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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

いま、なぜ、あえて「さんきゅうハウス」なのか?

いま、なぜ、あえて「さんきゅうハウス」なのか?_c0219972_8285963.jpg自分の胸に問いかけてみました。なんと原点は、小学校4年ごろの自分にあるようです。

「周囲との違和感」を感じ始めていましたが、それを表現する有効な手段が分からないままに、一般社会から脱落し始めて、気がついてみたら野球も学生運動も挫折し、「おれはくずなのか?いやそうじゃないはずだ。」の葛藤に苦しんでいました。20代ずーっと2人だけで暮らしました。

30才の時に大学院に入りなおして研究者人生を歩み始めたつもりが、ヅカのたたかいにほれ込んで、やりなおしの社会運動に入り、ようやく40才で立川自由労組・立川生協のみなさんと出会い、人助けのつもりで「市民社会」に入り込みました。

トシニイに誘われて山谷の年越し炊き出し、枕木を燃やしながらカレーを食うのですが、煙いこと限り無し。なにしろそのままもやすのですからくすぶっていて煙が目に沁みる。そのなかで、誰かが叫びました。「みんな、幸せになろうぜ!」って。一条さゆり雨の葬儀も感動的でした。誰かが週刊誌にコメントしてました。「さゆりの涙雨や。」と。

この頃の最下層労働者と今の社会的な弱者(派遣労働者、ニート、ホームレス、生活保護受給者、受給したくても遠慮したり断られたりで命が危ない生活困窮者、相方に先立たれて孤立生活の高齢者など)の意識状況と回りの目には明らかな違いがあります。日本強欲資本主義の歴史的な問題

今は逆にストリートや駅や公共機関で無差別の殺人に走ってしまう例もある。そのまえに自ら命を断ってしまう人もいる。年間3万人以上、これは昔の日本には発生しない現象でした。なぜだろうか?今だってなんとかなるのではないか?なんとかしたいものだ。こう考えています。

1960から70年代も生活の厳しい人はいましたが、孤立していた人はズーっと少なかったのではないかと思います。(推測ですがね)

さんきゅうハウス3年やってきて確かに問題や山積みですが、みんながたまれる場所が維持されていることは本当に幸せなんあだナーと思います。今がふんばりどころ、クラシックな表現ですが正念場かなと感じます。

いろんな提案(コンセプト、つくりかた)が飛び交う。コレでいいのだと思う。とことん出し合えばよい。そのさいに1つ重要なことは、「主体は誰なんですか?」の話、地域に開かれたカフェ(たまりば)と生活困窮者自立支援のコンセプトはすぐには融合できない。こんなことは誰もが感じているはず。

でも本当に人間らしい生き方、地域の愛と協同、わかちあい助け合いの社会づくりっていうのはとても辛抱強い取り組みによって実現してくるのではないかナーと思います。寄付、助成金、ボタンテイアスッタッフ、利用してくれる皆さんのおかげです。ありがとうを感じながら辛抱し楽しむ心ではいっせー負けません。だから「いま、あえて」さんきゅうハウスなのかなー。

10月20日(日)10:00から夕方まで、さんきゅうカフェ本格オープンします。当面は木曜日のみに集中して営業します。最寄の駅はJR南武線、西国立、羽衣3丁目14番13号、来れる人はいっせーに電話かメールください。080-5192-1463、メールは a064kys@ac.auone-net.jp

◎今日の言葉「一寸先はひかり」(トロンこと荒川博さんの格言)
by issei_tachikawa | 2013-10-09 08:27 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)