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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

被害者感覚・意識と加害者感覚・意識(見られると見る)続き

どう考えても加害者というかもっとも重い責任を負うべきだと多数の人々が判断する場合は、多勢に無勢で少数の責任者が公衆の面前でつるし上げられたりする事態が生ずることがある。
かっての中国文化大革命がそうだったし、ウーマンリブの闘志たちに追及されていた男の医者もそうだったかもしれない。
事故前の東京電力の経営責任者勝俣氏、「安全コールの」山下俊一教授などはその際たる存在だと思う。
こういう状況下では、中途半端に自己責任をといかけると、責任の所在がぼやけてしまうので注意が必要。

あと、中国人とか中国というおおきな存在を敵に回すような、がきの喧嘩センスの週刊誌的な報道も要注意である。冷静に胸に手をあてて歴史を振り返ってみればよい。尖閣列島どころか日本列島全体の侵略価値は今の中国にとってほとんどない。鉱物資源ほとんどなしではなー。

公害の発生責任をどこにもっていけばよいのだろうか?急速な経済成長で得するのは誰なのか?中国の民衆(としかいいようがない)もあるいみ被害者なのではないか?そして日本人がPM2.5すって体壊した場合も被害者、同士で手を取り合うことは可能だと思う。

その障壁になるような情報化は×××だと思う。逆に市民同士の連携協働を深めてくれるような情報提供がいままさに必要とされているのだと思う。

お互いの現場を見せ合うこと。コミニケーションの促進(中国語、韓国語、タガログ語、そのたアジアの言葉で英語コンプレックスを克服していくこと)が必要だとも思う。できることから積み上げて国家権力とのタタカイを息長く楽しんでいきましょうか。
by issei_tachikawa | 2013-03-07 11:17 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)