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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

追悼:小栗上野介順正殿(続き)

追悼:小栗上野介順正殿(続き)_c0219972_211336.jpg1.戦う気がない彼がなぜ殺されたのだろうか?それだけの実力者だったということか。
2.誰がやったのか?だれがやらせたのか?
3.仮に小栗の徹底抗戦路線が採用されていたら、戊辰戦争の行方はどうなっていただろうか?
4.明治維新って何だったのだろうか?
5.ぼくは、なぜこれほどまでに小栗に関心をもっているのか?

1.彼が生きているとやばいと感じた人間がいたに違いない。それだけの実力者だったということ。幕府の官僚(勘定奉行はいまだと財務大臣、経済産業省?外国奉行、これは外務大臣、軍艦や歩兵奉行などを経験、69回も罷免・辞任・再任くりかえしたあげく70回目で完全離職)として、実績はいまだに光輝いている。明治政府に加わっていたら?
・77名率いて目付け役でアメリカにわたったのが1860年、乗った船はポーハタン号、ついでに世界一周して帰国した。勝海舟の咸臨丸は、これに付属するもので、勝は船酔いで、ほとんどまともに働けなかったらしい。(史実)
・薩長がイギリスになびいたのに対して、幕府は南北戦争勃発後はフランスとの連携を重視していた。歩兵部隊の近代化にもナポレオン軍の将校が活躍したという。鉄砲もフランス製。横須賀に製鉄所建設を提案したのも小栗だという。勝は「船なんて外国から買えばよい。」と主張。
・そのほか、郵便局、ガス灯、最初の株式会社、フランス語学校を提案していた。
2.東部方面部隊の隊長は、岩倉具視の長男17歳、次男も加わっていた。血気盛んだったのだろうか?烏川で小栗を惨殺した死刑執行者はわかっているが、指示した人間はわからない。証拠は残さないだろう。くやしいがこれ以上はいまのところ謎である。疑問と悔しさを抱えながら、生きていこう。
3.西軍は壊滅的な打撃をこうむっていたかもしれない。ただし、軍事力学的な話である。鳥羽伏見の戦闘がはじまったとき、幕府軍先頭の鉄砲隊は弾つめていなかったという歴史家もおる。トップの慶喜は「二心様」といわれたくらい、将軍失格者だった。小栗が気の毒でならない。駿河台の屋敷には彼の霊がいまだに出没しても不思議でないくらいだ。江戸開城直前で、幕府海軍の艦砲射撃と会津、庄内、新選組、彰義隊、見回り組、榎本武揚&大鳥佳介などの部隊の突撃が実行されていたら、戊辰戦争も、違う展開を見せたかもしれない。(大村益次郎=村田蔵六、NHKドラマにもなった)証言)
4.明治維新とは、長州のクーデターだったのかもしれない。そのごのイギリスグラバー商会とのつながり、産業革命と戦争(アジア侵略)政策で、江戸の文化、江戸の自然、江戸のリサイクルの仕組みは徐々に破壊されていく。
アイヌなどの日本列島先住民をだまして征服した大和んちゅーの徳川政権が、長州、西軍のクーデターで敗れたということだと思う。
今の安倍政権のアメリカ追随は、この時期に始まった。ベースにあるのは、吉田松陰の考え?(朝鮮、満州は日本の領土だと考えていた?!)
5.血が騒いだのかもしれません。イッセーのひじいさまは、慶喜さんの足軽大将(60人ぶち)だったときいています。おやこさんだい江戸っ子です。でも、それだけで小栗にひかれたのではなさそうです。
運の悪い、生き方が下手なひとって、まさにおれじしんなんだよな。小栗上野は、福澤諭吉さんもおっしゃるように「やせ我慢の美学」を持った人だった?みやちゃん、だいすけ、金曜カフェスタート、おめでとう!来週もやろうぜ!
過去を調べることは、未来への道を照射することだとおもう。歴史は作られる。もちろん勝者によって。しかし、大事なのは敗者の声も聞くこと、勝ち負けでなくて、政治や社会活動において何が大事な視点なのか?命の循環、他者の笑顔、喜捨、与え続けること、浄化への道、26日、『ホピの予言』上映会です。前売り900円でチケット販売中。
by issei_tachikawa | 2016-08-19 22:03 | 日本史:明治維新の過ちなど | Comments(0)