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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

早朝牛乳物語

c0219972_12163421.jpg・1986年4月~12月頃の話、一部1987~89年にひっかる話もあり。
・当時の牛乳は、たしか85度殺菌だった、よな。パックはミザラシ(無漂白なので茶色っぽい)横長長方形で封切った直後の1っパイ目、牛乳がこぼれやすい。ぴゅーっと前に吹きこぼれるのだ。ふたをサービスでつけることで何とか一時のクレームは対応できた。
・1986年(87年か?)秋に今の72度15秒殺菌になったのか、75度⇒72度という進化の過程をたどったのか良く覚えていない。こういうことは商務担当でないぼくは苦手です。
営業中に競合するのはビン牛乳(生活クラブ)、62度の30分低温殺菌牛乳、ロングライフミルク(超高温、数秒で殺菌)=LL牛乳。LLは「デットミルク」などといって批判しやすかった。決め付け的な要素もあるので問題ありだが。「たんぱく質の熱変性が健康に良くない」という理屈も使った。ビンについては、「そうですねビンの方がおいしいですね。リユースすれば環境にもいいし。」といって、醤油、ソース、マヨネーズなどビンへのこだわりについて共感を求めた。しかしこれはやや苦しい営業トークだったと思う。「びんでは配達するのに重すぎる」というのもパックを選ぶ理由だったと思う。これも商務でなかったぼくは産地に行っていないのであまり責任のもてる発言ではない。
・昨日の朝出勤途中で・・・・牛乳の宅配バイクの荷台にむき出しで積まれた牛乳を見ながら1986年のこんせん牛乳配達風景を思い出した。午前2時に生協の冷凍庫を開けて積み込み。大きな保冷ケースに大きな蓄冷剤を入れて運ぶ。立川北部、武蔵村山、東大和、昭島、日野、八王子までいって帰るのが7:30くらい。
・多摩川の土手で用を足したことも。時間が無いので失礼。朝飯は伊奈平の立ち食いそばで。
戻ったら直ぐに昼間の配達積み込み作業に。睡眠時間4時間くらいかな。真っ暗闇の組合員宅の庭でトラックが穴に落ちたことも。ごみ捨てようにほったという。何も連絡なし。これでは落ちてもしょうがない。泣きながら怒鳴りながら生協まで走って別のトラックに積み替えて難をまぬがれた。大笑いかも。海老名見学ツアーのバスが、そのお宅の前を通りすぎる際にバックロしてあげたが、みなさんおぼえていないよな。いまの人間関係では考えられないことだろうね。個人情報バクロで糾弾されるだろう。だから沈黙してストレス預金が増える。
・72度殺菌が出る前の数ヶ月間に、市中をアナウンスして回った、トラックにスピーカーつけて。これも今ではご法度行為になる。まるで365日選挙戦の雰囲気。違法行為なのに誰も止めてくれない。いや、仮にとめてもとまらなかっただろう。それくらい新発売のこんせん牛乳には思い入れが強くあった。これで戸別訪問し飲んでいただきながら1人1人獲得していたのですから。
・じつは僕は長らく牛乳をのまなかった。(新谷弘実説)でも最近は1日コップ1杯位は3時から5時くらいの間にいただいています。ぱっぱりこんせん君はうまい!子供やネコはこの味をよくおぼえている。たまに市販の牛乳をやると顔をそむけることも。
・早朝牛乳を配達しながらいろんなことを考えた。いつまでこんなこと続けるのかなー、とも考えた。交差点で信号待ちのときに睡魔におそわれて寝てしまって甲州街道を渋滞させたことも。でもやめないでよかったな。空に浮かんだ三日月、junkoの笑顔、多摩川日野橋から見る朝焼けのモザイク、忘れらんないぜ。みんなありがとう!
◎こんせん牛乳の産地には毎年タオルを送ります。牛の乳を搾って拭くときに役立つそうです。30年近く職員やっていてまだこんせん牛乳の故郷にいったことが無い。いつか機会をつくって行きたいものです。
by issei_tachikawa | 2010-09-07 06:35 | パルシステムで愛と協働のまちづくりを | Comments(0)