どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

4日は「おやじさん」の7回忌でした。

山本芳郎、命日は2012年11月7日、87歳、死因は肺がんでした。ブログを探したら今まで4回、彼について書いています。2012年12月25日、49日、2013年11月1日、3回忌、2016年8月6日、そして2018年11月4日、7回忌でした。亡くなる前にも2010年
10月1日に書いています。
今まで書けなかったこと、どうしようか悩みます。少しだけ書かせてもらいます。
1つは、彼は僕だけにしか話してないことがありそうです。小さい頃のおやじとおふくろの話し声に痛く感じた体験。兄さんとのやりとり。住宅ローンの組み方の事などなど。今思えば信頼されていたのかもしれません。「ずーっと結婚に反対されていた。」というのは僕の思い込みだったのかもしれません。
2つめは、囲碁の話。近所の碁会所に毎日のように通っていた。ぼくはそこにいったことがありませんが、「ガス室のようだ。」といっていました。副流煙の害を察するに、本人はたばこ吸いませんでしたから、ぼくが碁の相手できていたら、と考えると残念であり、すまないなーと感じます。
3つめは、主義者的な強さの事です。保谷のおじちゃん(哲郎兄)にも通じる強さを感じさせる人でした。27年間のお付き合いで、外食したことが1度もありませんでした。残業で遅くなっても途中で食べないで家で食べる。不思議でしたから理由を聞いたら答えは、「家族の未来のため」というもの。いやー、ことばを失います。こつこつとためてきた「資金」で、どんだけ救われたか。改めて、芳郎さんありがとう!
1985年の暮れだったとおもいますが、西国の以前の家にお邪魔した際に、だめだしされました。結婚はどうしても認められないとおっしゃる。
理由は、父と母で違いました。父は、「生涯稼得賃金シミュレーション」に基づいて反対しました。母(瑠璃子さん)の反対理由は、「いやだからいやなんです。」というもの。どちらもかえってそれからの労働と生活の励みになりました。
小学校4年くらいからレールから脱線して紆余曲折、波乱万丈で生きてきた僕にとっては、反対されればされるほどに、やる気が高まっていったのです。
ということは、立川生協の奇跡的拡大を支えてくれていた陰の功労者は、結婚に反対してくれた両親だったといえなくもない、ですね。
勿論、年食って子宝に恵まれたことも幸運でした。病気しないで、事故には会っても死なないで、家族5人ここまでこれたのも芳郎さんあればこそです。
墓の前で坊様がおっしゃっていました。「相続というと財産のことばかりが取り上げられますが、一番大切なソウゾクは、個人をしのびながら集まられるみなさんのこころなのです。」と。マジにそう思いますね。
来年はいくつか嬉しいことが起きそうです。吉村、吉田、山本、草野、伊藤、佐藤、高橋、草間、菊間、宗、奥山、鈴木、親戚ってありがたいものです。芳郎さんありがとう、瑠璃子さんありがとう長生きしてください。アラハンお祝い準備せねば。
【生涯稼得賃金シミュレーション】
その時芳郎さんは、日経新聞の切り抜きを僕に見せながら、「あなたがこれから20年どんなに懸命に働いても、普通のサラリーマン40年間に稼ぎためる金額の、半分又は60~70%くらいしか残せないでしょう。ということはうちの娘に保障できる幸せもその程度でしかないと言えます。」とおっしゃるのです。
反論できませんでした。できませんよ、無理です。僕だって、父親の立場で、40過ぎようとしているのに無一文のホームレス状態の男に、むすめをあずけられませんから(大笑い)
結果的に彼の予想数値はみごとに外れました。ぼくは少し配達しただけで、常務になり所得は15万円(全職員一律)でしたが、3年で5億円の目標も超過達成し、1987年か88年には生協新聞で「前年比伸び率NO.1」になりました。
仕事、面白かったな。好き放題やらせてもらった。道なき道を歩ませてくれた、生協の神様に、サルー!

[PR]
by issei_tachikawa | 2018-11-06 10:03 | 家族、地域家族 | Comments(0)