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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

欠乏と感謝の関係(読む、食べる、排出する、交流する)

欠乏と感謝の関係(読む、食べる、排出する、交流する)_c0219972_1343556.jpg今まで何の不自由も無く動いていた身体・精神の一部が稼動停止してしまうとしたら、コミニケーション不可能は相当こたえる障がいだと思う。
・変な例えですが、自分で自由に本や活字が読めているときは、自分がこれほどまでに活字に飢えるとは想像だにしなかった。
・初めて活字飢餓になったのは、23日間の留置・拘置生活だった。独房ではなかったので同居者とはコミニケーションができたが、字は差し入れ禁止でまったく読めなかった。そのときどうしたか。看守が座っている左後ろの壁に貼ってある留置所内規を何度も何度も読み返すのである。終いに暗記してしまうくらい読んでもまだ終わりが無い。外からの情報がまったく入らなくなった状態だと、それらが自分の生活にどんだけ必要不可欠なのかを実感する。
・別の事例:50歳前後で外鼠系ヘルニア(右下腹部の脱腸)のため1週間入院した。手術は成功したものの直ぐには排便、排尿、食事ができない。これはつらいよ。ペニスの先端からチューブを挿入して排尿する。それから部分麻酔が聞いている間は、頭の中で右足のひざを立てたまま寝ている。つまり、実際には右足も左足もまっすぐ伸びて天井見ながら寝ている状態なのに、意識の上では右足が立てひざしたままでとても辛いのだ。このときに身体障害について介助している相手の立場にすこしは立てる可能性をつかんだのかもしれない。しばらくして自分で排便・排尿できた時の快感はいわくいいがたしだった。
・食べるについては、三宅島帰島支援体験、5日間のハンガーストライキ体験で話したので今日は割愛。
・交流する=人とコミュニケーションする喜びを実感するための手法として、シャットアウト体験の共生というのも成立すると思う。僕のような豚箱入りは無理だとしても、なにか手はあると思う。昔、ちばコープの高橋理事長は、言争いばかりしている女性理事2名をあるホテルに数日間同宿させて、徹底的に2人だけのコミニケーションを求めた。そしたら2人は見事に同志になってしまったという。何が話されたのかがわからないが、人と人はお互いに相手の事実・真実(本意)を知らないままに仮想敵になりあってしまうリスクを背負っている。生産性(事業)プレッシャーで働いているので、多数の人間が我慢しあって目的・目標を追っている職場では必然的に発生する事実なのだ。
・そこがポイントだ。職場で生じるイレギュラー・トラブル・人間関係のイザコザを「ありがとう」の関係にしていくためのマネジメントはあると思う。数値管理だけでは、本当のマネジメントは達成し得ないのだ。
・「ありがとう」と実感込めて言い合える関係性をつくるための前提要件は、欠乏・飢餓状態の意識的な創出だと思う。離れたところから客観的に見るのも1つの対策かもしれない。旅をして家に帰ってきたときに初めて家族のありがたみがわかる。夏の間、パルのおいしいりんごが食えないのでそろそろ飢えてきている。八蜂園、ゴールド農園、雄勝、木村さんなどのことを考えながら飢えています。待っています。秋が来るのを。
・求めよ
by issei_tachikawa | 2010-08-18 10:02 | 気・血・道 | Comments(0)