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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

他者への違和感と「時の経過」を待つゆとり

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どうしても違和感が消えない「仲間」が身近にいる場合の対処方法とその歴史哲学的かだいについて、実はもう何十年(?、しょうじき小学校4年くらいから)考えてきている。別に悩んではいない。ぎゃくに、日本的な忖度、グループ行動ができない(できないのさ、いやだいやだ、本音で行きたい)俺としては「乗り越え」というわけでもなくて、何の気なしに振り返ると変わってしまった自分が懐かしく思い出されて、これから(今の連続=未来)が見えてきて、おのずと「いやな奴」は、「仲間」の一人に代わっていく。
ただしここから先はシビアな話も出てくる。
自分の今の活動に、その人をどうやって巻き込むかについてである。
ここはそのひとが、いま、どこでなにをどんな気分で続けているのか、そのうんどうのなかでその人の立ち位置はどこなのか、動機・役割・権限・責任・報酬・これからの想いや計画、目的は何なのか?が問われてくる。
もっとわかりやすくいいいます。
「あんたがそこにいるいないで、何か変化があるの・」という問かけを他者に(大空に向かって)してみることではないか。
その瞬間にあなたは孤立を楽しみ、たった一人きりで、社会・世界と対峙できるようになる。
しかし何等かの「信仰」というか「宗教」に属していて、未来社会について所与の前提で行動できていて、金にも困っていない人は別である。
こういう人に接すると、ときには「うらやましいなー」とか「偽善ではないか」と感じることもままあるのですが、この違和感もまた時の経過のなかで、「納得⇒了解、承認、妥協」の心に代わっていくのである。
ちょっと、脱線しますが、「ホ・オポノポノ」(ハワイ先住民の長老が世界を股にかけて広めている)に触れた時の思い出を思い出してみよう。
がんちゃんの弟に話したら、しょっぱなから「拒絶」!おどろいた。ぼくは、新しく感じる考え方に接したときは、いきなり「拒絶」したり「批判」とかしたりはしない。だから、いろんな考え方に接しながら、動きながら自分の意識やこうどうがかわっていくさまを観察して楽しむことができる。
いわば、「変化の味わい」を楽しむのである。
その世界に、あなたが身近に共時態できている他者をどれだけとりこめることができるかどうか?あなたの力量のみせどころではありませんか?
あなたはあと何ねんくらい、どんな心身の状態で生きられると思いますか?違和感を消せない人を「包摂」することはできないのですか?なぜだめなの?
あなたは犬派?それとも猫は?
あなたはストレス感じ続けてそれがエスカレートした場合に、下痢しますか便秘に行きますか?
あなたは性的な悦楽をどのような手段で楽しんできましたか、または「楽しんでいますか?」あなたは、マスタベ派ですか?夢精型ですか?もう卒業したのですか?
最初の「ごめんね」がいえるかどうか?本音で。

by issei_tachikawa | 2019-11-26 00:44 | イッセー心理学、行動哲学、唯身論 | Comments(0)