がんでした。ブログを探したら今まで4回、彼について書いています。2012年12月25日、49日、2013年11月1日、3回忌、2016年8月6日、そして2018年11月4日、7回忌でした。亡くなる前にも2010年
10月1日に書いています。
今まで書けなかったこと、どうしようか悩みます。少しだけ書かせてもらいます。
1つは、彼は僕だけにしか話してないことがありそうです。小さい頃のおやじとおふくろの話し声に痛く感じた体験。兄さんとのやりとり。住宅ローンの組み方の事などなど。今思えば信頼されていたのかもしれません。「ずーっと結婚に反対されていた。」というのは僕の思い込みだったのかもしれません。
2つめは、囲碁の話。近所の碁会所に毎日のように通っていた。ぼくはそこにいったことがありませんが、「ガス室のようだ。」といっていました。副流煙の害を察するに、本人はたばこ吸いませんでしたから、ぼくが碁の相手できていたら、と考えると残念であり、すまないなーと感じます。
3つめは、主義者的な強さの事です。保谷のおじちゃん(哲郎兄)にも通じる強さを感じさせる人でした。27年間のお付き合いで、外食したことが1度もありませんでした。残業で遅くなっても途中で食べないで家で食べる。不思議でしたから理由を聞いたら答えは、「家族の未来のため」というもの。いやー、ことばを失います。こつこつとためてきた「資金」で、どんだけ救われたか。改めて、芳郎さんありがとう!
1985年の暮れだったとおもいますが、西国の以前の家にお邪魔した際に、だめだしされました。結婚はどうしても認められないとおっしゃる。
理由は、父と母で違いました。父は、「生涯稼得賃金シミュレーション」に基づいて反対しました。母(瑠璃子さん)の反対理由は、「いやだからいやなんです。」というもの。どちらもかえってそれからの労働と生活の励みになりました。
小学校4年くらいからレールから脱線して紆余曲折、波乱万丈で生きてきた僕にとっては、反対されればされるほどに、やる気が高まっていったのです。
ということは、立川生協の奇跡的拡大を支えてくれていた陰の功労者は、結婚に反対してくれた両親だったといえなくもない、ですね。
勿論、年食って子宝に恵まれたことも幸運でした。病気しないで、事故には会っても死なないで、家族5人ここまでこれたのも芳郎さんあればこそです。
墓の前で坊様がおっしゃっていました。「相続というと財産のことばかりが取り上げられますが、一番大切なソウゾクは、個人をしのびながら集まられるみなさんのこころなのです。」と。マジにそう思いますね。
来年はいくつか嬉しいことが起きそうです。吉村、吉田、山本、草野、伊藤、佐藤、高橋、草間、菊間、宗、奥山、鈴木、親戚ってありがたいものです。芳郎さんありがとう、瑠璃子さんありがとう長生きしてください。アラハンお祝い準備せねば。
【生涯稼得賃金シミュレーション】
その時芳郎さんは、日経新聞の切り抜きを僕に見せながら、「あなたがこれから20年どんなに懸命に働いても、普通のサラリーマン40年間に稼ぎためる金額の、半分又は60~70%くらいしか残せないでしょう。ということはうちの娘に保障できる幸せもその程度でしかないと言えます。」とおっしゃるのです。
反論できませんでした。できませんよ、無理です。僕だって、父親の立場で、40過ぎようとしているのに無一文のホームレス状態の男に、むすめをあずけられませんから(大笑い)
結果的に彼の予想数値はみごとに外れました。ぼくは少し配達しただけで、常務になり所得は15万円(全職員一律)でしたが、3年で5億円の目標も超過達成し、1987年か88年には生協新聞で「前年比伸び率NO.1」になりました。
仕事、面白かったな。好き放題やらせてもらった。道なき道を歩ませてくれた、生協の神様に、サルー!

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# by issei_tachikawa | 2018-11-06 10:03 | 家族、地域家族 | Comments(0)
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毎週2時から3時、立川駅北口デッキでやってます。50年間の思い出に浸ったり、近所の友人にはげまされたり、小金井のあるバス停で1人で90万筆も集めて他界された男性のことも思い出します。
今日も面白かった。
Hさんのところに若者が寄ってきて議論になる。何話してたんだろ?今はわかりませんが、2人の話は3時になっても終わらない。いずれにしても1人の仲間が増えた実感を持って帰ってきました。
署名は10筆以上集まったよ。5月で1350万筆だったんだから、今は?だけれど1500万くらいいってるんじゃろか?
酒臭いおっちゃんとも我慢して念入りのコミニケーションで来ました。彼は「うるせー!」っていいながら通り過ぎようとしたので、マイクを置いて、手招きして論議しました。
最初はぼくのことを、共産党、中国・北朝鮮の手先、馬かなどとののしっていましたが、ぼくは冷静に頼みました。
「事実に基づいて、冷静に話し合いましょう。そして共通項を見つけましょう。」と。
続けて彼に質問しました。
1つ、憲法9条言えますか?
かれは言えませんでした。なのに、「9条があるから中国になめられる。」ということはいえる。こういう人多いね。だめだねこれじゃー。
だから9条の中身を教えて差し上げました。
2つめの質問、ベトナム戦争で9条に「自衛隊」が明記されていたら、どうなったと思いますか?答えは返ってきませんでした。ベトナム戦争って何だったのかも知らないで、9条論議できないでしょう。平和の意味もつかめないはずです。
3つめ、日米合同委員会、地位協定、オスプレイの横田使用についてどう思うか?
答えは、日本の国土防衛に必要だと言います。このての主張は多いですね。米軍は日本を守ってくれていると思い込んでいる。この見方に対しては、今の自衛隊の動きを説明して、米軍のパシリをやらされているが、戦闘行為の前面にはたてないでいることの是非を問いました。
いろいろ話しましたが、30分ほど話していたらあれだけ殺気立っていた彼の目に、人のやさしさがにじみ出てきました。なんなんでしょうね?ふしぎ。
最後は彼から握手を求めてきて、ぼくもそれに快く応じて別れました。「共通項」感じてくれたのなら嬉しいなー。

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# by issei_tachikawa | 2018-10-29 18:37 | 足元から社会を変える(政治・社会革命) | Comments(0)