どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

佐藤さん、かんじい、つえじい、さわちゃん、ありがとう

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この間、呼びあうかのように50から70代の入寮者の方が他界されました。失礼かもしれませんが、路上での孤独死ではなくて、さんきゅうの屋根の下で、仲間に見送られて旅立たれたのは、せめてもの慰みだったかなーと感じます。
佐藤さんは車いすで路上生活されていました。大沢さんと3人で、高松町の店でカレー食いながら、津軽三味線のライブハウス(弘前駅前)のことを懐かしそうに話されていました。頑固さでは誰もかなわない。病院に行くのがいやだったりすると、交差点で赤信号の間に、逃げたりしたことも。
お酒が好きだったなー。享年55歳
お正月のお雑煮会3年前?カンジイに、娘さんがお孫さん連れてこられたのには驚きました。親子再会なんて、ぼくは他に目撃してません。空前絶後的体験でした。
聞けば、娘さんもあるところで生活保護申請したところ、役所の検索で、カンジイの居所がわかったということ。それから何度か奥さまも宮崎から会いに来られました。葬儀には末(7男)息子さんもこられました。かんじいもそうでしたが、歌舞伎役者でも通用するほどのいけめんでした。享年77歳
つえじいは、いつもこごとをいっていた。「といれが汚いのは・・・・のせいだ。ゆるせん。」とか。おれのこと、「おい、おっさん」とよぶのでした。いちいち逆らうとめんどーなので、したてにでているとますます増長し、手に負えないこともしばしばでしたが、酒のせいでもありましたね。さんきゅうりんごジャムが好きでした。パンにつけておいしそうに食べてたなー。さんきゅううどんもすきだった。脳梗塞で倒れたのは今年のNPO総会の夕方だったね。口が悪い分、感じたことをそのまま言ってしまうという、嘘つけないひとでぼくは好きだったなー。ある意味おれも似た者同士。享年72歳
さわちゃんは、生活保護受給してからも毎朝早起きして、夜まで自転車で空き缶回収されていました。我が家はさんきゅうハウスからチャリで30~40分、なだらかな坂道を毎日往復するのは並みの体力では無理、亡くなる1週間前までは元気にチャリンコこいでいたんだから、実に立派な生涯現役人生だったといえます。焼き場で見た彼の頭蓋骨にこびりついていた金属の網は何だったんだろーか?
自称、鹿児島県会議員、「大沢さんは市会だからおれのほうがえらいんだよ。」としたりがおではなしていました。「クリーニング屋なんだ。」ということもいってました。享年74歳 合掌・・・
おそらく、彼らみたいな人は、他の施設では受け入れがむづかしいのではないか。2010年からさんきゅうハウスやってきて、ますますここの存在価値ってやつを実感しています。

◎高齢になると、病気もそうですが、なによりもやばいのは転落や転倒事故、そして呑みすぎ。食いすぎですね。カンジイは、3階から階段転落し、2階の床に頭直撃、佐藤さんと杖じいはさけのみすぎ、さわちゃんは自転車で転んで腰傷めたのが寿命縮めた。特に階段降りるときは「ミギ、ヒダリと自分にいいきかせながら」の習慣がほしい。
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by issei_tachikawa | 2016-09-27 16:29 | さんきゅうハウス・カフェ・対抗文化活動 | Comments(0)