どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

襟裳(えりも)の春は「世界一の春」になった

c0219972_1433553.jpg北海道襟裳岬、徳川末期から開拓民が入植し「豊饒の海」といわれていたが、木を切りすぎたために、森林は砂漠化し、強風にあおられた砂が海底に堆積して、赤潮が発生し昆布漁は壊滅状態だった。年間270日、10m以上の風が吹き荒れ、海底に堆積した砂のせいで、昆布が取れなくなってしまったのだ。
50家族が漁業で生計をたてていた。生きるか死ぬか、引越すかとどまるか死活をかけたタタカイが続いていた。主食は芋、かぼちゃ。鳥も住まない、たまにカラスが飛んだり、野狐がうろうろするような痩せた土地。中島みゆきのバック(地上の星)が心に染み入る。
若い漁師達は、何度も寄り会い所に集まって行政、議員、北大などからも人を呼んで話し合った。飯田常雄(故人、当時26歳)は、首うなだれている皆に向かって(自分自身に向かって)言い切った。「この海とふるさとをぜったいに蘇らせる。」と。そして1970年夏、浜辺に黒松を植え始めたのだ。しかし1週間くらいで松は枯れ始めた。理由は、塩水含んだ地下水。そこで排水設備をつくったが、今度は強風で種がすっ飛ばされる。当時を振り返って北大林学部教授の東氏は語る。「今の技術では無理と思ってました。ただごとではない。人間業ではない。今までの研究史でも事例が無い。」と。
この問題を解決したのが、ゴダだった。浜辺に打ち寄せられる屑の海藻を見ていて飯田は思いついた。「ゴダで種を守れないだろうか」と。やってみたら成功。そのうえ村の長老の言葉にもみなが勇気付けられた。長老いわく、「いつの日か流氷が押し寄せて、海底の砂を洗い流してくれる。」と。
飯田常雄の息子、英雄は故郷と家業を捨てるつもりで高校進学、しかし1975年12月、過労で常雄が倒れ母親から家に呼び戻された。父が倒れた、ほって置いたらかあちゃんもと考えると選択の余地はなかった。長男の責任。昼は土木工事のバイト、夜に少しばかりの漁をして食いつないでいたある日、「海が少し青くなってきていた」という。「病み上がりのおやじがツルハシ振るってる姿みて胸がきしんだよ。」と英雄はいう。
そして1984年の冬、夜が明けると巨大流氷が海を覆いつくしていた!氷の塊が海底を掃除してくれたので、翌年は大きな昆布がたくさん取れた。
1992年6月、砂漠のほとんど全てが森に還った。50年間闘い続けた人のドラマ、日本にもすごい人がいる。思いを言い出す、言い切る、あきらめないで続ける、言いだしっぺでリーダーを家庭が支えてくれた。「とうちゃん、あんたはほんとうに立派だ。」とおくさんの雅子さんは語る。「何度も逃げたいと思った。でもそのたびに踏みとどまらせてくれたのが父ちゃんだった。」ともいう。こころ温まる同志愛、いいなー。
(注)韓国、ソウルのチョンゲチョン(清渓川)復活の話も「 」付きで評価しますが、日本にも襟裳だけでなく、野付漁協と北海道ぎょれんとパルシステムで連携協働した植樹活動、玉川上水自然生態系の復活工事の話など良い取り組みは少なからずあります。あきらめない、あわてないでこつこつ動きましょう。神田川の自然生態系も復活されることを夢に見ています。
◎以上は、安藤忠男さん(建築家)がコメンテーターとして登場したNHKアーカイブス「2001年のプロジェクトXアゲイン」の感想です。ステッチ(家の近所のコミカフェ)の設計は、安藤さんの流れを組む千葉さんが担当されました。これも何かの縁でしょうか。
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by issei_tachikawa | 2010-11-19 14:33 | 農、林、水産 | Comments(0)