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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

トイレとは空想と思考と出会いの場である

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これは何十年も前の新宿3丁目公衆便所の落書きです。空想、思考というのはあまりにもごろがあいすぎているので見事なだじゃれやなーと深く感じいったので今でも時々思い出します。

空想、思考は誰もが連想できると思いますが、何で出会いなのという疑問への答えは別です。

相手は本や雑誌ではないか。我が家の1階トイレの蔵書は、脱原発関係2冊、反TPP関係2冊、水の文化43号、若者ホームレス白書、『2050年の世界』、「ほうせんか・ぱん」(大島弓子)、『算数パズル』、それに『歎異抄』

そのつど少しだけ読む。気に入った本は、何度も繰り返し読んでいると覚えてしまうことがある。特に今読んでいる『歎異抄』は、京都言葉訳と原文が掲載されているところが面白い。『歎異抄』はこれで3冊目だが、とくに今のが面白い。

というのは、この京都訳は京都・関西異邦人がかいているコトにも関係する。考えてみれば親鸞は20年も比叡山で修行した後に、地域で布教活動始めたのだが、法然と同じく流刑にあう。親鸞は越後(今の新潟県上越市)、法然は土佐(高知県番田)に流される。(史実はどうなのかは不明の点が残るが・・)

これでつぶされなかったところがすごいなー。西本願寺、東本願寺、法然院、京都にいた頃はよく行ったものだ。築地の本願寺では青空市場でお世話になったり(安穏朝市)、埼玉のセカンドリーグでも本願寺との連携が続いている。コレも何かの縁なのかもしれない。

親鸞は僕の大好きな僧侶の一人なのですが、とても愛嬌のある死生観の持ち主だったらしい。
「自分が死んだら墓は要らないから、鴨川に流しておきなさい。魚の餌になりますから。」と。

これはすてきな割り切り方ですね。いつかだんちゃんらと観た「マージャン放浪記」のラストシーンをおもいだすなー。麻雀中に心臓発作で事切れた出目徳は、多摩川にリヤカーで運ばれて、土手からごろごろと捨てられてしまうのです。このシーンでぼくらは大笑いしたのですが、場内はシーンと静まり返っておりました、とさ。

死生観の違い?というより冗談が通じるかどうかの違いかも。・・的楽天主義

『歎異抄』で面白いところは、3(悪人往生優先)、5(実の父母の供養だけを優先しない)、9(煩悩の意義)、12(念仏宗教=易行=他力本願の個性)、15(三十二相、八十随形好)の章だな。

ぼくは毎日1回はトイレで親鸞聖人と対話しています。
by issei_tachikawa | 2013-08-21 12:28 | 宗教、科学 | Comments(0)