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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

第2回パルシステム「連合会」OBの集いに参加して

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3次会まであったそうですね。若いなー。元気な人はげんきだ。でも逆の人もいるのでやや複雑な心境です。できれば「まだまだこれから、あと30年」ビジョンでつきあいたいですが、これだけではあまりのも自分本位なので、「今日が最後だ今日1日完全燃焼」のステイーブジョブス路線も入れましょう。
画像は、桑島さんがその場で書いてくれたもの。くわちゃん、ありがとう、おおきに。彼はパルミート卒業して、ヨーロッパ旅行満喫直後の熱気を会場に届けてくれました。会う人、見た人、その場で似顔絵かきまくってたなー。永沢さん(CBS代表理事、イッセーの恩師)のお父さんみたいだなー。これだったらニューヨークの地下鉄でバイトもできるんちゃう?
あと、勇さん(てっぱん主人)のコメントを読んで、なかなかだなーと感じました。さすが人望があついわ。あと、のぶさん(山本)のまとめもなかなかありがたい。参加できなかった人で、今の連合会を知る材料をもらえてありがたいと感じるひとも多いであろう。
山根さんの司会も絶妙のマイク回し、すごいすごい。どのタイミングで、誰にまいくもっていくかって、実は大変な労働なんですよね。パル連は、元の首都圏コープの発展したそしきですから、一口にOB会といってもいろんな立場の人がいる。
役員だって、100人100様、1つの船に船頭が50名くらいは乗っている感じ。ぼくも1986年から連合会に移籍(その前に出向)するまでは、立川生協の常務でしたから、地域から生協を語るにおいては、かなり個性的な(手前みそな)判断と動きをしていました。
ですから、最初に「あわせ」をやり始めた時には、やむ
にやまれずはじめたわけですが、周囲は「傍観、反対」が多くて、共鳴してくれた人はほんの少数でした。(このへんの「事実」は、10月30日のさんきゅう寺子屋でおはなしします)
でも、あれから30年、パルシステムやめないでよかったなーと感じます。俺みたいな人間を定年まで雇ってくれたパルシステム、この多様性のエネルギーと生産者のみなさんと、買ってくださっている組合員さんと、ストレスとたたかいながら日々の事業を推進されている役職員のみなさま、そして協力会や委託先のパートナー企業の皆様、さらに現場で苦労されているみなさんに、心の奥底からありがとう、おおきに、まだまだこれからやねとつぶやきながら書いています。
◎ちなみに、イッセーが入協した1986年の供給高は、9600万円。組合員数の実数不明!名簿が見つかったのは12月、オフコン導入時。整理してみたら「公表数値1200だったのに、実稼働数は639名」、負債が5000万円くらい?以降の供給高は覚えてませんでしたが、専務の原さんに聞いたら、1987年⇒2.7億、1988年⇒3.9億、1989年⇒5.9、1990年⇒10.8億だったそうです。さすが、よーおぼえとるわ。すごいぜ。1986年の計画が「3年で5億」だったから、まあなんとかいけたんちやうか?連合会ベースでの2015年度供給高実績は、1998億、30年間で2000倍以上になったのか!災害発生時の義援金、東北で4億、熊本では2.7億、これも大きくなった成果の1つだな~。
1986年の暮れ、ある組合員理事からファミレスに呼ばれていったら、「大きくなると組員の意見が届きにくくなりますから、拡大にははんたいです。」とつめよられた。おれたちより大きい他生協の事例と比較しながら、規模と意思伝達はかならずしも反比例ではないのですという説明をしたが、納得してもらえなかった。自分の内面での議論は今でも続いています。まじに・・・
◎OBの集い、次はいつかなー、楽しみやね。2次会での談さんほか職員のみなさんの働きぶりに頭が下がりました。1日おせわになりました、ありがとう!
by issei_tachikawa | 2016-10-08 09:54 | パルシステムで愛と協働のまちづくりを | Comments(0)