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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

パルシステム前史 その2 1986年頃の地域協働・連携

・ある晩残業していたら、近所の佐竹さんが大なべにカレーを作って持ってきてくれた。炊きたての飯とカレーに地域というより近所のたすけあい、まさに砂川8丁目生協を実感!組織率超たかっ!
・ぼくは、定時職員遠藤さんの長男、シュン君のお古のGnsをはいて仕事をしていた。職場には自転車で5分、まさに職住接近。
・砂川8丁目のみなさんには本当にお世話になりました。これからできるだけの恩返しをしたいです。冷凍・冷蔵品の仕分けも本部センターの倉庫で、トラック修理は理事志村さんのご主人の勤める会社でお願いしました。連合会出向時の送別会でいただいた寄書は今でも大切にもっています。
・立川市職員労働組合(自治労)とはとても仲良しだった。児童館、学童保育所コースをいっしょにつくった。須田塾(シビル)の加藤さんがリーダーの砂川祭り今年で26回目(?)
・大沢さん(障害者の福祉作業所・いろりんの創設者、現立川市議)から紙の分別処理を教わった。いろりんのメンバーが回収してくれたガラス瓶は、山村硝子でリサイクルされていた。当時はゴミ箱に何でも捨てたり、使えなくなった保冷箱のかけらを村山団地の廃棄物BOXに捨てていた。分別やリサイクルの言葉もあまり聞かなかった。そのあと大沢さんは市議会議員に4期連続当選して今もBIG ISSUE(野宿者)支援などで協働している。
・今のリサイクルセンター建設のために市長の呼びかけで「ごみ対策市民委員会」が創られ、立川生協役員として自分が係った。センターは西砂町で稼動しているし、公的施設のトレペを市内で回収した紙でリサイクルするという企画もこの会で実現したのであった。
・1970年代に首都圏各地で設立されたわれわれの会員生協の多くは、地域から生まれたのである。
・1947年 生協法制定当時の生協の基盤も団地引揚者のネットワーク(赤羽団地)、自治会・町内会などの地域共同性にあった。
・ですから地域セカンドリーグとセカンドリーグ支援室(中間支援組織)は、生協事業・生協活動の初心(原点)に帰って地域の諸団体・諸個人と連携協働することをめざしているのではないか、或る意味NPOの走りが生協だったといえると思います。
by issei_tachikawa | 2010-06-23 16:15 | パルシステムで愛と協働のまちづくりを | Comments(0)