どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

本当のナショナル、真実のリベラルがもとめられている

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目くそ鼻くそ、呉越同舟、同じ穴のムジナ、日本の政治社会文化状況考察にあたり改めて日本国憲法の存在意義と中身を問う。
ちゃんと読もうね。慌てることないからさ。ちゃんと勉強しながら語リア王。(面白いので未転換、あえて)
13条味わい深いね。すべて国民は個人として尊重される。日本会議案では個人が人間になっている。これはなかなかわかりづらいよ。騙される人が多いと思う。
この提案に反対するのはなかなか大変かと思う。おれは1968年3月に立ち返りながら、考える。当時のおれは、組織から抜けつつありながら、自分の正当性を胸張って説明できなかった。ヌケニン意識で何十年間も悩まされてきた。
でも今では自己対象化と社会の認識が進んで、次のように言い切れるようになってきた。
インデヴィジュアリズム、つまりイン・デバイド=これ以上は分割しえない存在のことを個人と呼び、その幸せ(実に主観的なのだ!)を基盤に国民生活の運営を考えるための憲法が日本国憲法だということ。
ところが日本会議に集まるインテリたちは、日常生活を個人単位だけで享受している日本人と在日が気に入らないらしい。
極論を突きつけるのだ。「攻められたときにどうすんのよ?」と。「まとまらないとやられちゃうよ。」という強迫もうまい。先日の北朝鮮ミサイルJアラート攻撃は、何から何への攻撃だったのか、冷静に分析評価してみると面白い。
一般論が出回る時代というのは、世の中が大きく変化していることの象徴だといわれる。中世から近世に至る、キリスト教世界の内ゲバとルネッサンス、1980年代の「生協論争」ほかにもたくさんある。
一般論で論議のテーマになることはとうに結果が出ていて、「ミネルバのフクロウ」の教訓を示しているだけなのに、評論家たちはあーでもないこーでもないと論争する。
今回の衆議員議員選挙の振り返りコメントがその一例である。
このかったるい一般論から脱出するには何が求められているのか。
真逆の「個別現実論」⇒「永遠の現場感覚から発信される」意見に従うのが良いであろう。いやー、18歳くらいから社会に係って今71歳だから、約50年も動き考えてきて、まだまだやなーとかんじる今日この頃であります。
ほんまの日本がわからない日本会議に、もう政治は任せられません。今回の選挙の大切な教訓であります。西郷南洲、大川同志、山本同志、小栗同志に魂で連帯いたしております。アメリカ軍の世界戦略防衛のために日本国の自衛隊を勝手に使うことなかれ!
右か左か、左翼か右翼か、保守か革新か、ではなくて、本当のナショナル、真実のリベラルがもとめられているような気がしています。今の安倍政権は自由民主の政権ではありません。運営主体は「日本会議」です。それに反対する野党の1つ、人気がたかまっているのが「立憲民主党」であるという事実に隠された真理に、みなさまの想像力・インテリジェンスが心ときめきますように。祈りながら

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by issei_tachikawa | 2017-10-25 14:56 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)