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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

甲子園目指して

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野球に限らず、スポーツや運動会)競技なんかは大嫌いだった。
できるだけ流れに乗らないようにしてきた。例えば、運動会の準備体操、わざと逆にやった。まわりが前屈のときは、おれひとりあおむけ、みんなが左に曲げたらおれはみぎに、流れと逆に進んでみたい。俺は生まれつきこうだったのか?
こうだったのか?いやようくわかりませんが、毎年甲子園の季節になると、高校3年の夏を思い出します。
神奈川大会準決勝、相手は武相高校、ジャイアンツの原監督のおやじが監督だった、よな?
ぼくは法政二校、何人かのプロ選手を生み出していました。ジャイアンツの柴田、日本人大リーガー第1号の村上、大洋ホエールズ(現:DENA)の的場と村越、東映フライヤーズ(現:日ハム)の是久などなど。鶴岡一人さんの息子もいた。
甲子園で夏春連続優勝したこともあり、夢と現実は重ね合わせて見えていた。
1964年夏、監督は平尾友二。ボランテイアではない、謝金払っていた。
彼は、準決勝の先発に中川を出した。当時の法政2校は中川、鵜沢、北島3人のエースがいたが、誰が見ても総合力では鵜沢が一番だった。
千葉県館山市、法性寺のせがれ、単距離が速くて、千葉県大会優勝、100m11秒だったかな。スピード、球の切れ、度胸、カリスマ性など、鵜沢が一番だった。
比べて、中川はスピードがいまいち、北島は性格的に若干??があった。気が弱いというかいまいちなにかんがえてんのかようわからない。
なのに準決勝で中川に先発させた理由は、決勝で使う鵜沢を温存したのだと思う。いや、監督の判断理由はわからない。上意下立つ、軍隊的気質の高校野球部で監督の批判などできなかったというのが、いっせーの言い訳です。(いまだに悔しい)
いずれにしても、ここ一番の勝負では、鵜沢を使うべきだというのは誰しも認める判断だったと思いたい。準決勝勝たねば、甲子園にいかれんのや!鵜沢に2戦連続で投げさせる手もあったじゃろー。
しかし、平尾さんは準決勝の先発に中川を送った。あっという間に5点取られて、途中で鵜沢と交替してからは、武相の強力打線をぴたっと抑えて、4点かえして9回の裏、だめだった。最後のバッター誰だったけ?
控室に帰ってきて誰かが泣きだしたら、おれもわれ忘れて、壁を爪でこすりながらくやしさをぶつけてないた。もう涙が止まらない。いつまでないていたのだろうか?
これほどの悔しさ、これほどの欲望(・・したい、甲子園に出たい)を感じたことって他にあるのだろうか?
南福岡代表沖学園が初戦突破した。なぜか注目しています。


by issei_tachikawa | 2018-08-06 16:38 | 映画・演劇・スポーツ | Comments(0)