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どうせやるなら気持ちよく、地域家族へ


by issei_tachikawa

消せない記憶3.11

被災当日は新大塚勤務、8階だったので揺れた揺れた、ぐらっと着た直後は「関東大震災」かと思った。一緒に勤務していたのは鈴江、河野、湯浅、だったよな?2:46から4:30まではニュース聞きながら待機していたが、4:30に徒歩で帰宅開始。家に到着したのは、1:30だった。45kmくらい歩いたか?9時間かかって無事帰宅。途中、3回食事、田無駅前でバス待つ人の行列前に、2半バイクが止まり、ドライバーが、「・・まで行きますがどなたか乗りますか?」と声かけたら、若い女性が助手席に飛び乗ったのを見て、少し感動。
新大梅街道を延々と続く帰宅者の行進、中にはハイヒール・コロコロ付きの大型旅行バックひいてるい人とか、
重たそうなサラリーマンショルダーバックさげて革靴で歩いている人をみながら、おれはスニーカーにリュックとジャンバー姿で45kmを歩き切った。途中、どこかのスーパーの駐輪上に転がっていたチャリを拝借してしまった。
翌日のテレビ見て印象深かったこと。
津波が去ったあと、看護師さんが死体見て泣いている。そばで婦長さんが「しっかりしなさい」みたいな口調でたしなめていた。「泣いたって仕方ないだろが」というのが俺の感じたこと。
津波に対して真っ向から立ち向かったある漁協の長の決断力に感動したりもした。津波到来を想定して、津波が来襲する方向に真っ向から乗り出して、全漁船を救ったのであった。
国会前に来ていた、福島の子供が、猫じゃらしを取りまくっていた。理由聞いたら「福島のは危険だからとると怒られる。」という。
岡山に避難していた子供が帰りに、ペットボトルに、水道水を詰めていた。「福島の水はのめないので友達にお土産です」と。
塩釜に帰った清水信義くんから「村の取り組み」についてきいた。「2週間、どっからも支援が来なかったけどすべて村の協働で乗り越えた。犠牲者はゼロだった。」とのこと。津波で流された石油ストーブを直して暖を取ったり、がれきを燃やして飯炊いたり、リヤカーで寝たきりの高齢者を避難所に運んだりしたとのこと。
「避難訓練は年に数回やっていた。大いに役立った。」とも言われた。
リスク管理の大切さを思い知った災害でした。
以降枕元には以下のモノを置いて寝につきます。
・ヘルメットと軍手、手拭い
・スニーカー
・中型のくぎ抜き(あかなくなるドアをこじ開けるため、倒壊家屋の下敷きになった人を救うためなど、神戸で実証された)
★家族全員2階の、突然の揺れでも頭をやられないところに寝ています。
★本棚、食器棚、冷蔵庫、タンスなどのそばで寝ないようにしています。窓ガラスの横もあぶない。

by issei_tachikawa | 2021-03-11 22:01 | 3.11が問かけること(自然災害、原発) | Comments(0)