人気ブログランキング |

どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

モンドラゴン協同組合グループ「成功」の理由



・成功を継続と置き換えて振り返ります。
・モンドラゴンの協同組合で最初にできたのは、1956年電気関係の生産組合、たしかウルゴールだったと思う。1978年に読んだ『モンドラゴンの経済』では、洗濯機ではスペイン国内シェアトップと書いてある。これには驚いた。当時の常識では生産協同組合が市場競争で株式会社などの営利企業に勝つことは理論的に不可能であり、欧米の経済史でも拡大的に存続している生産協同組合はフランス、イタリアなどの一部に見られる例外的成功例にすぎないと言われていた。イギリスの労働運動研究者ウェブ夫妻の著書でその理由が詳細に述べられており、誰もがその分析評価を疑わなかった。
・ぼくは、1970年代何人かの研究者に混ぜてもらって、賀川とは異なる問題意識で戦争と環境破壊と収奪の資本主義でも1党独裁の上からの社会主義でもない「第3の道」を探していた。ちょうど当時は世界的に企業倒産の嵐が吹き荒れていて、日本でも大阪港地区の金属関係の企業、カメラのペトリ、靴のパラマウントなどの倒産が世の注目を集めていた。
・倒産企業の経営者が逃亡すると、技術者、営業、経理など他に移れる人は転職も可能だが、その道何十年の高齢職人労働者は転職したくてもできないことが多い。工場、機械を使って生産を続けるタタカイを、当時はこれを自主管理、自主生産と呼んでいた。僕は研究者の卵として、倒産した金属関係の会社の労働組合から頼まれて、再建のお手本とできる事例を探していた。生産組合研究会の仲間から紹介された『モンドラゴンの経済』に希望を見出した。
・そこでは、定説を覆すかのような勢いで生産組合が成長していたのである。スペイン語・バスク語は読めなかったので英語から翻訳して、論文にまとめると同時に、大阪で倒産企業の再建を模索する労働組合のみなさんにお話しする機会をつくっていただいた。それから30年以上たった今でもモンドラゴンは健在である。その成功理由は何か。以下本で読んだ事実をもとにぼくの想像も入れて8つの仮説的答をつくりました。
その1.リーダーの存在
モンドラゴンの賀川豊彦は、ホセ・マリア・アリスメンディアリエータ(以下アリスメンディと省略する)、彼もクリスティアン(牧師)1930年代の反ナチ報道で逮捕され死刑判決を受けたが運良く助命された。モンドラゴンに帰って生産組合を基盤とするゆるやかな社会変革を説いた。賀川のように熱心に現場を回って生産組合設立を呼びかけたのであろう。
その2.人材育成
教会が人材育成の学校になっただけでなく、大学も協同組合で組織された。学生時代から半学半労、卒業生の多くが協同組合の職員になるのだから、帰属意識も本物に近いのかもしれない。地域に無数にあるクラブのような場がオフジェーテーの場になっていることも考えられる。
その3.販路開拓
生産組合の生産物を同じグループの生協、他の生産組合、信用組合、農協などが買うだけでなく、積極的に国内、国外に販路を拡大できたことが大きい。アリスメンディもその人望で営業の後押しをしたのかもしれない。株式会社ではない営業の戦略、チームなどがあるのだろうか。
その4.伝統産業
バスクには冶金産業の伝統がある。資源も技術も職人も豊富なので、ウルゴールなどの生産組合はもてる経営資源を有効に使いこなして市場競争に勝って行ったのであろう。
その5.資金形成
CLP(労働人民金庫)の存在が大きい。組合設立資金の貸付、運転資金の提供、拡大でも大きな資金形成力を発揮してきたに違いない。地域からも多額の寄付が集まるのはバスクの地域力といえる。バスク人同士という連帯意識が協同組合の発展を支えていたわけだ。
その6.経営力、マネジメント
中央会の経営指導が適切だったこともあり、倒産が少ない。1980年に調べたときには、1956年から24年間で倒産した組合は1件だった。労働争議が長期化したこともあったが、理論的には賃金労働と資本の関係が止揚されて、労働者=経営者となっているはずだが、成長過程で非組合員(出資しない)労働者も増えてくるはず。最上級管理者と現場勤務者や一般事務者の賃金格差も当初の3:1以上に開いてきたという。この点はまだまだ課題として残されているのかもしれない。市場競争を勝ち抜いていくしか生き残れない非常の世界でいきるのだから或る程度は調整と妥協をしていくしかないのかもしれない。
その7.非暴力、政治的中立
バスクといえばエタ(ETA=バスクの祖国と自由、銃撃戦も辞さないゲリラ組織)、そこからの介入、誘いも多々あったはずだが、アリスメンディはやはり賀川と同様にガンとして「第3の道」を譲らず、彼らの路線とは明白に一線画して進んできた。これが中央政府とうまく交渉する要件になったといえる。
その8.中央政府との巧みな交渉
キリスト者のリーダーたちはマルクス主義者のリーダーには欠落している何か重要な交渉力を持っていたのかもしれない。賀川も1930年代は近衛内閣の密使としてアメリカに派遣されて日米開戦を止めようと努力したり、全米を回って「友愛の経済学」を説いて回ったらしい。アリスメンディと賀川の比較研究も面白そうである。
その9.これは重要な成功要因だが、生産協同組合、社会的協同組合が法律的に認められていること。日本ではワーカーズ」といっても同様の法律がないので不利である。12月20日に町田で「協同労働の協同組合」法制化に向けた市民シンポジウムが企画されていますが、さらにロビイングを強化する必要があります。。

いやはや、毎日読んでいただいて恐縮です。おつかれさま今日はこのへんで。亀田興起が勝ったようですね。おれは内藤を応援してました。まっどうでも良いことですけどね。 非暴力、平和、環境、エネルギー、地域くらしたすけあい、農と食、セカンドリーグでがんばろう! 明日天気になーれ・・・おやすみなさい。
by issei_tachikawa | 2009-11-29 19:17 | パルシステムで愛と協働のまちづくりを | Comments(0)