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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

小学生男子の遊び今昔物語

小学生男子の遊び今昔物語_c0219972_21304934.jpg思い出深いのは「Sケン」または「エス型」、校庭に棒枯れ枝などでS字を書く。グループを2つに分ける。敵と味方、叉は赤組と白組。Sの中に入れば陣地なので、両足付いても良いが、一歩外に出たら島以外ではケンケン(片足跳び)で動かなくてはならない。手を自由に使って相手を倒したら勝ち。一定時間に何人の相手を倒すか、逆に言えば何人が倒されないで生き残るかが勝敗を分ける。たくさん残った組が勝ち。

次は「ベーゴマ」、朝早く通学途中の友達の家の庭でやる。たるの上に皮のシートを張って、リングにする。駒は紐でまわす。紐の先端に2つの結び目を作るのが特徴。1対1の勝負、平たいのと背の高いおしりがとんがったのとがあって、後者はガチャに使う。平たいのを上からぶつけて、リング外にはじき出すのだ。リングアウトしたり、リング内でさかさまにひっくりかえったら負け。買ったほうのベーゴマが増えていく。

あと、「かくれんぼ」、「かんけり」、「零歩一歩」なんかもやったな。

途中で禁止になったのが馬跳び。馬になるグループは4~5人組、その馬に後ろから飛び乗ってつぶすほうも同数。じゃんけんで勝ったほうが飛び乗るほうになる。これがもりあがりすぎて、どこかで誰かが骨折ったりしたんだと思う。あるときから禁止されてしまった。

ちゃんばらもよくやったなー。刀は木を切って自分で作る。ということは小刀を各自がもっていたということ。これを今の小学校で生徒に自由化(というか義務化)して成功した校長がいた。元柏小学校校長、とおるちゃんこと宇都宮透氏、例の豚の校長、真壁繁樹さんの同志だった。

今考えればやばいこともやっていたな。誰かをお宮の急斜面から突き落とすのだ。やられる子は決まっていたと思う。少なくともおれはやられたことがない。なぜか?ひどい話だが当時は「いじめ」という言葉すらなかったし、やられても親や教師や警察が出てくることはなかった。やられ役の子供はどうなったのだろうか?ぼくはいじめっ子よりも数倍強い大人になったのではないかと思いたい。(証明できませんがそう信じたい。希望の原理、ヘーゲル『精神現象学』主と奴)

集団で取っ組み合いの喧嘩も遊びのうちだった。必ずグループにはガキ大将(ダイショウ)がいて、グループの動きを取り仕切っていた。ニコタマ小4年3組Fくん、他方でそのリーダーシップをよしとしない少数派(4人組)もいて、イッセーはこちら側だった。実践対決になると4人組が勝ってしまった。学年同士の乱闘も、正々堂々校舎の廊下でやっていた。5年のときに6年生からはねごしで床に叩き付けられたりした。

今の子供たちにこういう遊びは許されないのでしょう。それをどう見るかは大きな問題ですね。いい悪いではなくて、当時の男の子の遊びを通じて、やられてもやり返す強い心身が鍛えられたという側面もあると思います。あと殴り合いの喧嘩も、痛みを共有できる、手心くわえるこつをつかむという利点もあったような気がします。「男女7歳にして席をおなじゅうせず」ではありましたが。

女性グループに入ってゴムとびしただけで、男グループから村八分になったやつもいたなー(笑い)
◎画像は、イッセーにケーナと出会わせてくれた多田さんの音具たち。永久に大切にしたい子供性とはなにか?
by issei_tachikawa | 2013-07-25 20:09 | 共育、子育ち、おやじの背中 | Comments(0)