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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

賀川豊彦と大宅壮一

二人の共通点:正義感、貧困・差別・戦争などを放置する世の中への憤激(怒り⇒激昂⇒憤怒)、青年期の或る期間、共産主義(マルクス主義、唯物論)を正しいと思い込んで活動したことがある、キリスト教の洗礼を受けている。その後二人とも共産主義とは決別している。
二人の相違点:贖罪愛(神の愛、アガペー)への信仰を維持質しつづけたどうか(賀川=yes、救霊団、イエス団。大宅=no)。社会変革の継続=生涯の活動・運動状況、実績・・・賀川=協同組合運動、労働運動、農協活動、共栄火災、中之郷信用組合、世界連邦、1930年代の平和活動、戦後・・・日本社会党での政治活動。大宅は、ジャーナリストとして文筆活動、講演活動、死後⇒大宅文庫がオープンした。
【興味深いつながり、人間の2側面】
 人間は、徹底して自分の世界に沈潜して何かを追求し極めたいという欲望(小説、研究、創造、表現など)と仲間、同士を求めて人と結合し社会的存在(諸関係の総体)として了解しあいたいという欲望を併せ持っているのではないか。天才と呼ばれる人の中には、この2側面のどちらかが異様に強くその人の実績を作っている人がいる。賀川の場合は社会性が、大宅の場合には、個体性が際立っている。
 一見すると両者は対立物のようだが、実は相互に愛し合いひきつけあっているようだ。どちらに転ぶかは単に個人的な選択力に規定されるだけではなく、周りとの関係性、義理のしがらみ、男女交友関係、利害関係など様々な要因がかかわっている。それから案外ばかにならないのが、身体=健康上の理由に基づく天啓を受けているかどうかもその人の人生を大きく左右することになる。賀川の場合は、肺結核による切望的な状況下でのおつげ(天啓)があったといわれる。これを真面目に受け止めて生涯それを信じて贖罪愛に献身した賀川の人生は果たしてその後の日本人」にとっていかなる意義と意味を提起しているのか。
  他方で大宅には明らかに個体的に完結する諧謔精神を感じる。彼とて人間性に対する信頼を失ったわけではないのだろうが、賀川のように首尾一貫した贖罪愛信仰は持ち得なかった。目の前の周りの人間たちの日々の現実性(現象)の中に無限の好奇心の対象を発見してしまう自分を肯定せざるおえなくなるのだ。
  したがって問題は賀川か大宅か、という二者択一ではなくて、どちらも面白いというあれもこれもの多元的な付き合い方で学んで生きたいと思う。2人のことを話しているといつの間にか自分のことを語るようになっている。これはなんなんだ???人間っておもしろい。今日は、13:30から有楽町の商工会館で「賀川豊彦とともに明日の日本と協同組合を考える」講演会&パネルディスカッションがある。前田さん、斉藤さんとオレの3人でいきます。閉会は16:30、その後も楽しみだな。
●昨日の帰りの車中で「賀川豊彦の協同組合主義が今日の日本社会に問いかけるもの」(加山久夫=賀川豊彦記念松沢資料館館長、明治学院大学名誉教授)を読んだが、「協同組合」と「主義」って言う言葉が俺の頭の中で溶け合わなかったように思う。23年前、オレ(たち)は、なぜ立川生協にかかわったのか、その後おれは何度もやめたくなったしやめようとしたのにここまで続けた理由は何だったのか(継続力の要因、ポジ、ネガ)
セカンドステージって何か、セカンドリーグ(支援室、地域リーグ、地域NW)は何をやりたいなか・何をしようとしているのか、2007年から3年間かかわってきてオレのアウトプット、アウトカムは何なのだろうか。
  1つ確実にいいきれること。オレは変わった。もう一度10代の気持ちに帰って社会・パル・自分を考えられるようになった。入協前というか地域生協をやっていた頃の経験が今ようやく活かせるようになった。言い換えると何かに向かって準備が整いつつある。これもセカンドリーグで仕事をしている=させていただいている=自分でつくってきたおかげかもしれない。ようやくこれからの3年計画もできあがりつつあるし、1日1日をしっかり楽しんでいこう。さーて今日もいくぜ!
  
by issei_tachikawa | 2009-11-28 09:51 | パルシステムで愛と協働のまちづくりを | Comments(0)