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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

ぼけ丸とイッセー

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ぼけ丸の70歳記念コンサート、待ちに待ったわりには、あっという間の7時間だった。彼と出会ったのは、総評会館だったと思う。
懐かしいと感じる人も多いでしょう。約30年前、当時彼は今のあきる野市にいて西多摩生協の職員だった。俺は立川生協の、だった。
総評会館で彼が歌ったんだよね。何かの懇親会だろうな。しかし、印象深いのはそのあとの彼の脱サラ人生、俺もなんども考えたが、気が弱い優柔不断のおれにはまねのできない決断、セーキョーやめて、国立(谷保)に「かけこみ亭」を開いた。
彼と何回あったのかなー?店に行ったのは、5回くらい、あとは、おれたちの結婚披露宴(1986年6月タマジョーの「ラルゴ」今は「サンエトワール」)で喜怒哀楽うたってくれた。ただ働き、ごめんね。
その他、砂川の秋まつりや「反基地マラソン」などで一緒したこともあるが、それほどマブダチ(心底はらわって旨酒かわしジンセー語り合った仲)でもない。
なのに彼のコンサートには、かなりまえからいくぜ!って決めていた。迷いがない選択、ということは比較という西欧的(いい加減な表現ですんませんが、ほかにいいよーがねー)知性の思考をデリートして決めていた。
その理由について考えてみました。
1つ大きいのは、彼の生き方への尊敬の念、とかなわねーなーという憧憬(うらやましい)だと思うのです。
学生運動(べとせん阻止ノタタカイ)に青春のエネルギーの相当部分を割いてしまったという点では似て居るのですが、1968年3月10日で「新左翼」的な運動と組織の作り方に失望し、パシリに過ぎなかった自己の限界を感じて、約10年間の「ひきこもり」を経験したのに比べて、どうも彼はずーっと、ずーっといままで「仲間」とつながって生きてきている、んじゃないのかなー。メイビー・ファクト⇒真実
そのさいの手法というかツールというか、身体のいちぶかしてしまっているギターや太鼓の力を感じるのです。
おれもアンデス音楽とアフリカの太鼓(じぇんべ)やってますが、かれらのようなフリースタイルで楽しむステージは未経験なのです。やってみたいが、なかなかハードルが高い。
ここんとこ突破できるのか?検討させてね。ヒントは、トロンの『丸出しのエクスタシー』出版記念のセッションだな。あれは20数年前、水道橋のYMCA会館だったな。デリジュドー吹きまくるトロン、周りはたくさんのジェンベがおはやしおはやし、おれは勝手にケーナ吹きまくった。チョー気持ち良いよい。
しらふだったな。でも、ぼけ丸コンサートはよっぱらいのミュージシャンが数人、もうへろへろなのに、うたわすれそうなのに、ステージ上がってセッションするんだよね。おれもやりたかったが次ね。(笑い)
念のためつけ加えますが、応援にかけつけてくれたミュージシャンの演奏で良かったのは、「ストーカーと呼ばないで」というどう見てもストーカー女性,太田すせり、木曽の山奥から出てきた感じの絵本屋のおやじさんの歌、たくろーを師匠とするシンガーの脱USソング、国分寺エクぺの2人、バラライカの人(名前覚えられません御免)=力づくバンド、などなど。よっぱらいばっかりではないんだよ、な。しらふもおる、ひとそれぞれ。
ぼけちゃん、まとまらなくなっちまったよ。みなさん、よんでくれてありがとう。来年もやろうぜ。死ぬまでライブなんだよおれたちは、な。

by issei_tachikawa | 2018-08-22 11:28 | 尊敬する日本人(そんにち)シリーズ | Comments(0)