千利休(以下、利休と略す)のことが思い浮かんだ、まめ吉に向かうチャリの上で。不思議なことに利休の求めた茶室、茶道とまめ吉の山口さんが今まさに追及されているコーヒー道とアトリエの共通性に気が行ったのだ。
利休についての説明は省きますが、秀吉が彼に求めたのは、大衆茶道というか彼の天下統一政治に役立つものであったらしい。茶器もはでなものが主体、茶室もオープンだったのだろう。
比べて利休の抹茶茶碗の基調はわびさび、茶室も質素で小規模、1畳半のものさえあったらしい。
まめ吉工房も小さい。なるべくお客が誰もいないときにいく。山口さんと2人のやり取りが実に豊かさを満喫できるからだ。
でもときどきは友達を連れてきたくなる。今までも何人か誘ったり、あるいは希望されたりでここをおとづれている。
督さん、直美ちゃん、ワイナの仲間、豚の校長、さんきゅうのカフェスタッフ、近所のMさん、さんきゅうカフェの常連さん(まさるさん)もきている。
ここへくると、素直になれる。なんでもはなせる。事実に対して敬虔な気持ちで直面して、自分の6感と理性となにがしかで判断した言葉を発せられる。
これがじつは、日常会話では実に、難しいことなのだ。
誰かが亡くなったとき、吉本隆明さんが、いやちがうかもしれない、吉本さんが亡くなったときにだれかが「ひとつの直接性が倒れた。」と表現した。
日常会話では変化球や向こう側からの玉も必要なので、日本語にはたくさんの1人称や二人称ができている。
比べて英語はシンプルで、アイとユーしかない。日本語だと、おれ、ぼく、わたし、わたくし、てめー、あたい、せっしゃ、わて、おら、おれどなどなど、地域語いれたら覚えきれない1人称の呼び方がある。
まめ吉での会話には、直接性の快感がある。不思議な魅力だと思う。お互いに気は使ってはいるがあるいみ自分が正しいと感じることには、非妥協である。
秀吉と利休、最後は利休の切腹で終わったように見えるが、なかなかどうして、茶道の三千家(表、裏、・・・)は利休没後に秀吉自らがなずけたようにもおもえるし、利休の死を誰よりも嘆き悲しんだのは切腹命じた秀吉自身だったのではないかという邪推もけせない。関ケ原決戦における西軍の動き、光成の行く末、家康の動きにも利休が絡んでいたようにも感じる。
ってなことを感じながら、今日も「まめ吉」道場に通うのである。