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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

賀川豊彦は忘れ去られようとしていた?

c0219972_22133276.jpg事実はいかがなものなんでしょうか?実は昨日友人から、「吉村さんのブログで紹介されてたので読んでみましたがすごい人ですね。でも何した人なのか知らなかった。生協学習会でも勉強したこと無いですよ。いまは『死線を越えて』読んでます。」と言われて、「生協25年のぼくでも賀川の本読んだのはつい最近ですよ。」といったら彼は驚いてました。この50年間くらいをざーっと振り返っても献身100周年記念事業以前に賀川豊彦についてマスコミで熱心に報道された記憶は無く、主要な政治団体や協同組合の業界でもきちんと振り返りをされた様子はありませんよね。『友愛の経済学』などの本も長らく出版されなかった。
・なぜなのでしょうか?「あったかいお金」を回すしくみについて取り組みはじめてから、考え続けています。まだ答えはみつかりませんが、現状以下のように考えています。
・一般論ではなくて、生協業界、左右の政治党派、宗教(クリステイアン)団体とネットワーク、研究者(専門・・の)世界、庶民の感覚と記憶に照らし合わせてみます。
(生協業界)
1940年代に東京都北区赤羽の団地で旗揚げしたリーダーは共産党の人達でした。その後の生協連(日本生活協同組合連合会)の経営中枢は共産党の方がしっかりと握ってこられたのであろうと思われます。ただし生協が大規模店舗展開でスーパーマーケット化するのを1980年代の「赤旗」(共産党の機関紙)は批判しました。「商業主義に迎合する都民生協(今のコープ東京の母体)執行部を批判する」という論説も掲載され、生協の理念を貫く代替として東都生協が作られたという経緯も考慮するなら、賀川が無視されてもやむ終えない事情は理解できます。賀川は搾取と貧困の資本主義にだけでなく、共産主義の官僚的独裁的計画経済にも反対していましたから。
(社会党)
賀川は党員でありながら天皇制は擁護というより熱烈な天皇支持者だったと聞きます。(再確認必要)社会党の中で賀川派というのは無いですよね。彼の提唱する「第三の道」は、神が敷かれた道でありながら実に多様な考え方を認め合える愛と協働(協同組合⇒世界連邦)社会の建設に向かっていたはずです。この考え方に従いますと、1970年代の自主管理運動拡大とか1989年以降の冷戦(ベルリンの壁)崩壊の状況化で、賀川見直しのもっと大きなうねりができてもよかったかなと思うのですが???
(クリステイアン)
彼はプロテスタント、少数派なのですかね?でも我が家にくる「エホバの証人」(ものみの塔)の方に『友愛の経済学』を見せて、シンポジウムに誘ってみたら、びっくりたまげていましたね。まったく知らない様子でした。同じ少数派どうしなのにね。カトリックの方は賀川をドウ見ているのですかね。黙殺、無視、無知???ぼくにはよくわかりません。この点を調べないと今日の問への答えは出し切れないと思います。
(庶民の感覚と記憶)
賀川督明さんが「神戸の大震災で壊れた生協の店にやってきたおじさんから『賀川は来てないのか』と聞かれて驚きました。」といってました。リアリイ?!大震災は1995年1月17日、5時50分、彼の没年はたしか1960年代ですよ。なのに彼(高齢の男性)の記憶世界では、被災地に直行して大活躍する賀川の姿が生きているのかもしれません。人々の記憶の中で連綿といき続ける賀川豊彦、永久永続社会革命の現像としての賀川ネットワーク、これはかなり価値ある考察対象のようです。目指される「神の国」what!?多様性の尊重、違いを認め合って大同(大道)につく。
by issei_tachikawa | 2011-03-05 07:55 | パルシステムで愛と協働のまちづくりを | Comments(0)