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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

悲しみからの復活、林君へ

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目高舎の林君、生涯の伴侶、治代さんを失った悲しみを抱きながら、今日の追悼の集まりでしっかりと挨拶してくれた。
頭の中が知らなかったことでいっぱいになった。
2人とも誕生日が一緒で10月8日生まれ、1946年生まれ、おまけに2人とも旧姓林なのだ。高校生から一緒で、彼は一ツ橋に入ったのだが、彼女は大阪?の姉様に呼ばれて、貿易関係の学校?(会社か?)に入った。
大きな風呂敷に荷物をもっていったらしい。途中で出会った女性が「大変でしょう、もってあげましょうか?」と声かけてくれて、頼んだのは良いが、先方についたときにははぐれていたという。
姉様に「あんた荷物は?」と聞かれて、気が付いたのだ。ときすでに遅し、やられた!と思って探していたら、なんと頼んだ人が後から到着したんだと。
ここで「2つの教訓を得ました。」と林君、1つは人を信じるな、でも、2つは、人を疑うなでした。37名の参加者、悲しみに涙していた人もみんな一緒に大声で笑えた。
彼の話聴きながら2つの事を考えていた。
1つは、クルプスカヤがレーニンに行ったと言われるセリフ、「あなたは人の事を厳しく批判しすぎる。その批判の矢はあなた自身にも突き刺さる恐れがある。世の中人を信じるべき理由は幾百万あるが、疑うべき理由も幾百万」というような。本願他力かな?
2つは、彼の事、治代さんに依存といっていましたが、なかなかどうして。亡くなってから心配していたが、彼には、知の力がまだまだみなぎっているように感じる。いやそうはいっても辛いのかもしれないが、集まってくれたみなにこれだけの笑いを提供できる彼の知性の力に驚き、尊敬してしまいます。
同様のシツエーションに置かれたら僕は同じようにふるまえるだろうか?(間違いなく答えはノー)
あと面白かったのは、メダカヤ通信のスタート。彼らは一時世界巨木巡りにこっていたらしいが、海外旅行といえば餞別だの見送りだの騒々しいので、空港から親戚友達に手紙を出した。それが通信発行の切っ掛けで、1980年にスタートし、40年間続けて、今1065号にまでいったということ。すごい!
もひとつ、ずーっと同棲だったのに、入籍した理由は、都営住宅応募のためというもの。世間の常識にとらわれない彼らの生き方に乾杯の一日でした。
団地集会室からかえりしなに、彼の部屋で、手挽のコーヒーをごちそうになりました。まえにも書きましたが、人間いつ行くかはわかりませんが、残されたものの使命は、先だった人の分まで生き抜くこと、残された時間空間を楽しんでよいのですよ、いやいや楽しまなくっちゃということなのです。
「またイッセー通信もってくるからね。」いって帰ってきました。

by issei_tachikawa | 2019-06-09 19:30 | 気になる友達シリーズ | Comments(0)