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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

5感と社会革命の可能性 その3「聴覚」(音、聴く、表す)

5感と社会革命の可能性 その3「聴覚」(音、聴く、表す)_c0219972_820682.jpg音に関する記憶、どこまで辿れますか?イッセーの場合は、4歳から5歳くらいかな?
一日の中では、夜とか明け方が多い。夜烏の鳴く声、「どこかで人が死んだのかもしれないよ。」とおふくろが言っていた。池の方からウシガエル(食用がえる、学名?)の鳴く声、まさに牛の鳴き声にそっくり。裏山からはふくろう、みみずくの声。トタン屋根に雨が当たる音が「ポツリ」とくると、だんだん雨脚が速くなるのが聞こえる。遠くの路面電車の走る音や踏切の信号、電車の警笛も聞こえる。夜は周囲が静かになるので右脳神経が集中するのでよく覚えているのだろう。

フォルクローレ(アンデス音楽)を演奏するようになって約25年、盲目叉は目の不自由な〈弱視?)奏者の音が澄み切っていることに驚く。男女2名のグループで、男性がギター、女性が笛(ケーナなど)を吹く。2007年の3月31日、神奈川公会堂の合同研修支援コンサートでぼくら(ワイナマユ)の前に演奏してくれた「オリャンタイ」にしびれた。目が見えないことの可能性、逆に目明きの奏者の限界ってあるのかも。音楽で伝わる何か、メッセージを媒介する感受性とか想像力の違いだろうか?

目明きの人でも、目をつむりながら吹く人がいる。ぼくも目を閉じてしまうこともある。「顔暗いよ」などと冗談で言われてハッっとすることもある。ケーナって実は悲しい楽器、不幸の歴史を累積させているのかもしれない。
人が人と繋がりながら、違いを残しつつ大道について世の中を変えて行く過程の辛さと充実感を思い出す。「逃げるな!進んで地獄、下がっても地獄だ。だったら前に出ろ。命とられるわけじゃなし。」と自分を励ます。
リャキルナが脳裏を流れる。「地獄への道は人々の善意によって、さらに悪意によっても敷き詰められている。」

酒、タバコ、セックス(6S中の3S)を断つと、聴覚が鋭くなる。リヅムに自然に乗りやすくなるし、音のハーモニーの快感を感じやすくなり、鼓膜に響く音や自分が繰り出す音に芯が入るように感じる。禁欲とエクスタシーの関係かな?これも自己コントロールできるようになると面白い。

「良いものは良い」、ジャンルではない。オリジナルでもコピーでもそうだとおもう。音楽は世界だし、言葉が通じなくても人人をつなぐ力を発揮する。言葉を失うような場面で、音に助けられることがある。9.11は近所に来ている浪江町(福島県)のみなさんと、ステッチで交流する。ピアノ、バクパイプ、ケーナ、サンポーニャ、ギター、チャランゴ、他にも何かでてきそう。人を励ます、支援する形をとりながら、実は自分たちも励まされていることを実感するのだろう。人は社会、人は愛と協働で地域を拓く。命が続く限り表現活動の出会いを楽しもう。
by issei_tachikawa | 2011-07-27 07:05 | 気・血・道 | Comments(0)