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by issei_tachikawa

福島第1原発>計画的避難指定から半年 飯舘村の農家の今

福島第1原発>計画的避難指定から半年 飯舘村の農家の今_c0219972_10554941.jpg毎日新聞 10月23日(日)2時1分配信です。インターネットから転載しました。

「東京電力福島第1原発事故で福島県飯舘村が計画的避難区域に指定されて22日でちょうど半年になった。村は約2年での段階的な帰村を目指すが、やむなく新天地で生活を再建しようと試みる人も少なくない。同村伊丹沢で農業をしていた長谷川芳博さん(42)もその一人だ。ビニールハウスを福島市内の畑に移し、キュウリの栽培を再開した。「故郷は心の中にあればいい」。長谷川さんは、生まれ育った村にはもう戻れないかもしれないと考え始めている。

 「畑の表土を削るって、減った分の土はどっから持ってくんだ」。10月20日、村の除染や復興を巡り、福島市内で開かれた住民懇談会で、村側が示した除染計画に長谷川さんはかみついた。村は約2年で住宅地を、約5年で農地を除染し、帰村する計画を立てている。だが、長谷川さんによると「表層を削ればすぐに粘土層が露出し、農業には適さない土地になる」という。その日、質問への明確な答えはなかった

 専業農家に生まれたが、高校を出た後に上京し建設業に就いた。無我夢中で働き、建設現場で親方を任されるまでになった。充実感の一方でたまに目にする郊外の畑に懐かしさを覚えた。そんな時、父親が体調を崩し、31歳で村へ戻った。

 大量に肥料を入れ農薬をまく農業に疑問を覚えた。「ビニールハウスを一つ俺に任せてくれ」。近所の農家から笑われるのもお構いなしに、肥料と農薬を思い切って減らした。「野菜を無理に育てるんじゃなく、野菜が持っている育つ力を助ける。それが本当の農業じゃないのか」。数年の試行錯誤を経て納得のできるキュウリが実った。大手のコンビニにも卸すようになり、村おこしのリーダーにも選ばれた。

 原発事故に襲われたのは、家族経営を脱却し、法人化を考えていたときだった。1ケース(5キロ)2500円のキュウリは風評被害で200円まで暴落。ビニールハウスの重油代にも事欠くようになり、避難を決めた。「若い農業の担い手を育てる」という夢も、無人の村に置いてきた。

 福島市内で畑を借り、1カ月がかりで4棟のビニールハウスを移し、8月の末に収穫にこぎ着けた。「補償なんか当てになんねえ。自立せねば」。そんな思いが自分を駆り立てた。今は妻と娘2人で畑に近いアパートに身を寄せる。両親も近所に避難した。東電や政府に言いたいことは山ほどある。村の計画にも疑問を感じる。「村に戻るのは年に2回、墓参りの時だけになるだろう」。長谷川さんは村に愛着を感じつつ、この地に根を張ろうかと思い始めている。【川崎桂吾】」

◎今稼動中の原発は、10基、止まっているのも含めて何処に災害・テロ・事故が発生するのかは、誰も(神でさえ)予想できない。人間が組織的に永遠にノーミスで機械を動かせる可能性はゼロ。運転中及び停止中の原発はだんだん老朽化し、揺れやゆがみに温度の激変にもろくなっている。(脆性疲労)一刻も早く次の事故が発生しないうちに全ての原発を停止することが、人類存続の前提条件である。こんなことは過激でもなんでもない。当たり前のことを粛々と実行すること、これが脱原発に繋がると信じています。(イッセー)
by issei_tachikawa | 2011-10-23 10:54 | 災害を天恵として | Comments(0)