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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

パルシステムの個配、どこでどのように始まったのか

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イッセーが入協したのは1986年3月、営業(拡大と言えと言われていた・・笑い)やりだしたのは6月から。しばらくの間新規加入者には「3人以上でないとは入れません」(共同購入ルール)を押し付けていましたが、2つの事が気になり始めました。
1つは、キョードー行ってるが、実質名前だけ3名でいつも取ってるのは1人みたいなひとが増えていた。あと、仕事に出る女性が増えてきて、共同購入=愛と協働の実践といってすませてはいられないのではないかと考えた。
2つは、なぜ1人ではいけないのか?の事業上の答えの重点は、採算でした。ならば1人=1世帯でもたくさん(月4万、5万)とってくだされば、十分採算取れるはずだという確信が生まれたのです.そこで、コース再編を考えました。1コースを、1人、2人、3人以上の班が、バランスよくおさまるように再編するのです。奥田さんが名案を出してくれました。用意したツールは、模造紙、ゼンリン地図のコピー、ピン(赤、黄、緑)、タコ糸です。ゼンリン地図の上から班の所在場所にピンを刺していく。1コースに赤黄が偏在しないように注意しました。目で見ての判断ですから、パソコン操作のようにはいきませんが、なんとか採算あわせながら1人でも生協できるようにしたのです。
ですから、受注は卵1パック、豆腐1丁、牛乳(こんせん72の前75のときかな)1ッ本で受けました。当時のセーキョーは、卵5kg又は10kg、豆腐6丁、牛乳12本(1ダース)で受けていました。豚の1頭がいなんてのもあった。すさまじい共同購入の理念推進。おつかれさまでした。先輩たちのご苦労は笑えません。
発注は、そのままやりますから、センターのは共同購入の仕組みで届きます。これを個人用に仕訳しました。小規模でしたから、みんな自分でやりました。昭島の市場迄卵パック買いに行く途中、疲れてたのか不注意もあって生まれて2度目の交通事故、赤信号無視してバイクをはねました。
配達時は、特別のお届け票をつけて、各車両の担当者に頼みました。毎日毎日これをやりきる。良いことしたなーと満足しています。
請求時は、追加入力です。1人の方は、本当によく動いてくださいました。個人情報なのでお名前は明かせませんが、今でもパルシステムの経営に熱心にかかわっておられる方の中には、昔「独り班」という蔑称に耐えながら、まじめにせーきょうやってくださったかたが何人かおられます。
因みに、これは立川生協で理事をやっていた時の1987年のたいけんですが、千葉でも同様の体験された方とつい最近お話しできました。知る人ぞ知るかたです。あえてだれなのかはいいません。本人了解とってないので。そのさいに嬉しかったことがひとつ、生協トップだけではなく、1人の職員が彼女に協力してくれて、その職員とは連合会で友達になれて、年賀状かわす仲に。いやーうれしいなー。
新しいことやる場合に、抵抗はつきものですが、新事業の未来に確信をもてるかどうか。確信持てなくても、なんかこう、むかついてやったろかーおもえるかどうかがぼくとしては人生の重要ポイントです。「1人でも入れる方が広がるよね。ひろげないとつぶれるかもしれない。ここまできたらツービック、ツーフェイルだ。」
★蛇足ですが、東村山センターで、丹治さん、長谷川さん、滝さんだったかな、かれらが担ってきた仕事の組み立て方は、委託配送という仕組みつくりをのぞけば、立川の桜が丘で始めた仕組みづくりににているのではないか。
あと、千葉の松戸センターで実験供給しはじめた「あわせ配送」の仕組みも、1987年の立川方式に本質通じていたようなきがします。

by issei_tachikawa | 2018-08-14 10:13 | パルシステムで愛と協働のまちづくりを | Comments(0)