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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

山中伸弥さんノーベル賞受賞について 雑感

山中伸弥さんノーベル賞受賞について 雑感_c0219972_13353226.jpgiPS細胞というネーミングは、アイパッドをイメージしてつけられた?らしい。彼って、冗談のわかる人なんですね、メイビー(たぶん)

それにしても発見から受賞までの期間が異様に早いのは、それだけ期待が大きいということなのでしょうね。この細胞が、患者本人の皮膚から採取した細胞に4つの因子(山中因子、4つの遺伝子)を添加してできあがり、人体の他の部分に移植可能になれば、多くの難病患者の方が救われるでしょう。

好奇心をゆすぶられた点は、数万個あるヒトやラットの遺伝子から、約100個の有力遺伝子を選び出し、さらにそれらから4つの最優先遺伝子を選び出すやり方でした。あるヒトは「研究室にはたくさん人がいるんだから、作業分担したんじゃないの?」といってましたが、実際には、高橋利行さんが発見したらしい。その彼のやり方は、「100の遺伝子から1つずつを取り除いて固まり具合を確かめる」というやりかたなんだと。

これで親近感が沸いてきます。最初に100番目を取り除いて確かめる。固まらなかったら、100番目はあってもなくても良い(この世に存在価値が無いという意味ではない!)遺伝子だということになる。次次と同じ作業をしていけば、4つの遺伝子の発見は時間の問題となる。

だから一番面白いのは、周囲から袋叩きの状況下で、予算も大して無い環境に負けないで、実験を継続できた動力というか要因は何だったのかということになります。仮説ですが、目の前に困っている患者を見つめながら彼が何を考えていたのか、ある種のゲーム感覚もあったのではないか、家族に支えられていたなどなどたくさんの答えが出てきます。

新しいことをやるときに、「そんなことやって何になるの?」と自他から聞かれて、即答できないときに何が自分(たち)の行動を支えるのか?個配の仕組みをつくる組織合意ができる前の1987年から1990年ころの立川生協でのあわせ配送のことなども思い出します。1990年に出た『精神と物質・・・分子生物学はどこまで命の謎を解けるのか』(利根川進1978年度ノーベル生理学・医学賞受賞と立花隆=当時文藝春秋編集長との対談、)を読み返してみました。第7章に「遺伝子組み換え4つのモデル」が示されている。それと今回の4つの遺伝子とは何か縁があるのだろうか?

いろんな疑問が解けないままですが、「触らぬ神に祟り無し」とならないように祈ります。原子力発電のようになってはもともこもありません。それと、かれの研究成果はとても評価されて当然ですが、日本人の誇りにしてしまう気にはなれないなー。大事なのは一般論より個別現実論でしょう。表彰されたのは日本とか日本人一般に属する山中さんではなくて、「じゃまなか」といわれながらも頑張ってきた彼なのですから。

後すごいなと思うのは、彼のおやじさんですね。息子は中小企業の企業経営には向いていないと判断して「別の道を歩むように」提言されたとか。親子の間柄もノーベル賞だね。(あっと、ノーベル賞そのもののへの疑問とか批判を感じてる方にはすみませんが、とりあえず中立的な立場から感想を書きましたので悪しからず)
by issei_tachikawa | 2012-10-10 10:39 | 生物学と医学 | Comments(0)