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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

漢字と先人の知恵から学ぶ

漢字と先人の知恵から学ぶ_c0219972_20404220.jpg夏になるとおやじ(俊治、としはる)とおふくろ(文、ふみ)のことをリアルに思い出す。おやじは1891(明治24)年6月5日生まれ、1975(昭和50)年84歳で亡くなった。母も7年後に84歳で他界した。

毎朝ゴショウネンするときにはありがとうを誰に言いいたいのかを考える。今日はおやじとおふくろがメインだった。理由は今の健康の基礎を強い教育力でつくってくれたからだ。

おやじは15歳から盆栽やさんの丁稚奉公を初めて84歳で亡くなるまで盆栽やを続けていた。しつけにうるさくてかなわなかった。彼自身があと数ヶ月の命と診断されたこともあり、自分の二の鉄踏ませたくないというわが子への思い遣りだったのだと思う。西勝造さんの道場にも兄姉つれて通っていたという。僕はまだ生まれていなかった。

母の起床は5:00、父は6:00、3食食べるのは常識どおりだったが、炒め物、肉類、油で揚げたものはほとんどなしで、和食が主体、ご飯と味噌汁、つけものがメインだった。母は牛乳を飲めなかったし、ケーキの匂いが気持ち悪いといっていた。なんとヘルシーではないか。1700年代に貝原益軒さんが推奨されたような模範的和食である。

夕食終了時刻が早いのも特徴だった。6:00から6:30までには夕食を済ませる。9:00には寝てしまうのだが、それまで何も飲み食いしてはいけない。これは小さい頃からのしつけだったので、全く辛くなかった。布団に入る頃にはおなかがすいてきゅーっとなるのだが、これが自然に受け入れられていた。これも理にかなっている。

飲み物はお茶だけだったように思う。夏は麦茶だったかな。それと果物・野菜をふんだんに食わしてもらったことも今思えばありがたい。夏の井戸水で冷えたスイカやきゅうりを生でかじるのはとても楽しみなイベントだった。ただしおやじは毎晩おちょうし1本を実に旨そうに飲んでいた。それと毎日タスイサン(漢方薬)も。タバコは60代まで吸っていたともう。

話変るが、がんの漢字は「癌」、これを分解してみると、癌の根本原因のひとつが明らかになる。「品が山になり病=癌となる」、山の峰3峰が同じ高さということに何か深い意味がありそうだ。主食副食みな同量⇒食いすぎということかも。 昔の人はまさに「野生の思考」なのだ。科学、医学の知識がなくても「癌」の原因の1つに、食いすぎがあることを警告されている。「食細くして命ながらえ」(木村次郎衛門)

おやじとおふくろに感謝しながら、今朝は昆布湯だけで済まし、これから昼食です。午後は「さんきゅうハウス」の会議、生保切り下げ再審査請求、夏祭り(8/25)、カフェオープン(9/21)など議題はもりだくさん。
by issei_tachikawa | 2013-08-04 11:54 | 気・血・道、医・食・農 | Comments(0)