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by issei_tachikawa

宇野経済学(ウノケイ)の問題、考え続けて50年

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ウノケイの研究者と言うか革命家と付き合う初めは法政大学経営学部自治会執行委員会委員長の頃、岩田弘さんに機関誌『創造』へのキッコウをお願いしに行った時だった。岩田さんの『世界資本主義』が、BUND(ブント、共産主義者同盟)「再建」大会、通算第6回の議案(採択された綱領)の基礎理論となった。
ブントはまだ再建「統一」されていなかった。ということはだいぶ後になって、なんとごく最近意識することになった。なんやパルシステム内部でおれは「〇戦派の吉村」でしかなかったのか、言っとくがおれは「ブント」に惚れたのであって、何らかのセクトが気に入ったわけではない。おれの活動は、ブントに始まり、ただのおっちゃんでおわる、その辺のことは今日は省略して本題へ。
何がウノケイの問題なのか?
ケツロン、経済原論の対象設定にあると思う。
資本論が世界中で読まれているらしい。ピケティの本がベストセラーになるくらいだから、新自由主義という資本主義のラストステージ(になってほしいと心の奥底から願う)にかわる経済理論が、世界中で求められているということであろう。
しかるに、宇野さんの原論の対象は「純粋資本主義社会」である。つまり、3大階級(労働者、資本家、地主)だけで構成されている資本主義が想定されて、冒頭の商品論が始まる。
マルクスの場合はどうだったのか。
「資本制的生産様式が支配的である社会の富は強大なる商品集積として現れ、個々の商品はその成素形態として現れる」とはじまる。
「つまり人間の何らかの欲望の対象として、一つのモノ、使用価値」であるはずの労働生産物は、価値(価格)を前提として流通する。とされる。なるほど。
「その欲望の性質はそれが空腹を満たしたいというものか、自動車つくるための生産手段であろうが、ことの本質には関係ない。」ともいわれる。
このあたりはすっきりしているのだが、労働力、土地、水資源、時には空気さえもが商品化されるに至った資本主義の中で生きる我々の、次なる社会構想の基礎として資本論や経済原論がどのように役立つのかを考えていけばいくほど、宇野さんの「対象設定」には疑問が消えないどころか、年食うにしたがって、ますます違和感が昂じてくる。
マルクスの場合はすっきりしていた。かれはロンドンの大英図書館通いで万病の巣みたいな身心にむちうって「呪われた書物」(資本、古典派経済学批判)を書いている糧では、つねに論理的なモノは、歴史的なモノと裏表の関係、非常にシビアな主体性論的な配慮に裏打ちされて、執筆活動をしていたはず。
1947年に始まる周期的な「世界」恐慌、そのたびにホームレスになる労働者、パニックになれば銀行襲撃もおきる。1871年、パリコミューン、マルクスがほれ込んでいたはずの「ブランキ」が代表だったコミューンが権力を取った。マルクスは『フランスの内乱』で、敗北の総括を試みて果たせず他界した。
しかし、宇野経済学はどうか?(お名前はいいかげんですよ、字が違っていても堪忍してください)
岩田弘さんや、鈴木浩一郎さん系の研究者や、大内力さん、大内秀明さん、鎌倉孝雄さん、降旗節夫さん、伊藤誠さん、嵯峨一郎さん、戸塚秀雄さん、川上忠雄さん、服部伸司さんなどの「実践」的な研究者も生み出してはきたが、いかんせん、経済原論の対象設定方法については論破しきらないで今に至っているような気がする。ちがうのかなー?教えてくださーい!!
世界資本主義、19世紀から今まで、従化傾向にあったという事実を、どのように説明できるのですか?ぼくにはできませんよ。とても無理。「純化傾向にあったという思い込み」に元ずく方法論はどこかで破綻します。
★★★僕のスタンスは、「世界先住民連合」です。竜将軍の『辺境最深部に向かって退却せよ』から50年、「エンタープライズをポチョムキンに、ベトナムに平和をではなく、第2第3のベトナムを世界に」と金切り声で叫びながら街頭を練り歩いてから40年。

by issei_tachikawa | 2021-03-03 15:25 | 自分史(1946-2066) | Comments(0)